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疲弊する社会から"ばっくれる"アイデアがココに

近藤康太郎先生の著書「アロハで漁師、はじめました」は、「おいしい資本主義(文庫本:アロハで田植え、はじめました)」の続編といわれている。

オルタナ農夫が猟師になり、新たな気付きを得るまでの体験が、近藤先生ならではの「ユーモアで包んだ真理」を交えて書かれていた。



政治家の不正に家族の殺害、自殺……。
暗いニュースの根っこには、ほぼ間違いなく「カネ」がある。

カネ(x)はなににでも、(a、b、c、d、e……)変えられる→カネさえあればなんでも買える→カネで買えないものは世界に存在しない、仮に存在しても無価値なものだ。おなじみ、資本主義社会の大テーゼである。

わたし自身はこれを、たわごとだと思っている。かわいそうな人間だと思う。しかし、現在の高度消費社会に生きる多くの者が、子供から老人に至るまでが、このたわごと(幻想)を頭から信じ込み、洗脳され、残念な日々を生きている。

近藤康太郎さん著「アロハで漁師、はじめました」より


かくいう私も、お金には苦労してきた人間だ。今だって、子どもの頃ほどではないものの、絶え間ない物価高に苦しめられている。家計を考えながら買い物をするとき、ふと「お金持ちだったら、悩まずにポンポーンと買えるのになぁ」と思うこともある。

ライターの仕事とて、例外ではない。オファーがあった際には、必ず「ある程度の報酬をもえらえるか」「作業量に対して報酬は正当(自分の中で)か」を確認する。

希望者が多いライター業界にあって、甘い言葉で都合よく動かす「使い捨て」の危険性は高まっている。「雇ってくれるならどこでもいい」ではなく、取引をする相手をしかと見極めないとアホを見るのは自分だ。


一方で、「稼げる」というワードに流されず、冷静な目で取引先の将来性や社員の人柄などをチェックする自分もいる。

結局、いい仕事につながるか否かは「人との出会い」にかかっているからだ。目指す方向や大切にするもの、総じて「価値観」が合う相手が、長く取引するに値するだろう。

偉そうに感じるかもしれないが、誠実に仕事する以上、取引先を選ぶプライドは必要だと思う(しょうもないプライドは不要ね)。


「ここ!」と思った取引先には、損得なしで関わる。困っていたら「やりましょうか?」と手を挙げる。振られた仕事は断らない。分からないままで進めると危うい点は、確認しながら進める。

コスパだけで考えたら、悪いだろう。けれど、このコスパ度外視なやり取りなくして、信頼関係は築けないと思う。


ある程度の報酬を求めつつ、稼ぎにはこだわらない。

この矛盾した感情が自分でも分からなかったが、本書を読んで納得した。これこそが、お金を超える、お金に左右されない「人情」だからだ。

そこには人間どうし、好意を受ければ、自分もなにかお返しをしたくなるのが人の情だ。自分にできることといえば労働だけなので、大地主の耕作放棄地は、夏場の重労働の草刈りを、わたしが引き受ける。

カネを払って、出張土産になにか東京土産でも買ってお返しするのもありだろうが、村に逃げてきてはや六年、そんなことでは、少し軽蔑されるような感触を、わたしは持っている。農作物は農作物で返す。好意は好意で返す。そこで初めて、一人前として尊敬をかちえる。

近藤康太郎さん著「アロハで漁師、はじめました」より

「お金で買えないものは何もない」「カネさえあれば、全てを解決できる」

うんざりするような思想が、近藤先生曰く「洗脳」であったことにホッとする。

それならば、まだ救いがある。


閉塞する資本主義社会から逃げ出すのではなく、「ばっくれる」。どっぷり浸かっているところから片足を抜き、少し上から「違う生き方はないの?」と考えてみる。

貨幣は便利だ。なににでも/なにからも、交換可能だ。逆説的だが、だからこそ貨幣の能力は限定的になる。強度がない。弾力性がなくなる。カネの切れ目は縁の切れ目。

ところが、鴨でも猪でも鹿でも、米でも野菜でも、あるいは、農作業の手伝いなどの労力でも、モノやサービスを無償で贈与すると、縁に切れ目がなくなる。なぜか。

人と人とがつながるからだ。顔を見知った、声をかけたことがある、笑いあったことさえある人間同士のネットワークができるからだ。

かくして、無償贈与による交換形式こそ、貨幣の物神性(フェティシズム)から逃れる、恐らく唯一の武器となる。

近藤康太郎さん著「アロハで漁師、はじめました」より


この仮説は、農作業に限られた話ではないと思う。ライターの仕事にも、オンライン・オフラインの違いはあれど「人」がいる。

当たり前だけれど、人とのつながりは職業を問わない。つながりが楽しい仕事を生み、疲弊しない働き方に通じる。


行動で「人を大切にしている」企業と取引することが、今の私にできる最大限の「ばっくれ」だ。







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