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慶應JDが港区女子と化すまでのおはなし part.4【完結編】

part.1~3の続きです。順番に読んでね。


9.就職、そして

大学を卒業し、私は無事に就職した。就活当時、私は就活に本当にやる気がなかったため、正直自分にとってベストな会社ではなかったが、ネームバリュー的にはそう悪くない会社であった。数年働いたのち、転職しようと思っていた。

だがしかし、日を追うごとに、その会社の文化が想像以上に私に合っていないことが明らかになってきた。良くも悪くもトラディショナルな大企業。新入社員研修に自衛隊研修が組み込まれているような会社である。徹底的な年功序列、成果よりも「頑張ってる"感"」至上主義、無駄な残業の横行、毎日ネットサーフィンして犬の写真を見ているだけの大量の窓際おじさんの存在。こうした環境の中、仕事に対するキラキラした期待は潰され、抱えるストレスはどんどん増大していった。始業時刻14分前の出社で注意され、心の中で中指をたてた。

そして何よりの問題は、手取りの少なさである。1ヶ月目の手取りはまさかの17万円代。それまで西麻布でゆるく働くだけで当然のように何十万もらう生活を続けてきた私にとって、給与明細に印字されたこの金額は目を見張るほど衝撃的なものであった。最難関私大を卒業したのだ。最低でも20万円はもらえるものかと思っていた。日々こんなにストレスを受けているのに、1日のほぼ全てを会社に持っていかれているのに、それでたった16万円しかもらえないなんてこと、あっていいのか。先輩に聞くと、所得税が引かれ始める2年目の方が苦しく、さらに5年目くらいまではなかなか昇給しないらしい。だから、会社全体で業務を引き伸ばして無駄に残業することがスタンダードになっているとのこと。ありえない。

日々節約を心がけていたつもりだが、初めての給料はあっという間に消えた。それは何に消えたかわからないほどに一瞬のことだった。大学生時代に貯めていた貯金に手をつけ、なんとか生き延びることができた。これをたった3回繰り返しただけで、ある程度貯めていたはずの貯金は底を尽きた。

さて、問題は4回目の給料日後である。私は今まで以上に節約を心がけた。コンビニに立ち寄るたびに買っていたコーヒーは1日1回に抑えたし、ランチも1000円までと決めた。洋服は購入を我慢することを覚えたし、若干プリンになってるカラーも染め直すのは1ヶ月待つことにした。あっという間に消えた。銀行の残高は3万円。給料日まではあと2週間。なるほど、さてさて…

こうして私はあっという間にラウンジに出戻りした。


10.会社、辞めるぜ

会社の給料で足りない分を稼ぐ、それだけ!基本働かない!そう思って再び働き始めた。だけどやはり人間欲が出てくるもので、結局週2でコンスタントに出勤するようになった。

ラウンジではこんなに楽に大金を稼げる。でも会社では毎日つらいストレスを受けてもほんの少ししか稼げない。時給に換算して1400円だ、こんなのただのバイトよりひどいよ。こうしてフラストレーションはたまるばかりになった。

あるプロジェクトのチームがとりわけ最悪だった。私は何をやってもチームメンバーに足を引っ張られる。人のしょうもないミスの尻拭いで残業が増える。企画書のレイアウトすらもまともにできないポンコツな40代に注意しながら、「ここにいたら自分がダメになる。それなら今会社辞めたって一緒だ。」と思った。正直多分ちょっと鬱だった。勢いで辞表を提出した。会社よりもラウンジの方が稼げるため、稼ぐことに対する恐れは全くなかった。どうせ辞めるなら新しいことをしよう!と決心した。せっかくできた人生の夏休み、新しいキャリアに進むための勉強を始めることにした。こうして私は正真正銘の「職業:ラウンジ嬢」となった。


11.いざ、港区女子としての生活

急にできた人生の夏休み。それははじめ、きらきらした夢のような時間に思えた。ラウンジに週4回入れば、それなりの額を稼げる。せっかくお金と時間があるのだ。勉強をして、やりたいけどできていなかったことをやってみて、実のある時間にしようと思った。自分一人で収益化するか、ある程度経ったら再就職しようと考えていた。

さて、こうして勉強が進むかと言われたら、なかなか進まないのである。時間はたっぷりあるはずなのに、勉強は得意なはずなのに、どうしてもダラダラしてしまってその時間分進めることができない。夜遅くまでお店の営業が続いた翌日は結局夕方まで寝てしまい、起きてからもだるさが抜けずにぼーっとし、そのまま出勤することも多々あった。

自分のためになる選択肢よりも、目の前のお金を得られる選択肢を選んでしまうことも多いにあった。「明日は早起きしてこれをやろう」と決めていても、「タクシー代●万出すから3時まで飲み付き合ってよ」と言われたら頷いてしまうのが常であった。自分のために決めたどんなルールも、お金を目の前にすると無力だ。

「生きるのに問題がない稼ぎがある」こと、そして「周囲に同じ環境で同じ目標を目指す人間がいない」こと、それは人間をとことん堕落させた。

こうして結局、気付いたら「よくいる港区女子」の一人となっていた。夜遅くまで飲んで、その日の給料をもらって、たまにチップをもらって帰る。昼過ぎに起きて一つ二つ用事をこなし、気付いたら夜になっている。ギャラ飲みの連絡がきたら駆けつけ、また飲む。お金は気づいたら消えている。正気に戻らないためにお金を使う。

充実感が皆無の生活。ただ流れていく時間とお金。自分との約束を破る日々。ふと胸が苦しくなる理由は、ラウンジやギャラ飲みでどんなにお金を得られたとしても、それは自分の能力ではないことだ。ラウンジやギャラ飲みにおいて女の子は努力をする必要はなく、ただ「可愛い」だけで存在が許され、高いお金をもらうことができる。つまり、ここで私たちは「能力」ではなく「若さと見た目」を換金しているのだ。もともと「自分は何でもできる」と思っていたはずの私の自信残高は、気づけばすっからかんになっていた。

人間は、自分の提供するものが他者に対する貢献になっていると認識することによって充実感、幸福感を得ることができる。港区で女の子たちが提供しているのは、「若さ」「見た目」という有限の資産である。彼女たちは美しさを磨く努力を続けているが、「若さ」は人間平等に失われていくもの。港区女子の価値は賞味期限付きだ。


12.コロナショック、そしてそれから

そんな日々を送っている中、コロナウイルスの蔓延が始まる。ラウンジの営業が停止し、家から出ることがなくなり、港区から離れた。世界中全ての人々の時が止まっていたその期間、私はようやく思っていたように勉強に取り組むことができ、なかなか充実した時間を過ごしていた。

さて、2ヶ月ほどの自粛期間が明けて港区に戻ってみる。するとふと思う。

…ん?何やってんだ自分? 

気づいてしまった。自分の生きていた日々のあまりの軽薄さに。この数ヶ月間自分は何も築いてきていないことに。感覚がどんどん鈍っていっていたことに。何がやりたいのか思い出せなくなっていたことに。愛がなんだか分からなくなっていることに。

もうここにはいられない。足を洗おう。私はその日のうちに退店を伝え、西麻布界隈の人々との連絡手段を完全になくすためにLINEアカウントを作り直した。

貯金を切り崩しながら就職活動をしたところ、ありがたいことに良い就職先がちゃんと見つかった。自己肯定感が完全になくなっていた私にとって、これほど嬉しいことはない。今はそこで働きはじめている。

これからは、自分の足で立ち、自分の能力でお金を稼ぐのだ。稼いだお金で寿司を食べるのだ。今度こそ、もう西麻布には足を踏み入れない!と決意してこの自己紹介を締める。

読んでくれてありがとうございました!

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