#15 幽霊と光冠——最近見つけた寄り添うことば

こんにちは。工藤@ゆめみるけんりです。

予断を許さない状況にもかかわらず、たくさんの方に「いま寄り添うためのことば」に参加していただき、あるいは関心を寄せていただき、ありがたい限りです。最近山本太郎さん(思い浮かべたであろう方とは同名異人です)の『感染症と文明』(岩波新書、2011)などを読み、きっと「コロナ後」というのはないのであろう、居心地の悪い“共存”を続けていくのであろうと教えられたところです。政府らの言う「新しい生活様式」ということばが生なましい実感をともなって急に出現してきたとき、それは人間の感染症に対する敗北宣言であるかもしれないのですが、new normalのその“norm”は押しつけられるものであってはならない、私たちがこの手でつくりだすnormでなければ、とこのように思っていました。

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さて、これはわたし個人の感じ方であって、いろいろなリアクションがあって然るべきですが、今日は、最近出会った、これもまた「いま寄り添うためのことば」であろう、という取組を2つご紹介します。どちらもtwitter上の取り組みで、アカウントがなくても誰でも見る(参加する)ことができます。

◯サークル・ナレーティング Section 02 〈往復朗読〉/青柳菜摘+佐藤朋子

 『ゆめみるけんり』でずっとお世話になってきた「コ本や honkbooks」での活動でも知られる青柳菜摘さんと佐藤朋子さんによる、「往復朗読」のプロジェクト。(ちなみに、「往復朗読」の発想の元には、トルストイがいるらしいです。)

 「寄り添うためのことば」10回目で寄稿いただいた移動祝祭日さんの朗読を聴きながら、私たちにいま必要なのは、誰かの声に耳を傾けることかもしれないと、ぼんやりと思っていました。
 このサークル・ナレーティングでわたしが肝だと思っていることの一つが、ライヴであること、もう一つが、誰かの声で本を読まれるのを聞けることの2つです。
 ライヴであることは、一人ひとりは別々のところにいながらも、さながら幽霊のようにして、私の目の前、耳の中、部屋のどこかで、いま、誰かが語る声を聞くことになるということです。幽霊のように、といって私が思い出すのは、ジャック・デリダという思想家のことで、かれも「亡霊(幽霊)」の比喩を得意とした人でした(だから何だと言われるかもしれませんが、特に続きはありません)。「寄り添う」とは、ある意味で幽霊的な関係を取り結ぶことと同義なのかもしれません。
 また、大人になってから誰かが本を読んでくれるという経験じたいが非常に稀になっています。このように、何もすることがない環境が(強制的に)整えられた今のような時間においてはじめて、私たちは本当に誰かの声に耳を傾ける余裕を持つことができた、ということなのかもしれません。
 ぜひ一度耳を傾け、誰かがそこにいるのに、そこにいない、そのぞっとするような魅力的な時間を経験されることをお勧めします。

 ちなみに、コ本やさんではweb shopを開かれており、閉店中の現在でも本を購入することができます。また、宅配での買取も行ってらっしゃいます(古書店では今、古書の市場が閉められていて、仕入れが困難な状況とのことです)。詳しくは以下ページをご覧ください。
 https://honkbooks.com/コ本や-honkbooks、thecaの当面休業について(延長)/

◯西崎憲さんの「緊急事態翻訳詩集」

 ヴァージニア・ウルフなどの翻訳で知られる翻訳家の西崎憲さんがtwitter上で「緊急事態翻訳詩集」という取り組みを行っていらっしゃいます。西崎さんが訳されていなければわたしも訳してみたかった、パウル・ツェランの「光冠(Corona)」、ディキンソン、ベケット、スミス(The Smiths)など、さまざまな言語のさまざまな作品を翻訳され、twitterに投稿されています。
 わたし個人は大学入学の年から続けてきたtwitterを今年やめ、そのことについてまったく後悔はしていないものの、こうした取り組みにリアルタイムで接することができるというのも、また「寄り添うことば」のあるべき姿かもしれないと思いました。

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今回は、「いま寄り添うためのことば」に関する2つの取り組みをご紹介しました。もし他におすすめがありましたら、コメント欄等でぜひ教えてください!

(工藤 順)