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物語の断片を拾い集める

残念ながら、人と人は分かり合うことはできません。これは、紛れもない事実です。相手のことを理解した気になってしまうから、相手のイメージをどんどん固定化してしまいます。僕は、久しぶりに友人に会う度に「昔と比べて、変わったね。丸くなったというか、話しやすくなった。」と、言われます。ここ数年で、定期的に会う友人からは、「やっぱり、変わらないね。そのまま自分の道を進んだ方がいいよ。」と、まったく真逆のことを言われます。

どうしてこのようなことが起きるかというと、人によって見ている側面が違うからです。人間はたくさんの要素の積み重ねで構成されています。たとえ、家族であったとしも分かり合うことができないこともあります。僕は、両親に「説明されても、何を考えているのかわからない」と、突き放されてきました。それを小さい頃から経験してきたからこそ、僕は自分から他者に歩み寄ることができなくなってしまいました。人と人が分かり合えないことを理解してからは、他者に対する興味を失ってしまいました。僕は、傍観者として遠くから眺めるようになりました。特にプライベートになると、より内向的になってしまいます。集団で行動する時は、その枠組みのなかで自分の立ち位置を見定めて、求められている自分を演じていくようになりました。集団で行動しなければいけない時間が終われば、本来の自分に戻れる独りでいることが落ち着きます。僕にとって、学校は本当に息苦しい環境でした。なんで毎日同じ人に会わなければいけないのだろう、なんでこんなに閉鎖的で限定的な人間関係を続けなければいけないのだろう。大学生になってからは、独りでいても許される環境であり、人間関係も自由に構築できました。合わなければ離れることで、こんなにも楽になるのだと実感しました。

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だから、ここ数年で出会った友人には、本来の自分の断片を見せることができています。僕は、表と裏のない人間だと思っています。飽きっぽくて、我が道を進んでいます。昨日と今日で言っていることも、取り組んでいることも変わることがあります。そして、人のことにはあまり興味がないです。ただ最近は人に興味ないだと、あまりにも冷たすぎると思いました。要するに、人と会話することには興味なく、人と対話をしたいということです。なんて面倒くさい人間なんでしょう。

そんな僕が興味があることは、物語です。物語には、必ず始まりと終わりがあります。そこに描かれていることが断片的であるにも関わらず、感情を動かされます。練り上げられた物語には、誰も干渉することはできませんし、書き換えることもできません。それだけ物語には力があります。物語に力があるからこそ、炎上することもあります。断片に隠された真実と虚偽を見抜くことなんてできません。それは、私たちが見ている側面が限定的であるからです。物語には終わりが存在していることに気づかずに、拡大解釈してみたり、都合のいい部分だけを切り取ったりと、悲しくなることがあります。

人の数だけ物語が存在している中での、人間関係は交差点のようなものだと思っています。相手のことを理解したと思った瞬間は、黄色信号です。一回、立ち止まりましょう。赤信号があるから、青信号でまた進むことができるのです。時には道を譲ることも必要になるでしょう。時には事故が起きてしまうこともあるでしょう。一度壊れてしまったものを修復するには時間はかかりますし、一生残る傷になる可能性もあります。人生とは物語の始まりと終わりの連続で続いていきます。

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僕が、写真を撮ることは今では当たり前のことですが、過去の僕を知っている人からすれば驚くと思います。それを毎回、人に会う度に説明することがしんどい時もあります。写真を見せて、僕の考えていることが伝わったら、それは奇跡のような瞬間です。その人とは、生涯の友人になると思います。だから、こうやって僕が考えていることの断片を残していくことで、物語の1ページになっていきます。たとえ、拙い文章だとしても、言葉には書き手の残像が残ります。読み手のことを考えて文章を書いていけば、読みやすくなっていくとは思いますが、僕にはその能力が欠けています。それは僕がこれまでの人生で人と距離を取ってしまい、近づくことから逃げてきたからです。会社を辞めてから、人間関係の難しさを改めて感じました。僕はこれからどうやって、人に歩み寄っていけばいいのかわからなくなってしまいました。その時に、物語の断片を拾い集めることができたらもっと楽に生きていけるんじゃないかなと思いました。幸い僕は、自己開示することにあまり抵抗もないですし、表と裏がありません。陰で誰かの悪口を言い合うくらいなら、断片的にnoteで綴ることで、少しでも生きやすくなればいいと考えています。言葉は魔法です。言葉は無限です。言葉することで、他者に歩み寄っていきます。

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noteを再開してから、日々の暮らしをより鮮明に感じ、愛おしいと思える感情が芽生えていきました。まだまだ小さい芽ではありますが、自分を俯瞰的に観察して、定点観測をすることで、新しい自分を発見があります。考えていることを言葉にする難しさを身を持って知ったことで、改めて書くことは人生の営みであると言えます。日記を書く、手紙を書く、書くという営みはどんな時代でも色褪せることはないのです。

自分のスタイルに合わせて、これからも写真を撮り続けていきます。

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