ワン・ビン監督『青春』が素晴らしかった

ワン・ビン監督の『青春』を観た。
215分の尺が劇場に足を運びづらくさせていたが、打ち合わせの帰りがてらに観にいった。

ワン・ビンの作品は劇場泣かせの尺だと思う。
でもどうしたってその尺での観客に体験をさせるのは集中出来る映画館でしかない。
もちろん配信やソフトでも可能なんだろうが、あの独特の感覚はやっぱり映画館がイイな。

都内で一つしかかかっていないイメージフォーラムに足を運んだのは紛れもない"ドキュメンタリー"を浴びたかったからだ。

最近は僕の仕事でも様々なインタビュー撮影がとても増えた。この2ヶ月だけでものべ30人はインタビュー撮影をしている。
そのベースにあるものはもちろん"ドキュメンタリー"だが、用途の目的としては集客のためだったり、イメージアップのためだったりと多岐に渡る。ものによってはその映像を更に"増し"ていかなきゃいけなかったりもする。

こうして仕事がもらえていてとてもありがたい一方で、自分の中では似たような画角と、似たようなスタイルが続いてしまい、定型化していっている自分の"ドキュメンタリー"に自分の中でやや疑問を感じ始めてきた。

もっと動き回る被写体を追いかけたいし、三脚からカメラを外したいなとも思った。
それは多分僕の渇望だし欲望でもあるのだろうなとも思う。ルールはないはずなのに、自分でルールを作ってしまっている。
三脚に置くこと。バストアップと、引きの画、二つのカメラで撮っていることなど、いつのまにか自分の仕事を自分で定型化していっていた。

どこかでそれをしっかりと向き合って、課題となっている部分は自分の創作でぶつけていく必要があるわけでだが、まずは栄養摂取というわけでワン・ビンの映画を見にいくことにしたのだ。そう思えれる自分の循環は日常的にバランスを取れているっちゃ取れている。

これが良かった。本作は画質も画角も別に格別いいわけではない映像から、「生」の芳醇さが滲み出ている。
なんて事のない口論のシーン、カップラーメンを食べるシーン、タバコを吸うシーン。それらが全て動的な人間の愛おしい活動として迫ってくる。(ちゃんとそういうふうに感じ取れる余白と構成と編集がなされている)

あらすじらしいあらすじはないけど、映画.comには
上海を中心に、大河・長江の下流一帯に広がり、中国の高度経済成長を支えてきた長江デルタ地域。織里という町の衣料品工場で働く10代後半から20代の名もなき若者たちにカメラを向け、彼らの労働と日常を記録する。

とある。

映画はミシンでひたすら単調作業を繰り返していく人たちを映し出している。
こうして大量にファストファッション化していく衣服は作られているのだろうなと自分の生活圏との想像を結びつけられる豊かさがあるのだが、やや殺風景な光景と、ミシンがかなりの旧式のようにも見えて、独特な空間となっている。

凄まじいスピードで手慣れた手つきでどんどんと服を縫っていく人たち。
つまり沢山作ることで歩合で給料が支払われるためだからだというのがわかる。
モチベーションになっているのは"良い服を作るため"ではなくて、金のためだ。
逆に言えばその仕事の臨み方に良いも悪いもなく、それが均一化された衣服を縫うために必要な動機なのだと感じる。

つまり「お金を得ること」は人間が働く上でのモチベーションとして"最上位に位置する何か"であることが画面から伝わってくる。
我々日本人の働き方改革よろしく、そんな議論の余地すらこの空間にはない。"やりがいのため"などと言っていられるうちは華だなあと思えれるくらいに、ここの人たちに仕事をする上でのモチベーションや生きがいの選択肢はなく、ただ目の前にあるミシンでひたすら服を作り続けていく人生を過ごしている。(もしかしたら他の選択肢があるのかもしれないけども、限りなくないように見受けられる)

この映画、社長に賃上げ要求をするシーンが多く出てくる。
決まった額を定めてから仕事をしていく日本と違って、後から額が固まっていくここの世界では一番の生命線になるシーンだ。
社長と従業員の話し合いは凄まじい生活感を醸し出している。かしこまっていないし、凄まじく自由な発言が出来る空間になっている。
面白い。

橋本-長州の「コラコラ問答」に相当するようなエネルギッシュなシーンが何度も出てくる。

中国人特有のものなのか、このエリアに住んでいる人たちだからこそのそれなのか判然はつかないが、時にものを投げあったり、襲いかかったり凄まじいエネルギーを持ち合わせている。それだけ真剣だ。刺し違える覚悟とも言うべきか。日本の不良文化や西成の土地とも違う。荒れていないけど、荒んでいる何かは見受けられる。

労働に対する賃金に、誰一人として観念していない。賃上げのために諦めないエネルギーが空間に充満していた。
自分の生活を少しでも前進させるために、少しでも生活に彩りを与えるためにエネルギーをぶつけていく。納得する着地点に到達するために誰もが真剣だった。

そんな「カネと生きること」の切っても切れない関係が充満しているのだが、本作の魅力はそれだけではない。

ミシンで服を縫い合わせる単調作業。だがその単調に流れる時間の過ごし方が人それぞれ違うからだ。
そこに本作のタイトルでもある「青春」が匂う。

ミシンをしながら、歌謡曲を流して歌いながら縫い合わせを行う者。ただ淡々と顰めっ面で作業的にやる者。誰かと駄弁りながら、時に戯れあったりしている者もいる。単調な作業はその人それぞれの個性を映し鏡にする。

そういえば僕もよく鼻歌を歌う。昔は事務所で編集していた時によく鼻歌を歌ったり、独り言を言ったりと僕の働き方はよく別の誰かにイジられていた。そう言う意味では少しでも楽しそうに仕事をすることが僕なりの労働に対する抗いだったのかもしれないなと、ふと思う。

狭い部屋の中で二段式ベッドで寝泊まりをして、スマホをイジっている男の子たち。
スマホに写っているのはアイドルか何かなのか、その子がタイプかタイプじゃないかだとか話したり。

そんななんてことのない光景が不思議と青春に変換されてくる。

賃上げ要求をしたり、アイツはケチだと愚痴ったり。それのどこが青春なのだろうと思うのだが、この映画は確実に青春が覗き見している。
どんなに暗い部屋にいても、どんなに暗い工場にいても青春という光が覗き見をしているのだ。
差し込んだ光は生きる活力に満ちている。

自由に動き回るカメラは僕に元気を与え、またモチベーションを与えた。
つくづくいい映画を見たなと思う。


日経新聞の切り抜き。大事なことが詰まってる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?