親の知らぬ間に生えた歯は、なにを思っていたのか
親の知らぬ間に生えた右上の奥の親知らずは、親が知らぬ間に抜かれた。
アルミのトレイにコロンと、見知らぬ歯が横たわっていた。その歯は、ぼくが知っていた「抜けた歯」とはまるで違っていた。根元は尖っていた。歯茎の奥まで刺さっていたことがわかる。それに、血がびっしりついていた。その歯にとって不本意にも抜かれたのだ。
昔、実家の2階から投げた歯とはまるで違っていた。それはホモ・サピエンスの歯だった。
その歯は、ぼくの身体に、いつの間にか仲間入りしていたヤツだった。昔から俺たち仲間だったよねという顔で居座った彼は、勝手に虫歯になっていた。
トレイに横たわる彼の側面は、少し黒くなっていた。
じっとその歯を見ていたぼくを察したのか、歯医者はその歯を手に取り、針金のような尖った道具で黒いところを突っつき始めた。すると、脆くもポロポロと、彼の黒いところは崩れ落ちた。
身体の中にあれば崩れなかったかもしれないその歯は、目の前でボロボロになった。
その歯は、望まれることなくそこにいて、悪事によって退場させられ、抜かれてもなお身体を弄ばれるのだ。
彼の存在は一体なんだったんだろうか。なにを求めていたのだろうか。そこにあった意味はあったのだろうか。もし、ぼくがその存在に気がついていたら、彼はこうはならなかったのだろうか。ホモ・サピエンスの進化の過程で、彼は、彼らは、残ったのだ。残り続けた彼らは、なにを思い、ぼくから離れたのだろうか。
立つ鳥後を濁さずというが、親知らずは、口の中を血だらけにして去っていった。彼の、存在を認められなかった彼の、最初で最期の意思表示だったのかも知れない。
#日記 #エッセイ #コラム #親知らず #歯 #コミュニティを考える
読んでいただき、ありがとうございます!とっても嬉しいです。 いただいたサポートは、読書と映画に使いたいと思います。