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村長の引継ぎ⑫

《結婚相手》

 ある日の夕刻、村長室の机を整理して仕事を終える準備をしていたら、河野さんが開けっ放しにしているドアをノックして、いいですか、と入ってきた。どちらかというと、ほぼ私の方から声をかけ、面倒くさそうな顔をされるのが常なのだが、どういう風の吹き回しかと、入り口でもたついていたので、どうぞ、椅子があるんで座ってください、と最近買った簡易椅子を指さした。

 彼女は躊躇せずに座り、あのー、村長さんは、あのー、山那の、あのー、お姉さんと、付き合いましたかぁー、と思いがけない話をし始めた。いや、あれは親父が勝手に言ったのか、山形さんが勝手に言ったのか知らないが、付き合うもなにもないからな、と。

 山那里美さんは、私と同様に一度村を離れたのだが、事情があって、おそらく離婚したかで戻ってきた口だった。それで美人なのだが、三十過ぎで結婚しておらず、家の中で粛々と過ごしているとのことだった。
 母経由の話では、彼というのが銀行員で、彼女が農業高校の夏休みにコンビニでアルバイトをしていたときに見初められて、高校卒業後にバイトをやめて村で家事手伝いをしていた頃、彼が娘さんをくださいと申出にきたということだった。

 当時私は村にいなかったので詳細は又聞きなのだが、その男性はスーツで山を登ってきたらしく、途中で転んで額から血を流しており、結婚の申出の日に山那家で介抱されたということだった。
 そうした経緯もあり、彼の身元も確かだったので、めでたく結婚したのだが、子宝に恵まれず、銀行員ということで、数年おきに引越し、実家に帰ることも滅多になくなった頃に、突然戻ったとのことだった。
 彼女はこの村特有なのか多少気性も荒いので、おっとりした旦那では合わなかったのではないかとの噂だった。

***

 ところで、河野さんは山那さんとは知り合いなの? と聞くと、あの旧村長の演説以来、監査役の山那さんが娘に話したらしく、そもそもあの演説を聞いた人からも、どうなのといった話が途切れなかったらしく、本人は大変迷惑しているとのことだった。
 ああ、それはまずいことになったな、ただ私が謝っても仕方ないしなあ、それで、彼女はどうしたいと話していました?と聞けば、それで、里美のお姉さんは、一度きちんと話して、変な噂にならないようにしたいと申しておりました、と。

 会ったら会ったで、逆に噂になるんじゃないかなと思いつつ、彼女が子供だった頃の可愛い姿を覚えているのと、今は実家にこもってすっかり外に出ないということなので、間接的なお詫びとともに、何か楽しい話でもしてやりたくなって、久々に街に出て話でもしようかと思った。

 翌日河野さんに手紙を渡して届けてもらうように頼んだ。内容は手紙を書いた経緯と、分校のことで隣接市の本校見学に滞在する期間に、街の茶店でお会いできないかといった主旨だった。
 二日後の昼飯後に、実家で食べて役場に戻ってきたタイミングで、河野さんが窓から両手で丸を作って里美さんからの回答を伝えてくれた。

***

 翌週の出張は二泊三日で、教育現場の見学のほかに、市の講演会に十分間だけもらって体験合宿の意義について話す機会を頂き、企業からの協賛金を募集する仕事もあった。子供らが自然に親しむ教育を支援することは企業イメージアップにもつながるからだ。
 出張が終わった翌日は休日で、彼女が着ける昼時に、街ではまあまあ知られている喫茶店で待っていた。

 会うこともそうだが、彼女はどうやって親に話して来るのだろうか、という心配もあった。監査役の山那さんはおっとりした方で人望もあり、娘が一人身なのを気にしていたが、歳を追うごとに周囲の適齢期の男性は年下と結婚していき、出遅れ感が増していった。
 しかし、彼女も十分に社会を経験した大人だった。ひょっこり喫茶店の入り口から顔を覗かせると、ここですね、こんな隠れた席で怪しまれますよ、と軽い雰囲気で話が始まった。

 私の方から河野さんから聞いた話と、一通りのお詫びと、久々の街に出た話などを一気呵成に話していった。
 彼女はそこから私よりも長々と、これまで村を離れてからの苦労話を語りだした。コーヒーと簡単な食事をして、再び彼女は、どこまで話しましたっけ、あ、三回目の引越し先ですね、と、話は永遠に続いた。彼女の一生懸命に話す口ぶりは可愛らしく、村から出てデートをしているような錯覚があった。

 日が若干暮れだし、夜道になると危険なので、そろそろと促すと、私は今日友人宅に泊る約束をしてきたから大丈夫、高校時代の親友で、家も広いから、と茶店に長居した。
 友人宅は意外と近く、そこまで送ることにしたが、別れ際に、もう村の噂になっているけど、どうするつもりなの? と投げかけてきた。

 私にはどうにもならないことだけど、噂通りに付き合ってみるのもいいかなというのが本音だった。手紙にも書いたけど、私の意志というよりは、親父たちが勝手に言ったことで、と言いながら、私が就職の手前で実家に戻っていた頃に、彼女が高校生で、道ですれ違ったときに、久しぶりだね、高校生かあ、早いなあ、僕は春から就職だよ、といった会話をしたのを思い出した。
 目の前の彼女は大人になっていて、髪の香りもしてきて、話しかけながら見とれていた。

 噂話で申し訳なかったけど、私は里美さんのことは可愛い妹みたいに思っていたよ、と思わず口から出てしまった。里美さんはそれを確認したかったような節もあり、そうなんだあ、明日また会わない? といって電話するからと別れた。
 明日は休日なので、村上さんのいた魚市場に出かけて、彼の店にお礼を言いに行こうと計画していた。一緒ならば、彼女も連れてそこでお昼でも食べよう。

 私は彼女が一度離婚したことは、余り気にならなかった。その原因は彼女の話では、向こうの姑が子供ができないことを何度も咎めるように電話してくるので、最後はじゃあ別れてお互い再婚すれば、どちらが原因かわかるんじゃない!と啖呵を切って出てきたとのことだった。
 旦那が嫌いなわけではなかったが、鬱積したものが爆発してしまった勢いもあった。

 おっとりした父親は彼女が火の玉のようになるとどうにもできなかったし、母親も自分の血筋なので仕方ないと諦めていた。

 翌日の市場でのデートは、お互いに結婚を約束した者同士のようになっており、彼女は私の腕に手をかけ、お互いに幼馴染でもあるので、そうしたことが自然に思えていた。

【村長の引継ぎ】
最初の話:村長の引継ぎ①《着任の日》
前の話:村長の引継ぎ⑪《開校式》
この話:村長の引継ぎ⑫《結婚相手》
後の話:村長の引継ぎ⑬《結婚式とその後》

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