大学生、就活生に送る。新時代を生きるために必要な力。第七章 やりたいことだけやって生きる。

第七章 やりたいことだけやって生きる

 自分の好きなことだけやっていては生きていけないと勘違いしている人があまりにも多い。今の社会で生きていくためには、誰かの力を借りなければならないことは当たり前だが、そのためには誰かの役に立てばいいだけである。つまり、自分のやりたいことで人の役に立つ方法を勉強し、実践すればよいのである。そして、自分のやりたいことで他人の役に立つことこそが最も効率的に自分の力を発揮できる方法なのだ。僕は理系だが、以前、経済の授業を受ける機会があって、その時に先生が「君たちができる一番の社会貢献は、それぞれの力を最も発揮できる職業に就くことです」とおっしゃっていた。まさにその通りだと思う。


1.自分の命の価値を決めろ

 まず、あなたは自分の時間の価値を決めているだろうか。命とは生きている時間である。つまり、命を大切にするということは、時間を大切にするということだ。時間を大切にするということは、自分の時間を何に使い、何に使わないかを取捨選択することだ。例えば、前述のとおり、僕はアルバイトを始める時、自分にとって新しい経験や欲しいスキルが習得できそうな仕事を選んだ。これは、自分の命の時間を1時間1000円以下という安い金額で売るのはバカらしいので、ほかの利益も得ようという考えに基づいている。また、大学生なら、卒業したら就職する人が多いと思うが、そうすればもっと高い時給で働くことになるわけだから、学生のうちにわざわざ安い時給で働くことのバカらしさを一度考えるべきだ。

 自分の命の価値は、時給で決めてしまうのもなかなか難しいので、日常から、その行動は価値があるか、ということを考えるようにするのが良いと思う。例えば、ドラマを見る時間、SNSを見る時間である。ドラマを見るのが大好きで、ドラマの知識ならだれにも負けないとか、SNSを見ている時だけが幸せで、他人がどんな生活を送っているのを確認している時だけが生きていることを実感させてくれる、という人ならそれで良いが、そんな人はほとんどいないだろう、単純に暇つぶしとか、惰性が大半だと思う。あとは、くだらない芸能人の不倫や殺人事件のニュースを見る時間も無駄だ。ネガティブなニュースはアクセスを集めやすいから報道されているだけで、それを見てもあなたにとっては何の価値もない。逆に脳がネガティブな影響を受けるのでかえって悪い。

 他には、やらなければならないことを後回しにするというテクニックがある。多くの人は、やらなければいけないことに時間を取られて、自分のやりたいことができていないが、時間というものは無理やり作るしかない。僕の例でいうと、勉強や卒論をほったらかしにしてずっと卓球をやっていたことだろう。そして、今も、あと数日で引っ越すにもかかわらず、その準備を完全に中断して数日この手記を書くことに全ての時間を費やしている。実際はやらなくてはならないことがあるのにそれを差し置いてやることによって、早く終わらせなければならないというプレッシャーが働いて、作業効率が向上する。さらに、後回しにしたことに関しては、期日がさらに近くなった状態で取り掛かることになるため、それも作業効率が増す。まさに一石二鳥である。


2.スポンサー広告費とダイレクト課金

 あなたがやりたいことでマネタイズする場合、収益を得る方法は主に、スポンサーからの広告費か、顧客からのダイレクト課金のどちらかである。そしてここでは、時代の流れ的にはダイレクト課金の方がいいよ、という話をする。

 まず、現代では、インターネットの普及によって消費者が正しい知識を簡単に得られるため、テレビCMが急速に信用を失っている。それによって、テレビタレントの信頼も失墜した。テレビ番組はスポンサーからの広告費によって成り立っているため、出演者はスポンサーの不利益になるようなことは決してしない。例えばグルメ番組でも、不味いとは絶対に言わず、思ってもいないような気のきいた発言ばかりする。視聴者はそれに気づき始めたのである。そして、人々はテレビとの利権が絡んでいないユーチューバーやインスタグラムのマイクロインフルエンサーなど、信用のおける人の発言を信じるようになった。このように、スポンサー広告によって収益を得ることは、慎重に行わないと自らの信頼を失いかねないので、よく考えて行ったほうが良い。

 一般にユーチューバーと言われている人たちも、YouTubeを通して支払われる広告費を主な収益源にしているが、これも実はリスクをはらんでいる。わかりやすい例でいうと、最近、子供向けのチャンネルに対して広告をつけるのを止める、という方針が発表されて、議論を巻き起こした。しかし、これはスポンサー側からすると当然の話で、お金をあまり持っていない子どもにいくら広告を打っても、商品は売れないので広告費が無駄になってしまう。広告費で収益を得ようと思ったら多かれ少なかれスポンサーとの利害も計算して行動しなければならなくなってしまうのである(ただし、多くのユーチューバーは視聴者からの信用を獲得しているので、広告費が無くなったとしてもマネタイズの方法はたくさんあるはずだ)。

 ダイレクト課金とはその名の通り、お客様に商品を売って直接お金をいただく方法のことである。ダイレクト課金に関しては、第四章で述べたように、発信をして信頼を蓄積すれば、やり方はいくらでもあるので、まずやりたいことを極めつつどんどん発信し、自分のファンを増やしていくことが大切だ。そして、具体的な方法論については、(第四章で十分具体的に説明してはいるが)いずれ述べることにする。


3.有名になるな、人気者になれ

 有名というのは、多くの人に知られている状態であり、人気というのは、多くの人に好かれ、信頼されている状態である。第三章で、お金とは信頼を数値化したものであると述べた通り、いくら多くの人に知られていようと、信頼されていなければ、商品を買ってもらうことはできない。

少し前の時代、テレビは圧倒的な影響力を誇り、時代を席巻(せっけん)した。そして芸人やタレント、歌手までもがテレビを目指した。しかし、ユーチューバーは(今になっては人気の歌手や芸人、有識者も)テレビを目指さない。ユーチューバーに関して言えば、テレビに出るよりYouTubeに動画を出したほうがお金も稼げるし、テレビによって間違ったイメージに書き換えられて発信されてしまうリスクもある。つまり、テレビに出るという行為は、信頼を落としてしまうリスクをはらんでいるのである。

 つまり、やりたいことだけやって生きていくためには、好きなことで人気者になる方法を考えればいいのである。第四章で発信することの重要性を述べたことはこの話と直結する。

 人気者になるためには、まず、相手の役に立つことである。つまり、自分の利益やお金儲けのためという考え方は、見透かされるし、何より自分の心がつらいものである。僕がこの手記を書いているように、「これを、見ればその人の人生に必ず役に立つはずだ」と自分が本気で思っていれば、商品をより良いものにしていけるし、宣伝も自信をもってできる。高度な話になるが、商品が売れない理由が、潜在的に自分が売りたくないと思っているからという場合がある。いや、そういったことは多い。これは、経営者なら注意せねばならず、例えば、あなたが経営者だとして、アルバイトスタッフが、「忙しくなるから客くんな」と思いながら働いていると、それがお客様に伝わって、商品が売れなくなる。神は細部に宿るとはそういうことだ。

 次に、気持ちを伝えることだ。これはブランディングに関する話なのだが、こだわりを伝えるというのは、人々の共感を生み、イメージを好転させる。例えば、USJや丸亀製麵をV字回復させたことで有名な森岡毅さんがおっしゃっていたのだが、丸亀製麵をV字回復させるのにもっとも有効だったのが、「丸亀製麵ではすべての店舗で粉からうどんを作っている」ということをCMなどでお客様に訴えたこと、だったそうだ。つまり、丸亀製麺は何も変わっていない。ただ、すでに持っているこだわりを伝えただけである。また、この手記の冒頭で、僕がこの手記を執筆するにあたった背景や、考え方、どのような方に読んでほしいかなどを簡潔に述べているのも、そのためだ。

 最後に、一貫性を持つことだ。目的を明確にすること、とも言える。これは、ファンと意思を共有するために必要だ。例えば、僕のツイッターの目的は「正しい情報を知れば、人生は怖くない‼」ということを伝えることである。ツイートの内容はビジネスや起業に役立つことを始めとして、就活生や実際に働いている人に向けたメッセージなど様々だが、それらは全て、「今の社会を生きるために役立つ情報」という一貫した属性を持つ。これを踏まえ、発信する内容を考えればよいのである。つまり、見る人にとって有益かどうかを考えなくてはならない。ビジネス発信のアカウントが彼女との高級ランチを自慢するツイートしているのを見かけたが、見る人からしたら迷惑である。本人は自分が稼げていることを伝えたかったのかもしれないが、だったら収益を公開すればよいのである。

 さて、有名になるなと述べたが、有名になることがダメと言っているわけではなく、目指すところは有名ではなく人気者にしなさいという意味である。つまり、まず有名になってから人気を蓄積していくのであれば何の問題もない。というか、好きになる前にまず知るというのは当たり前のことなのでそういった目的でまずメディアに露出することは方法としてアリだろう。


4.やりたいことをやり抜くには覚悟がいる

 やりたいことがあるのに、行動できないのは、覚悟が足りないからである。やりたいことだけやっている人は羨ましいとか、ずるいとかいう人は、自分がやる覚悟がない人である。ここまで散々根性論を否定してきたので矛盾しているように聞こえるかもしれないが、僕は他人が強要することが間違いであると言っているのであって、自分がやりたいことがあるのに、それを自分で止めてしまうのはもったいない。


 これ以降は、本当にやりたいことが分からないという人向けた内容になる。やりたいことがある人でも、それが本当に自分のやりたいことなのかを確認するために読んでみてはいかがだろうか。


5.マズローの欲求5段階説

 欲求5段階説とは、アメリカの心理学者であるアブラハム・マズローが「人間は自己実現に向かって絶えず成長する」と仮定し、人間の欲求を5段階のピラミッドのように表して説明したものである。この5段階の欲求には、高次の順に

自己実現の欲求
承認の欲求
所属と愛の欲求(社会的欲求)
安全の欲求
生理的欲求

という風になっており、低い階層の欲求が満たされていくと次の欲求が現れ始めるといった具合だ。この理論に基づいて考えると、やりたいことがない人は、自己実現の欲求がない、すなわち承認の欲求が満たされていないと考えられる。


 まず、生理的欲求というのは食事や睡眠など生命活動を行うために必要な欲求であり、安全の欲求とは身の安全や経済的に最低限の暮らしができることを求める欲求である。現代の日本人はほとんどこの二つの欲求を満たしているだろう。

 続いて、所属と愛の欲求であるが、これは家庭や学校、職場などに自分に居場所があり、愛されていることを求める欲求である。

 そして、多くの日本人が課題としていることが、承認の欲求である。承認の欲求とは、自分が価値のある存在であると認められ、尊重されることを求める欲求である。そして、この承認の欲求の中にも、二つの段階があり、最初の段階は他人から認められていること、次の段階が自分に認められていることである。つまり、この欲求を満たすためには最終的に自己肯定感を高めなくてはならないので、砕いて言うと、自分を肯定するためにはまず周りに肯定されることが必要ということである。

 これらの4つの欲求が満たされていくと、自己実現の欲求が現れ始める。これは、自分の能力を最大限に発揮し、社会に貢献したい、自分にしか成しえないことを成せる存在になりたいという欲求である。こうなってくると、自分の本当にやりたいことが見えてくるはずなので、それ以前の4つの欲求、とくに承認の欲求を満たすことが、自分のやりたいことを見つけるためにまず必要だと考えられる。

 そして、承認の欲求を満たすためには、SNSやYouTubeで発信をすればよい。多くの承認欲求が満たされない人は、SNSで友達に向かって発信したがるが、オフラインで出会う人の中であなたに興味がある人はごく一部しかいないので、専門性の高い内容を発信して共通の価値観を持った人を集めるのである(詳しくは第四章で説明している)。


6.自分の葬式を想像しろ

 人は死が必ず来ることは知っていても、意識はしていない。どれほど意識していないかは後述する。

 自分の葬式を想像してみて欲しい。さあ、これから友人代表が弔辞を読み始めるところだ。

 さて、その弔辞の内容はどのようなものだろうか、そして、あなたはどのような弔辞になっていたら嬉しいだろうか。「彼は生涯お金を稼ぐことに尽力して大変たくさんお金を稼がれました\\」という内容だろうか。それとも、「彼はとても平凡な人生を生きられました」だろうか。それを考えると、必然的にあなたがどんな人生を歩みたいかが分かってくる。


7. 燃え尽きろ

 人生の時間はそんなに多くない。それに、過去や未来なんていうものは概念でしかない。常に今しか存在しないし、人生は今の連続である。今を全力で生きたものにしか未来は来ない。ぼくは、人生にかける熱量は年を重ねるごとに上がっている。

僕も、過去にはたくさんの後悔がある。しかし、過去は絶対に変えられないことはまごうことなき事実である。ただし、今を変えることで過去の印象は変えることができる。例えば、過去に恋愛でとても傷ついたり、後悔したことがあったりする。しかし、新しい恋愛をしたり、結婚して幸せな家庭を気づいたり、その後の人生を幸せに過ごせば、過去の傷は人生の布石となるのだ。

 だからこそ、燃え尽きなくてはならない。今この一瞬を全力で生きなければならない。この世界には今日を生きることで精いっぱいの人もいる。常に死の危険の中で生きている人もいる。そして本当に死んでしまう人もいるのだ。それなのに、僕たちは怠惰な生活を送っていて良いのだろうか。戦争の時代には、お国のために、将来の日本の人々が平和な時代を生きられるようにと、未来あるはずの多くの若者が自分の命を懸けて死んでいった。その人たちに報いるためには、自分の人生を無駄にしないように全力で生きなければならない。恥ずかしいとか、めんどくさいというのは、自分が生きていることの感謝、そう、心の豊かさが足りないのである。


8. 人は死を意識していない

 葬式を想像しろと言ったが、それでもひとは自分の死、そして大切な人の死を意識していない。

 僕がそれを悟ったのは、事故で死にかけた時だ。

 その時僕は助手席で寝ていた。そして、車が一回転した。僕は車の天井が地面に叩きつけられた衝撃で目を覚ましたのだが、どういうわけか水に落ちたと勘違いした。そして、溺死は最も苦しい死に方だと聞いたことがあったので僕は相当焦っていた。本当に焦った。死にたくないと思った。死にたくなさ過ぎて走馬灯の様なものは見えなかった。そして、運転手がそちら側のドアを開けて脱出したことに気づいて、訳も分からず脱出した。どうやら、水に落ちたのは勘違いだったらしい。僕は安堵し、道端に座り込んだ。速くなった心臓の鼓動が聞こえ、生きていることを実感したが、身体は微かに震えていた。車が一回転してから脱出するまで数秒だったと思うが、脱出直後の時点でその間の記憶はほとんど消えていた。両手の拳があざだらけだったので、僕は必死で窓ガラスを割ろうとしていたのだろう。助手席側の窓ガラスは傷一つついていなかったが。

 この事故では、幸い第三者は巻き込んでおらず、運転手も僕も大きなけがはなかった。しかし粉々になったフロントガラスを見ていると、もしシートベルトをしていなかったらと考えるとぞっとした。頭がすり身になっていたかもしれないし、首の骨を折っていたかもしれない。駆け付けた警察官にも、これだけの事故なら死んでいてもおかしくなかったと言われた。

 シートベルトをしていたおかげで助かったという話は、幾度となく聞いたことがあるし、僕は乗っていたバスが事故にあいそうだったこともあるので、シートベルトをしないことは無かったのだが、その日は夜なかでほかの車が全くおらず、目的地目前で、しかも服装が窮屈だったので、本当にその日だけ、僕はシートベルトを外そうか一瞬悩んだ。絶対にシートベルトをしようと常に思っていた僕が、たった一度だけ外そうか悩んだときに、事故は起きた。

 そして、おそらくこれを読んでも、普段シートベルトをしない人で今日から絶対シートベルトを着けようと決意し、実際に実行する人はいないだろう。最初は意識しても、数日か、もって数週間だろう。人間というのはそういうものだ。自分は大丈夫と常に思っている。いや、そう信じたいのだ。

 死は恐怖だ。だからこそ想像したくない。死が突然訪れることは誰にでも起こりうることは知っているはずなのに、心の奥底に封じこめているのだ。


第八章に続く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?