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【劇団四季】『アラジン』を分析!

今回は【劇団四季】による『アラジン』
こちらの作品を電通四季劇場[海]にて鑑賞してきましたので、その感想を書いていきたいと思います。

2024年 5月3日 昼公演キャストボード
カレッタ汐留

『アラジン』について

Story
「自由」と「未来」を求める青年と王女、そして魔人。
神秘と魅惑の都・アグラバーで、「魔法のランプ」が、
3人の運命を引き寄せる!

砂漠に囲まれた神秘と魅惑の都アグラバー。
その下町にアラジンという青年が暮らしていた。
貧しい生活のために、市場で仲間たちと盗みを繰り返し、衛兵に追われる日々。
だが亡くなったばかりの母親を思い慕い、いつかは真っ当な人間になってみせると心に誓っている。
一方、アグラバー王国の王女ジャスミンは、王宮での生活を窮屈に感じていた。
王から結婚を急かされているが、法律に縛られ、「王子」の位にある人間としか結婚できない。
聡明で自立心ある彼女には、それは耐えられないことだった。
自由になることを心から願う彼女は、とうとう王宮を抜け出し、街へと降りてしまった。

公式サイトより引用

「四季版」は徹底的なエンタメ重視の姿勢!

客席から舞台を撮影

アニメ版と実写版の間にできた「舞台版」

さて、今回鑑賞してきた『アラジン』
1992年にディズニー長編アニメーション32作品目として公開され、ディズニールネサンス時期の作品で、今もなお絶大な人気を誇る、ディズニーを代表する作品の一つだ。
また、最も今作で有名な、魔法の絨毯で世界中を旅するシーンで流れる曲『ホール・ニュー・ワールド』(A Whole New World)はアカデミー歌曲賞を受賞(1993年)するなど、後世に残した影響も大きい。

その後、2019年に『アラジン』はディズニーによって実写リメイクされたことも記憶に新しい。

さて、今回の「劇団四季」の『アラジン』は、ちょうどこの二つの『アラジン』をつなぐ「中間地点」のバランスで作られた作品だと言える。

そもそも舞台番がアメリカのブロードウェイで開演されたのは2014年。
日本で「劇団四季」による公演が開始されたのは2015年、日本ではそこから今日までロングラン公演され続けている。

つまり1992年のアニメ版、2019年の実写版。
これらの間に制作されたのが舞台版『アラジン』というわけだ。
個人的にはこの3つを比較して観ることに非常に意義深さを感じた。
この点から今回は劇団四季『アラジン』を評していきたい。

可能なこと、不可能なこと

さて、今回の舞台版で最も印象深いのは「動物キャラ」をオミットしている点だろう。
アラジンの親友・相棒として活躍する猿の「アブー」をはじめ、ヴィランであるジャファーの相棒であるオウムの「イアーゴ」
ジャスミンの相棒である虎の「ラジャー」
これら全てが舞台版では登場しない。

実写版ではCGを用いてリアルに登場はさせているが、舞台版ではやはり、これらを再現することは難しいと判断したのだろう、これらのキャラクターを全て人間に置き換えているとも言える。

「アブー」はアラジンの昔からの親友3人組オマール、バブカック、カシームというキャラクターに変化している。
「イアーゴ」は、ほぼそのまま人間に「イアーゴ」として登場していて、アニメ版よりも「コメディリリーフ」としての役割が強くなっている。
「ラジャ」はジャスミンの侍女として出てくるが、「アニメ版」ではラジャがジャスミンの逃亡に手を貸すが、今回は侍女たちが変装のアイデアを出し、俗世間に出ていくのを助けるなど、ラジャの役目を担っている。
(ちなみに実写は「ダリア」という侍女にフォーカスしてジーニーとの恋愛を描くなどしているが、当然そうした要素は今作にはない)

特にフォーカスされるのはオマール、バブカック、カシームだ。
単純にアブーを3分割したキャラというよりは、例えばリーダー格のカシーム、思慮深いオマール、食べ物に目がないバブカック。
というように、割と強めの個性をそれぞれに与えて存在感が出るようにアレンジをしている。

そして、忘れてはいけないのは、この作品で最も個性的な存在「ジーニー」だろう。
四季版のジーニーが上映開始前アナウンスを読んだり、そこで「笑いたい時は笑ってください」と伝えるなど、物語の開始前から観客席と舞台を繋げる役目をしている。
さらに終幕後のカーテンコール最後の最後まで残るなど、「ジーニーに始まり、ジーニーに終わる」という、物語を超えた存在として登場する。

特に前半の大見せ場「フレンド・ライク・ミー」は10分近い尺があり、ジーニーがセリフで「この後長尺の歌があるんだ」というセリフを発するなど、かなりなメタ発言をしたり、浅草で購入した提灯を出すなど、日本アレンジ小ネタなどを随所に散りばめてくる。

ちなみに「アニメ版」「実写版」でも、少なくともこの時代のアラビア世界にはない価値観をギャグとして見せるシーンはあるが、四季版も「時代感を無視するダイナミズム」はしっかり描いていた。

客席もこのシーンは楽曲に合わせて手拍子をするなど、ライブ会場のような雰囲気も、他の四季作品と違う印象を受けた。
確かに曲間に拍手は、他作品でもあるが、それはあくまで次のシーンに移行する「間」があるところだけだった。
だが今作はほぼ全ての楽曲後に拍手が起こるなど、観客席と舞台上の一体感が高いと感じた。

おそらく最初のジーニーによる「アナウンス」が効いている証拠だとも言える。
他作品ではこのような演出はなかったので、現状最も客席も参加して盛り上がれるのが、この四季版「アラジン」の特徴なのではないか。
これは「アニメ」「実写」という媒体ではできない、舞台だからこそ「可能」な演出だと言える。

ちなみに、観客参加のエンタメ要素が強い分、今作のヴィラン「ジャファー」がかなりコメディ寄りの存在になっている。
アニメ版でもコメディ的な役割を担っているが、その腹黒さはクライマックスに存分に描かれる。

実写版では、アラジンと実は対の存在であることが描かれるなど、こちらはシリアスな役目を担っている。

今回はどうするのかと思いきや、アニメ版以上に腹黒さを抜いて、さらにコメディの部分を増やしている。
恐らく観客参加型のエンタメ志向を目指しているからこそ、ノイズになりそうな要素を廃したとも言える。

公式サイトやパンフレットでも「エンタメ重視」「コメディ」として制作しているという意図が伺える改変だったとも言える。

ジャスミンの描写と「自由」への羨望

さて、この作品を見ていて感じたのは「ジャスミン」というキャラクターの描写だ。
1992年のアニメ版では「自分は景品ではない」と、王の地位や財産目当ての他国の王子と結婚することに嫌気がさして、家出をする。
その過程でアラジンと出会い恋に落ちるという描写をされていたジャスミン。

2019年の実写では、より現代的な女性キャラにアレンジされていて、「自ら女王になりたい」
そのために努力をしている女性として、より自立したアレンジをされていた。

今回の作品は初演が2014年ということもあり、「女王になりたい」という願いは持っている存在として描かれている。
ただし、その目標に対して実写版ほど明確な行動をしている描写はない。
ちょうど「アニメ」「実写」の中間地点的な存在として描かれているのだ。

ちなみにこの作品では「アニメ版」で採用されなかった楽曲「自慢の息子」というアラジンの楽曲が歌唱される。
亡き母に「立派な息子になる」と宣言するこの楽曲。
この曲が入ることで、アラジンがマザコンっぽく描かれてしまうのだが、こちらは「実写」では「アニメ版」同様に不採用になっている。

ただ、この楽曲があることで「父親=国王」のことは嫌いではないジャスミン、だけどその地位にあるからこそ、法律・伝統に縛られることには苦しみを覚えている。
つまり「不自由」なことに「息苦しさ」を覚えるジャスミン。

そこに「母親」に「立派に生きることを誓い」
結果ジーニー「アリ王子」という「嘘の身分」を願い、結果ジャスミン全てを打ち明けられず「不自由」になり「息苦しさ」を覚えてしまうという結果に陥る。

一幕のラストでアラジンがアリ王子に変身してのフィナーレが「自慢の息子」を歌うことからも、彼の決断の大きなウェイトを母親から息子への「願い」だったことが明らかだろう。
(もちろんネガティブな意味合いだけでなく、ポジティブな面もあるし、彼の場合は貧困による不自由に縛り付けられてもいるが、願いの結果、別の不自由が彼に絡みついてくる)

ある意味で「家族」というものが2人を縛り付ける「呪い」になっているとも言える。
そして今作品での重要な要素として「願い」叶ったとて、それが故に「苦しむ」こともあることを暗示しているとも言える。

その後、二幕目。
2人が「魔法の絨毯」で飛翔する「新しい世界- ア・ホール・ ニュー・ワールド -」
ここではサビの部分で執拗に「自由」という単語を繰り返すなど、より自由への羨望が描写としては強化されている。
そこに「ランプ」に物理的に「閉じ込められたジーニー」という存在が絡みつくことで、「自由」を求める3人の物語としての『アラジン』を四季版は強化しているとも言える。
だからこそ、ラストフィナーレでも「新しい世界- ア・ホール・ニュー・ワールド -」の「自由」を歌うサビが繰り返されるのだ。

逆にジャファーは「アニメ」「実写」ほど高い地位を手に入れて、「世界を自由に支配する」という目的を前面には押し出さない。
繰り返しになるが、今作は「コメディ」であり「笑い」の要素を強くしており、アラジンとジャスミンの恋愛模様も、実は「アニメ」「実写」以上にコメディチックに描くなど、いわば「ラブコメ」的な要素を取り入れている。

そのため、切実な2人の恋愛描写であるとか、「実写ジャファー」にあったような、それはそれで彼なりの正義であり願いの切実さはオミットされている。

この辺りは「四季版」が目指す方向が「アニメ版」「実写版」とは違う証拠でもある。

ただしし、脚本の弱点はそれなりにある

そう考えると、アラジンの3人の友人、リーダー格のカシーム、思慮深いオマール、食べ物に目がないバブカック。
彼らのキャラ付けも『ズッコケ三人組』的とでも言えばいいのか、かなりコメディっぽく描かれているのも、納得できる。
個人的にはだが、この3人が割と無理やり作り出されたキャラであるという違和感は正直あったが(アリ王子の行進に参加する辺りが割と脚本が雑なのが気になった)、目指している方向性を考えると合点はいく。

ちなみに「アブー」を人間にしたことで、アラジン以外が「魔法の洞窟」に入れないことになり、アラジンが「不要に物を持ち帰ろうとする」ことで洞窟に閉じ込められるなど、この「アブー」を削ったことで、展開が苦しい場面も見受けられた。

あと「魔法の絨毯」を完全に無機物として描いているのも「アブー」を削ったことかが原因だろう。
というか、今作はジーニーが用意するという展開になっているのだが、それもセリフで割と「雑」に登場するため、あまり「アイテム」として面白みがなくなっている。
この辺りは舞台という制限があり、大掛かりな舞台装置が「魔法の絨毯」を使うのには必要で、簡単に使える物でない、そのために「絨毯」の使用頻度を落とさざるをえなかったということも大きな原因だろう。
その分アラジン、ジャスミンの夜空の飛行は、かなりロマンティクに演出されているし、一体どういう原理で飛んでいるのか分からないほど、クオリティが高かった。

この辺りは「舞台」という制限がある以上仕方ないのは重々承知はしているが、あえて指摘している、いわば重箱の隅を突いてるだけだ。

過去の鑑賞作品の、どれよりも「ゴージャス」

最後に今作品の舞台としての感想を語りたい思います。

今回の劇団四季による『アラジン』はとにかく、舞台装置が「ゴージャス」であることを意識して作られているように感じた。

特に「魔法の洞窟」の装飾、そこからジーニーの「フレンド・ライク・ミー」の流れは、とにかく色とりどり煌びやかな世界観の演出が見事だった。

「魔法の絨毯」も出番こそ少ないが、夜空の飛翔シーンは非常にロマンティックな世界観も演出していた。

ここまで「ゴージャス」であることを意識させらたのは、おそらく『アラジン』が一番だと思う。
ちなみにアラジンが生きる街「アグラバー」のセットもぐりぐり場面転換をして世界観が広がるなど、大道具・セットのオートメーションで変化していく技術は素晴らしい。
特にアラジンが「逃げ足なら負けない」を歌唱しながら街を縦横無尽に駆け回るシーンも工夫に満ちていた。

そういう意味では先日鑑賞した「JCS」とはまた違う、とにかく技術で世界観を舞台上に魅せるという点で、没入感は非常に高くなったと言える。
これは「ディズニー原作」の「四季作品」全般に言えることではあるのだが。
またその作り込みに非常に感心させられてしまった。

まとめ

今作は「ディズニー原作四季作品」の中でも、特に「エンタメ」に振り切った作品だろう。
それはヴィラン「ジャファー」の扱い方を見ても歴然だ。
完全にコメディリリーフとしてキャラ造形を大きく変化させ、「勧善懲悪」を目指して、悪役にある意味で「共感の余地」を持たせないことで、純粋なエンタメとしての方向性を強くしているのだ。

さらにアラジン、ジャスミンの恋愛模様も、「アニメ」「実写」以上にオーバーに演出することで、「ラブコメ」的な、ある意味で笑わせ要素も描かれた。

そしてジーニー関連のシーンも見せ場を盛り盛りにしているなど、正直作品全体のバランスから見れば異常とも取れる尺感を割くなど、こちらも「エンタメ」を志向していることを考えれば納得はするが、全体のバランスを崩してでも、そこを目指していく。

だからこそ他の作品よりも「楽しめる」ように仕上がっているのだ。
最後のエンディングで歌われる歌詞にも「また、遊びにおいでよ」「やっぱりハッピーエンドじゃなきゃ」というメッセージも込められている。

四季の作品を見ているファンが「ギャグセンスが一番高い」のは今作だと言っていたので、そうした意味でもやはり、他の作品と比べて「エンタメ度数」が高いのが今作の特徴なのかも知れない。

とにかく「楽しい」作品を志向した作品である『アラジン』
その特異性が際立つ鑑賞体験だったとも言える。

個人的には、今回も大満足させられました!

次回の「四季評論」は7月の『ゴースト&レディ』になる予定なので、原作を読み込んで楽しみに待ちたいと思います!


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