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"圏外"に目を向ける
近藤康太郎先生の「おいしい資本主義」には、本質が書かれていた。ぜひとも手に取って、読んでみてほしい。
「ワーク・イズ・ライフ〜宇宙一チャラい仕事論〜」でどんばまりした近藤先生。ライターとしての技術はさることながら、ガッツンきたのは考え方だ。
ちょっと離れた角度から、スパコンと問題点を喝破する。大学で、哲学を専攻されていたというのは納得。公務員・議員批判などのいわゆる「ウケそうなネタ」ではなく、もっと広い視野から問題提起してはる。
「グローバリゼーション」は、いまや魔法の言葉になっている。「だって、それがグローバリゼーションですから」と言いさえすれば、どんなちゃぶ台返しも許される。インチキも正当化されるマジックワード。
インドと日本では物価水準は全然違うのに、給与はインドの労働者にあわせていくのだという。「だって、それがグローバリゼーションですから」。
そして、欧米の「株主主権論」に偏った会社観にもとづいて、経営者の給与は、欧米並みに引き上げるのだという。「だって、それがグローバリゼーションですから」。
2001年9月11日、アメリカで同時多発テロが起きたとき、私は10代だった。アクション映画のワンシーンみたいに、崩れていく大型のビル。泣き叫ぶ人々。
ニュースの映像を見て思い出したのは、恩師の言葉だった。
英語の長文講座で出会った恩師は、授業のたびに「イスラエル・パレスチナ問題を注視しておきなさい。あれが諸問題の起源のようなものだから」と言っていた。長文として出されるテーマは全て、海外の諸問題に関するもの。
「世界を知りなさい」「政治に目を向けなさい」
そう言われていたけれど、当時の我が家は極貧で、講座を受けるためにバイトをする日々。海外留学・海外旅行なんて、夢のまた夢。
ただ、政治をしっかりと監視しなければならないことは理解できた。選挙権を得てからは投票に行き、公約もチェックして自分なりに信用できる人を選んだつもり。少なくとも、政治に無関心ではなかった。
けれど。
公になる以外の情報を、自分で調べることはしなかった。まさか、平気で公約を破るなんてことが、まかりとおるなんて。根性よしの甘ちゃんすぎた。
その点を深く反省し、もう同じことはしないと決めている。
✳︎
前職のころはとんでもなく忙しく、給与明細なんてほとんど見なかった。額面で「お、今月はこんなに多いか」と喜び、振込額を見てガックリする。なんか10万円近く違うけれど、年金・社会保険料ならまぁ、しゃあないか。
ただ、フリーライターになってFPを勉強し、税金・年金・制度関係の記事を書き始めた私。片っ端から国の資料を読んでいくうち、ふと「え?これって社会主義と似ているよな」と思う。
いや、もっとタチが悪いかも。
天引きして「分配」するならまだしも、限りなく偏配だ。配るなら最初から取らなきゃいいのに、絶対にそれはしない。
控除は支払う税金額を減らすものだから、そもそも税金を支払っていない人からしたら不都合。「国民が安心して暮らせるように」の決まり文句で、頑張る人が損をして、そうではない人たちが得をする世の中が作り上げられていく。
✳︎
「金さえあれば、なんでも手に入れられる」
そんな思想がはびこる中、近藤先生は「違う生き方がある」と指摘する。
ではどうするか。
こんな"グローバルな"経営者に唯々諾々と従って、自分に付加価値つけるため、日本人だけの会議も英語でしゃべるとかいう茶番に付き合うか? それとも、年収百万円のほうに収斂され、体をぶっ壊すまで働くのか?
わたしたちが生き残る道って、それしかないのか?
そうではない。ほかにも道があるはずだ。資本が隠蔽しているだけ。それしか選択肢はないように、見せかけているだけだ。
根拠はないが、そんな直感が、自分にはあった。
そんな近藤先生が選んだのは、朝日新聞の仕事を続けながら、毎朝1時間、農業をする生き方。資本主義から片足を抜く「オルタナ農夫」を続ける近藤先生が、サラリと書いている章がすさまじい。
もしも、この本がベストセラーになり、世の中に変人が増え始め、わたしのような、けしからんオルタナ農夫が、数十万人の規模で全国に発生したとしたら、どうなるだろうか。
いまから想像がつく。グローバルな大資本は、必ずオルタナ百姓をつぶしにくる。彼らの"番犬"である国家に吠えたてさせ、追い散らかしにくるはずだ。
結局のとこ、自分の目で見て、頭で考えるしか道はないと思う。考えさせないようにしてくるなら、思いっきり考えてやればいい。
自由に学べる時代にあって、無知でい続けるのは罪や。だれでもない、自分に対してそう思う。
✳︎
本の終盤には、同時多発テロのエピソードも書かれていた。テロが起きたあの瞬間、近藤先生は、あのツインタワーの近くにいたそうだ。
北棟が崩れ落ちた瞬間、横にいた黒人女性たちが、小さく悲鳴を上げ、嗚咽をもらして泣き始めた。その涙を、わたしはいまも忘れない。
中略
ニューヨークを象徴する、アメリカの資本主義とその繁栄を高らかに誇る摩天楼が崩れた。宏壮で華麗なビルディングが崩れるとは、だれも予想していなかった。それが、なんともあっけなく崩れた。絶対だと信じ切っていたものも、崩れることがあるのだ。
「善行」でカモフラージュし、ソローリソローリと進めていくのは歴史の常。事が起きてから、「なぜ?」「こんなはずじゃなかった」と慌てても、もう遅い。
着々と悪化していく状況。母として「子どもたちにどう説明しよう」と、今から悩んでいる。あらいざらい話すには、あまりにも過酷すぎる現実だ。
子どもたちに、「いい国やで」って堂々といえる日本であってほしい。
いつの時代も、泣きを見るのは庶民と決まっている。「おかしい」と思ったのだから、ノーをつきつける。微力やけど、できることをするしかない。
曲がりなりにもライターやから、書いて訴える。
アホにされたままではアカン。
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