見出し画像

なぜ私はTAKAKOという女を登るのか③

前回の続き。
謎の広い広いホールの端っこで少女だったTAKAKOに話しかけられた私。

そこからはもうすぐに仲良くなって、ホールの外に出てガラス張りの廊下を走り回ったり、子供らしい遊びを二人で堪能していた。

しばらく経つとおばあちゃんがホールの扉から出てきた。

「ルミ。帰るで」

え。もう?せっかく盛り上がってきた時なのにぃぃ!!!ねぇっ!って同調を求め振り返ってみたら少女は居なくなっていた。

「あれ?さっきの子は?!」

そうしてるうちにおばあちゃんに手をひかれ、来る時と同じ様にバスの後部座席まで手を引っ張られ着席した。
広い広い駐車場のどこかにさっきの少女の姿があるんじゃないかと、シートに膝から乗り上げると後ろの大きい窓から少女を探した。

おばあちゃんが「どないしたんや」と声をかけてくれたが、急に引き離された事に腹が立っていた私はおばあちゃんの言葉を無視した。

・・・・・・そこでその日の私の記憶は終了している。

そして場面を①の記事の六本木のフレッシュネスバーガーに戻そう。

あの日の話をお互いの視点で話しながら、色々と分かった事がある。
※めちゃくちゃ少しだけどTAKAKOのターン!!!

・関西弁を初めて生で聞いたという事
(いやこれ三重弁なんすけどね....関西人にはいじられるんすけどね....)
・あの日急に大人に呼ばれて急に帰らなくてはならなくなったと言う事
・あの建物はTAKAKOの祖母の持ち物であったという事
・TAKAKOはあの建物に全4回行った事があるのだが、その4回目に私に出会ってるという事
・TAKAKOはあの後あの場所には行かなかったという事

(なのでTAKAKOの人生においてあの場所に行ったのは4回のみと言う事になる)

そして、お互い共通している事があった。

「バイバイが言えなかった」事だった。

学生時代にこの日の事を詳細に思い出す事は1度もなかったが、きっとどこかで引っかかっていたんだろう。

ただ私の中では4歳の時に一度東京に行った事がある。という事実だけが先行して残っていた。

話は逸れるが、中学の修学旅行先が先輩たちは東京だったのに、我々の代で広島になるという生徒達にとっては大事件が起きた。
この時「初めて東京行けると思ったのに」という声が多々上がる中で
「私は一度東京に行った事があるのだ」と心でマウントを取った事は覚えてる。
※ほぼ記憶ないけど

上京する時も、4歳の時来て以来なのでぇ何も分かりません。と周囲に言うほど、あの数時間の滞在を私の東京1発目と強くカウントして、謎の東京初めてじゃないキャンペーンを独自に行なっていた。
※こんな感じになっちゃうくらい田舎出身なんですよ。もしくは私の性格がイタイだけです。あ、後者ですね。

基、そんなこんなで
「あれが最初の東京で、上京して一発目の友人があの時の子なんてどんな縁なん!!!やばない?!バイバイが言えなかったから神様がまた会わせてくれたんかな!」って感じのテンションで話は盛り上がった。
①の記事では2時間と表記しているが、おそらく盛り上がりすぎて、その倍くらい居たと思う。うん。だって通勤ラッシュだったもん帰る時。

その日は帰るや否や本当に泥の様に寝た。夕方に目が覚めた。泥になるかと思った。あ、じゃなくて起きて直ぐにやろうと思っていた。

親に電話だ。

お母さん驚くぞ!!あの時の子に私が再会したなんて伝えたら母さんめちゃ驚くだろうな!!!

「もしもしお母さん!!あのねあの4歳の時に私おばあちゃんと東京行ったやん。あの時に遊んでもらった女の子おったの覚えとる??昨日ねその子に再会したの!!すごない?」

お母さん「何??どこの女の子??」

私「あ、そうか。あの日女の子と遊んだ事お母さんに私話してないのか!じゃおばあちゃんだけが知ってるのか」

おばあちゃんはその時既に他界していた為、この興奮を共有出来ない事がもどかしくて仕方なかった。

するとお母さんが、
「で??そのことはいつどこで会ったの?」
また話を聞いてないなオカン。
少しイライラしながら答える。
「だーかーら!!4歳の時東京で!!!ほらおばあちゃんらと原のおじいさんちからバスで行ったやん!私が保育園休んだ時!!!」

電波が悪くなったのか母の返答が聞こえなくなった。

「お母さん?!お母さん!!!もしもーーーしもーしもーーし」

少しふざけながら電波確認をしていると

「あんた行ってないで」

と聞こえた。

「え?どう言う事?もしもし?」

するとお母さんが正しく言い直した。

「いやあんたがそっち引っ越すまでに、あんたが東京行ったことなんかないで」

.......。

ん???おかしくない?
だって現にTAKAKOと再開してお互いの記憶(思い出)も話して、間違いなくあの時の子だって分かってるのに。

あ、そうか夜中だったしおばあちゃんが勝手に連れて行ったから、おばあちゃんがお母さんに「東京に行った」と言う事実を隠してたのかもしれないな。

「あーじゃぁおばあちゃんお母さんに言わんかったんやな。遠すぎるとこに勝手に連れてったから言えなかったんやな。行ったのよ実は!あの保育園休んだ日ね」

お母さんは本当に不思議そうな声を出した。

「何言うとるん。あんた保育園1日も休んでないで。卒園式皆勤賞もろたやんか」

....え。

どう言うこと????意味がわからなさすぎる。
お母さんが忘れてるだけとは思うけど皆勤賞もらってるん...?て事は東京から帰ってきて速攻保育園に行ったって事??

いや時間計算的に絶対不可能。

ちょっと待って!!!とりあえずTAKAKOに電話しよう。
母に一旦TAKAKOに電話する事を告げ電話を切った。

そのタイミングでTAKAKOからの着信。

「もしもし?ルミちゃん?TAKAKOだよ」

「ちょうど電話しようと思ってた!!!なんかね私のお母さんがお前は子供の頃に東京に行った事ないよ!保育園休んだ事ないよ!って変な事言うてくるの。記憶の時系列がおかしいのかな?」と、もらった電話なのに私が一気に疑問をぶつけた。

TAKAKOは少し間を開けて

「嘘でしょ?」と。

なので私も「ねーお母さんの記憶がおかしいんだよね?」と彼女に言うと

「あのね私もお母さんに話したの。あの時の子に会えたよ。って。そしたらねお母さんが言うにはね」

なぜか私は彼女が今から言おうとしている事に固唾を飲んだ。

「私、あの場所に3回しか行ってないんだって.....。」

ん?おかしくない?

上記にしたこれ。TAKAKOのターンのやつ。

・関西弁を初めて生で聞いたという事
(いやこれ三重弁なんすけどね....関西人にはいじられるんすけどね....)
・あの日急に大人に呼ばれて急に帰らなくてはならなくなったと言う事
・あの建物はTAKAKOの祖母の持ち物であったという事
・TAKAKOはあの建物に全4回行った事があるのだが、その4回目に私に出会ってるという事
・TAKAKOはあの後あの場所には行かなかったという事

(なのでTAKAKOの人生においてあの場所に行ったのは4回のみと言う事になる)

彼女には4回確実にあの場所に行った記憶がある。

だが彼女の母は「あなたは3回しかあの場所に行ってない」と言う。

そして私の母は「あなたは東京に行った事はない。保育園を休んでいない」と言う。

これって一体何なんだろう。

このフレッシュネスバーガーから友人になって約18年経つ私たちにも答えは出ていないし、今では第三者に二人の出会いを聞かれてもこの話はしなくなった。

「初対面は六本木のあのイベントです」と答える様になった。

何故だか私は最近、世の中の流れや動きを見て、時間の軸や世界線と呼ばれるものが無数に存在してるのは本当なんじゃないかと思う様になった。

そして、今回この件を記事にして、私がもし何処かにタイムリープしてもこの世界線にはこの出来事が事実として残る様に書き残したかった。

って言ったらすごく壮大になると思って書いてみた。

ただただ夏の絵日記の様な物です。

私達はこの世界のこの時間軸以外のところで会っていたのかもしれないし(シュタインズゲート風)、もしくは肉体を必要としない意識の存在が会っていたのかもしれない(攻殻機動隊風)確かな事象なんて実はないのかもしれない。

だってね。

保育園皆勤賞だったって言われた時、お母さんに言い返さなかったけど、私には4歳の時3ヶ月入院した記憶があるんだもん。

現実って何だろう。

ただ1つ。
間違いなく自信を持って信じられる事がある。

どの世界線にいても、どの時間軸にいようとも、どの形態に変化しようとも

私はTAKAKOと言う山を登り続ける。

って事だ。


この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?