大学生、就活生に送る。新時代を生きるために必要な力。第六章 なぜ人は行動しないのか。

第六章 なぜ、人はここまで行っても行動しないのか

 人が行動しないのは、人間の進化の過程でDNAに組み込まれてしまっている事柄に起因する側面もあるので、そういったことに関して述べていく。


1.「何でも食べてみるやつ」は毒キノコを食べて死んでいった

 自然界には、当然人間が食べられるものと、食べられないものがあるが、どちらにせよ、一番最初は食べてみないと、分からないのである。そして当然、「何でも食べてみるやつ」は、食べてはいけないものを食べたときに、死んでいった。しかし、その「何でも食べてみるやつ」のおかげで、新しく食べられるものが発見されていったわけである。つまり、人類は、「何でも食べてみるやつ」のおかげで進化を遂げたわけだが、当の彼らはその性質がゆえに少数しか生き残ることができなかった。

 そして、文明が発展したのちも、「何でも食べてみるやつ」の遺伝子を継ぐごく少数のリーダーたちのおかげで、人間の社会はさらなる繁栄を遂げていった。

 しかし、考えてみて欲しい。文明が発達して死ぬリスクが極端に少なくなった現代では、「何でも食べてみるやつ」は死なないのだ。そして、行動することの相対的な価値が爆発的に上がった現代では、「何でも食べてみるやつ」だけが独り勝ちするのだ。別にあなたに「何でも食べてみるやつ」の遺伝子が無くとも関係ない。ただ何でも食べてみればよいのだ(鵜呑みにして公園に生えてるキノコとか食べないでね)。


2.ホモ・サピエンスは虚構を信じるから生き残った

 実は人類は25種類程度存在していたが、我々ホモ・サピエンスのみが生き残った。その理由は、虚構(フィクション)を共有することにより、ほかの人類や生物よりも大きな群れで行動することができたためであると言われている。これは諸説あるが、私たちが虚構(フィクション)を信じる生き物であることはまごうことなき事実である。実際にホモ・サピエンスよりも知能が高い人類は存在した。しかし、ホモ・サピエンスのみが生き残った。ホモ・サピエンスにとっての虚構は生き残り、繁栄していくためのプライオリティなのである。

 文明が発展してからの虚構は、宗教である。人々は、神を信じ、そして自らが救われることを信じていた。日本は無宗教の人がほとんどという世界的にも珍しい国であるが、そうなったのは、戦後、GHQ に国民の宗教活動を制限されたためである。日本は天皇を神とあがめ、神格化してしまうことによって戦争という悲劇を生みだしてしまった。ここでも、虚構は利用されていたのだ。しかし、それを理由に、GHQは日本人から信仰を根こそぎ奪った。それは日本人の心を弱くし、アメリカに従いやすくすることが目的だったとも言われている。日本は無宗教の人が多いため他の国に比べて自殺者が多い。キリスト教徒なら、自らに罪の意識が芽生えたときも、懺悔すれば許される。しかし、無宗教の日本人を許すものは誰もいない。宗教はそれほどまでに強く、人々の心のよりどころとなっているのだ。

 しかし、現代になり、神の存在を脅かす重大な事件が起こる。科学の台頭である。

 「神は死んだ」

 哲学者ニーチェの有名な言葉である。神は科学に殺された。科学は人類に知を与えた。そして、様々なことを急速に解き明かしていった。歴史もまたしかりである。そして人類は気づき始めたのである。「どうやら人類をつくりたもうたのは神ではないらしい。」

 神の存在を否定するものがなかった時代の人類は、神の存在を信じて疑わなかった。しかし、神の存在が虚構であることが明らかになってしまった現代では、人々はまた神に代わる新しい虚構を信じて疑わないのである。資本主義である。


3.資本主義は虚構である

 あなたは、資本主義は正しいものだと信じているかもしれない。そして、必死に働いてお金を稼ぐことは正義だと思っているだろう。しかし、資本主義はただの虚構であり、幻想にすぎない。そして、いずれ資本主義経済は崩壊する。それを理解しなければ、科学によって神を殺された人々のように路頭に迷うことになる。

 あなたも、社会主義経済が崩壊したことはご存じだろう。社会主義経済は、マルクスの資本論によって資本主義が否定されたため、それを信じた人々により、平等をめざして導入され、そして悲惨な結果を招いた。しかし、ここで肝に銘じて欲しいのは、人々が社会主義を信じて生活していた時代が実際にあったということだ。

 資本主義も破滅に向かって歩みを進めている。資本主義とは、人々の競争心を煽ることによって経済成長させるという考え方だが、それは大量生産大量消費により、地球の資源を食いつぶしている。そして資本主義経済においては、人口減少モデルの経済は確実に衰退し続ける。それが、日本の経済が衰退している理由である。政治が悪いわけではない。そもそも我々国民が間違った方向に進んでいるのである。

 そして、僕たちは、資源を消費続けることを止め、心の豊かさを求める経済活動にシフトしていかなくてはならない。つまり、お金を稼ぐことばかりに執着するのは辞めて、もっと人生を豊かにするために本質的な活動をすべきである。あなたは働かなくてはいけないという考え、労働の呪縛に縛られているかもしれない。それは資本主義という虚構が作り出したものである。あなたがもし労働の呪縛から逃れたいのであれば、自ら人生の豊かさは何か、ということの本質を再考しなければならない。


4.日本人は洗脳教育によって作り出された優秀な捨て駒

 ここまでは行動することの大切さを散々述べてきたが、じつは、一番の問題は日本の教育制度にある。簡単に行ってしまえば、義務教育から高校を通して、協調を無理強いする教育を受け、これによって人と違うことをしてはいという風に洗脳されてしまうのである。

 日本の教育は、スパルタ教育である。スパルタ教育とは、古代ギリシアの都市国家スパルタで行われていた軍事教育の様に、幼少期から厳しい訓練を強いる教育のことである。スパルタ教育の特徴は、厳しい訓練により、みな共通の技術を習得させること、そして、規律を守ることを重視させることである。とくに、集団で同じ行動を取ることを強いられ、集団行動ができないものは、教育と称した理不尽な罰をあたえられる。このような教育のために、日本人は協調性というものを手に入れ、その代償として自主性とモチベーションを失った。このような教育は、社会に出たときに力を発揮する。上司の言うことには逆らわず、やりたくない仕事も黙ってやる。辛いことからも逃げない、モチベーションは低いはずなのに、身も心もボロボロになるまで働く。

 つまり、日本の教育は、会社にとって都合のいい人材を量産して、資本主義経済を回しやすくするためのものである。洗脳によって自主性を奪われているため、潜在的に、自ら集団の輪を抜け出して一人で行動することに恐怖を感じてしまう。

 この洗脳から抜け出すためには、自ら行動して、結果として死なないことを実感するしかない、そして、一人行動した時に、それを邪魔したり、さげすんだりする人とは距離を取ったほうが良い。僕は起業やYouTubeを始める話を会う人のほぼ全員に話しているが、中には否定的な意見を言ってくるはた迷惑な人もいるが、そういう人とは距離を取る。そもそも、僕は考えの合わない人やネガティブな感情を発している人とはかかわらないようにしている。SNSならフォロー解除するか、ミュートしている。そして、人間的には好きだが、起業のことなどに関してのみ話が合わない人とは、それに関する話をしないようにすることだってできる。ただ、否定されることを恐れて初めから言わないことはお勧めしない。自分の意見をはっきり言うのも行動力のうちだし、自分の意見を肯定してくれる仲間を見つけることができる。僕の周りには、現在僕の活動を応援してくれている人がたくさんいる。そうなってくると僕は、自分のやっていることは間違っていないはずだと考えることができるし、期待値が高まる分だけ、それを超えるために頑張ろうと思える。

第七章に続く。

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