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なぜ私はTAKAKOという女を登るのか②

前回の続きです。
まだの人は↓からお読みください。

TAKAKOとの正真正銘の初対面がいつだったのかを思い出した私たちはお互いの記憶を辿ることになる。

そして今回は「ノンフィクションとフィクションを織り交ぜながらの話」になる。

理由としては、あまりにも個人を特定しやすい内容になるという事と割とセンシティブな話が絡んだりするので、場所や団体も詳細に書けない事をご理解頂きたい。

そんなわけで、私たちの記憶が繋がったところからスタート。

あ、そうそう、これもお伝えしておかなければならない。
実は私、とある理由で驚くほど記憶力が悪くほぼほぼの思い出データがデリートされていて、ゴミ箱にすら残ってないくらい真っさらに忘れるのですが、この日の記憶だけは驚くほど鮮明に残っている。
※この時〜小学校5年生の図工の時間に先生にブチギレられた時までの期間の記憶はありません。

いやそこはまぁどうでも良いか。

気を取り直して...まずは私のターン!!(言ってみたかった)

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〜4歳の私は何故あの日あの場所に居たのか〜

あの晩、家族が寝静まり深い時間になっても寝付けずにゴロゴロ体勢を変えながら睡眠導入を待っていた。目を閉じながら早く体が軽くなれば良いのにとウツラウツラし始めた頃....

「.....ルミ。.....起きろルミ」

その声には聞き覚えもあり、さほど驚く事なく目を開けた。
そこには近所に住むドラえもんにそっくりな大好きな私のおばあちゃんが枕元に立ってた。(大丈夫ここは怖くないですよぉ大丈夫よぉ)

私はぼんやりとおばあちゃんを見上げながら
「おばあちゃん死んだの?」と聞き返した。

「死んどらせん。生きとる。それよりもルミ、東京いくで。行きたがっとったやろ。準備せい」

この時の私の夢は「歌手になる事」だったらしい。
幼いながらに「東京に行かねば歌手になれない」と思っていたんだろう。
なので「東京行けるの?!!!」と興奮した。
そして「保育園に行かなくて良いのラッキー」と思った記憶がある。
幼いながらに、「おばあちゃんに言われたんだから大義名分が立つ」と考えたように思う。

両親を起こさずに、おばあちゃんに手を引かれ、近所の理髪店を経営している原(苗字)のおじいちゃんの家に着いた。
原のおじいちゃんちの駐車場には何故か見た事もない大きなバスが停まっていた。
玄関を正面にし、左手に縁側があるのだが奥が仏間で煌々とした乳白色の光が漏れていた。
近所の高齢者が沢山集まってワイワイやっていた。
遊んでんのかなと思ってよくよく見ると全員お経を唱えていた。

子供ながらに「何故こんな深夜に?」と不可解だった。

少し経つと誰からともなくバスに乗り込んで行った。
おばあちゃんは先に乗り込み私の手を引っ張り上げた。
一番後ろの席まで誘い私を窓側に座らせた。

バスが満席になると何の合図もなくバスはゆっくりと進み始めた。

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見慣れた田畑が流れていく景色を窓越しに眺めながら、私はいつの間にか眠りについていた。

目が覚めた時にはおそらく3時間か4時間経っていたと思う。
空が青色とオレンジ色に分かれていて、見た事もない高速道路の景色だった。

なんだこの広い道!!!!そうかこれが東京に行く道か!
本当に東京に行けるんだ!

興奮した私は、おばあちゃんの方を振り返った。
おばあちゃんもバスの中の全員も眠りについていた。

「みんな寝ちゃった」

そこからの記憶がなく、私の記憶の場面が変わる。

私は神々しく輝く大きな大きなお釈迦様がいる建物(大きいホール)の中に居た。

お釈迦様の周りをおばあちゃんたちが皆、数珠を持ち手を合わせお経を読みながら歩いている(登っているという表現が正確かもしれない)

私はひとりそのホールの端にあったベンチに座り、ただただボーっとおばあちゃんたちを眺めていた。

そこに女の子が歩いてきた。

「ひとり?」

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話しかけられた内容は定かじゃないんだが、この時初めて生の標準語を聞いたので随分お姉さんに話しかけられた様に感じた。

田舎から出てきたクルクルパーマの肌は浅黒く、でっぷりとした体格の私は、白い肌に綺麗な髪の毛、子供とは思えない程整った少女の顔に「東京の女や」と衝撃が走ったのを覚えている。

そう、その少女こそ今回の山。TAKAKOだ。

だめだ。また次回に繰り越しますwww



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