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私はビジネス母親。

2018年12月。私は母親になった。ビジネスのために母親になった。

私の仕事は教員。大学院を出て小学校教諭として念願の職に就いた。4月2日に教室準備のために、「自分の教室」に入った時のゾクゾク感を忘れない。

夏休みにあった個人懇談で衝撃を受けた。10年近く母親やってるでしょ?っていう、年齢も自分よりかなり上の保護者が、開始早々に「先生〜うちの子が家で大変なんです〜」と泣きついてきた。「え・・・っと。」言葉を失った。その子はクラスでとてもおとなしく優秀な女の子だったから特に話すことないわ〜どうしよう。と思っていた矢先のことだった。

あ〜、母親っていう生き物は単純に「自信がないだけなんだな」と何かを察した。教員から見て「どうやって育てたんだ!?」と思うような素敵な子どものお母さんですら自信がない。子育てに自信があるような保護者(母親)には一度も出会ったことがない。

教員の仕事が好きすぎるから一生やり続けてもいいと思っていた。ただ一つ足りない何かがあった。


「自分が親になったことがない」


当事者意識をもちたかった。なぜ母親たちはあれほど自信がないのか。やってみないとわからない。そう思っていた。産んでみたかった、育ててみたかった。ただ、本当に妊娠できなかった。ある程度の避妊の知識はあったのに、妊娠の知識がほぼ皆無だった。(もっともっと妊娠する神秘、伝えたいなぁ)

ただ、本当に医療技術の進歩はめざましい。私は多分10年くらい前だったら子どもを産めない人だったと思う。とにかく縋れるものは縋った。辛く悲しいこともたくさん経験したけれど、私にとっては大切なプロセスに過ぎなかった。

産んでから分かった、「母親文化の独特さ」。

生まれてから検査・検診の嵐。予防接種に追われる日々。そこから育児がスタートするんだから。常に「平均よりも遅くないか、早過ぎないか」。測っている方・検査する方は流作業でも、受ける方は母性という「レーダー」が反応する。「えっそれって・・・・・大丈夫でしょうか。」言わないにしても引っかかる。携帯で調べる。人に聞く。児童館で他の子と比べてしまう。育て方が悪いのかな。もう少しこうした方がいいのかな。大丈夫かな。スパイラル。常にそんなマインドなわけではないけれど、結構そういうヤツがやってくる。(ちなみに落ち着いているはずの子どもが寝静まったあとは家事をやらねば、という謎のスイッチが作動する。誰かそのスイッチを壊す機械を作ってくれ。母が壊れる原因の一つなんや。)

そんなモードが母親には(特に日本の母親には)もれなく標準装備されていると思っていい。それがずっと続いていく。そりゃ自信がなくなるはずだわ。いろんなところで評価され、検査され、審判を下され。



ただ一つ言えること。



大丈夫や。よくやってきた。もう産んだならあとはほかっておけ。子どもは強い。

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