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同人の現在地Ⅲ┃オタク市場と認知のゆがみ 

ここで、認知のゆがみについて、少し詳しく解説しておきます。
これは以前から指摘し続けている「解離」と同じものです。
今回は認知心理学の視点からアプローチします。
※「解離」は精神医学用語です。

 
「コミケ」は同人誌の頒布数も盛況だという思い込みは、イベント運営者や一般参加者、サークル関係者にまで広がっていました。
それはいまでも変わりません。

これは他のことでも同じで、かつまた強い思い込みです。
振り返って見れば、この「思い込み」に振り回され続けた同人活動でした。


※コミケはとんでもない噂話が多く、かつ信じられていました。事実は全くないといって良いほどでした。ですがそれらの情報は修正されることはないでしょう。「コミケ」と言う場所で同じ情報を共有するものたちが、何十万人もまとまって存在し続けているからです。ですから未だに同じコミケ神話が語り次がれているのです。

紙の同人誌を作っていた時だけではなく、やむなくネットで同人活動を再開した時でもです。紙の時は、同人を取り巻くイベントの運営側も含めてすべての関係者の、「認知のゆがみ」に翻弄され続けていました。
ネットではオタク業界儲かるの勝手な思い込みにより、異業種がオタク市場へと参入してきて飽和現象を起こしました。

おかげで未知であったネットでの同人作品の制作を、やっと軌道にのせることができたと思っていたら、一気に業界が縮小してしまうなど、痛い思いばかりさせられ続けています。

こうした「認知のゆがみ」のことを、認知心理学では、「認知バイアス」と呼びます。
ここでは「認知バイアス」の一つである「確証バイアス」について説明したいと思います。

なおこの記事では、「確証バイアス」を取り上げていますが、多種多様な「認知バイアス」があります。

『確証バイアスとは、自分がすでに持っている先入観や仮説を肯定するため、自分にとって都合のよい情報ばかりを集める傾向のことです。認知バイアスの一種で、自分の思い込みや周囲の要因によって非合理的な判断をしてしまう心理現象です。』


これは特殊なものではなく、広く一般的にも見られる認知のゆがみの一つです。日々目にしている現象の一つでもあります。

例えば、今の落ち目の日本ですが、いまだに経済大国という認識が一般に広く浸透している。昔、バブル崩壊後の不況が押し寄せてきたときも、ブランドもののメーカーばかりを集めた商業ビルが作られました。

開業当時は大勢押しかけていたというのがあります。このニュースを示して、まだまだ日本は経済大国であると言っていた人たちが大勢いました。
職場にいるバイトの大学生は学費が払えなくて、大学を辞めているものが多くいたのに。

最近でも渋谷のハロウィーン騒動や富裕層ばかりが集まるリゾート地の映像を示して、日本が貧しいとは思えないという人もいます。現実には飢え死にする人まで多数いるのにです。 

※こういう都合の悪い現実は、なかったことにしてスルーする心理機制が、日本人に顕著に見られます。また「正常性バイアス」も働いていますね。「正常性バイアス」とは、予期しない事態にあったとき、「そんなことはありえない」といった先入観や偏見を働かせて、「事態は正常の範囲」だと自動的に認識する心のメカニズムのことです。


どんなに貧しい国でも富裕層はいるもので、そういう人達が集まる繁華な場所もまたあります。一部だけを切り取って見た場合、豊かに見えるだけという単純な心理トリックです。

こういう心理的なカラクリに簡単に騙されてしまう人もまた多い。多すぎるくらいです。何度でも同じようなことで騙され続けています。これは詐欺に遭う人とも共通しているメカニズムですね。

今までの経験から、自分たちからそうした都合の良い情報に食いついていると感じさせられます。
こういう心理が背景にあるからこそ、簡単にマスコミに操作されてしまうのかも知れません。まるで騙してくれと言わんばかりです。

 
ここで一つの例として、昔の経験を語りたいと思います。
友人から作家の収入のことで色々質問を受けて答えていた時がありました。彼とはこうしたやりとりが多くあり、まさに世間一般の意見を代弁しているような意見が多かった。

なぜこのような質問を多く受けたのかは、自分も小説作品での出版の話しがあり、作家デビューしかかったことがあったからです。
同人誌を制作していたこともよく知る人物でした。こうした経緯があっての質問です。

作家と出版社の印税契約は、10%と決まっているわけではなく、出版社と作家の力関係で決まります。ですから作家の立場が強ければ10%以上の場合もあります。また、新人作家は10%ももらえません。
場合によっては初版は印税がない場合もあります。

細かいことを言えば、実売契約と印刷部数契約とがあって、これも作家と出版社の力関係で決まります。
昔はなかった電子書籍の場合は、詳しくは知りませんが印税率は紙の書籍よりも良かったはずです。

例え「直木賞」や「芥川賞」のような有名な賞を受賞した作家でも、だいたいが年収は300~500万程度です。これよりも低い方が多い。
これを先のような印税のことも含めて説明すると、テレビでよく見る作家の方の話をして──女性作家でした──豪華な生活をしているというようなことを言ってきました。

こういう方はテレビに出演する仕事と、テレビで顔が売れることで本も売れるし、何よりも執筆以外の仕事の方が儲けが良いのだと説明しました。
生前の藤本義一さんや野坂昭如さんなんかも、印税で儲けいているというよりも、別の仕事で稼いでいる。

藤本さんは、昔の深夜番組の先駆けである「11PM」の司会もされていましたし、後にぽろりと話していましたが講演料はかなり良いらしく、おまけに一年をとおして講演の依頼が多いそうです。
今思えば、作家では稼いでいなかったと思います。

また、野坂昭如さんに至っては、初めて自分の作品が映画化されるとき、何を勘違いしたのか原作者は主演女優と「ヤレ」ると思っていたという話をしていました。すると話しを最後まで聞かずに、「主演女優とヤレる」と言うところだけを切り取って、「ホラ、やっぱりそうだ!」と興奮気味に食いついてきたのです。

映画界と言うものをまったく知らない、素人の穿った思い込みで、それくらいなにも知らなかったのだということを話していたのだ説明しました。
それを、話している最中の一部だけを切り取って、強い反応が返ってきたことに、かなり驚いたことを良くおぼえています。

これらの現象は、今のネット時代でも日常的によく見ることでもあります。

むしろ強くなっている印象があります。先に書いたように、ちゃんと説明されているのに、例えば書込みの一部だけを切り取って、反発する書込みをよく見ますよね。
まったくピント外れですが、とても感情的な書込みです。

経験から分かるのは、自分の持っている間違った先入観を肯定したいという、強い感情です。
何か不祥事でもあれば、皆でネットで袋だたきにして、愚かな正義を振りかざす人の多いこと。

その出来事が真実であるかどうかなどは関係なくてそう思い込みたいという身勝手な欲望です。実際には事実無根であるのに、閉店まで追い詰められたお店もあるほどです。これらに通じる出来事でした。

芸能関係は、なにかと不祥事が多い。これも真偽には関係なく、間違った見方を強化してしまう要因の一つだとも言えます。
だいたいが関係者でもないのに、なにを文句を言う必要があるんだと思います。

「コミケ」神話は、まさにこの「確証バイアス」の見本のようなものでした。
ついでに指摘すれば、テレビメディアはこの「確証バイアス」を強化して広める側面があります。情報を切り取りして印象操作するのは常套手段ですからね。まさに洗脳メディアと揶揄される由縁です。

 

ちょっと付け足しておきます。
以前にライトノベル作家の平均年収が8000万円というとんでもない情報が流れてきました。

職業別に平均年収を公開しているサイトがあるのですが、このサイトでライトノベル作家を取り上げたようでした。この情報は急速に拡散されて行きました。

情報の拡散と同時に、現役のライトノベル作家たち──アニメ化された作品の原作者も含まれます──や、ライトノベルの編集者からも強い反発を受けていました。

例えば誰かひとりだけ、突出して爆売れしているライトノベル作家ならまだしも、ライトノベル作家の平均年収など絶対にあり得ない。
こうした、あり得ない捏造情報の方が一般には強く信じられてしまうのです。オタク市場儲かるも同じでした。

とくに作家という職業について回るのは、この「迷信」といっても良いような「確証バイアス」の存在です。

我々の親の世代から存在しています。以前別の記事でも少し書きましたが、昔女性作家がデビューを果たし時、その方のお母さんがたずねてきて家を買えと、一戸建てや分譲マンションのパンフレットを持ってきたという話しです。
もちろんそんな儲けはありません。

この方たちにとっては作家になれば誰でも家を買えるほど稼いでいるという、間違った認識ができあがっていたのです。
これほど強い「迷信」ですから、今後もなくなりはしないと思います。

ましてやごくたまに、タレントさんの出版した本がベストセラーになったりして、億の印税を稼いだという話しをテレビで公表したりするので、この間違った「確証バイアス」は強化されることがあっても、訂正されることはないでしょう。

デビューを果たしたばかりの新人作家でさえ、この「確証バイアス」の影響を受けています。だから初めて出版した時、出版社に挨拶しに来たときなどは、編集者は必ず「今ある仕事は辞めないよう」にと注意します。

作家デビューすると同時に仕事を辞めてしまって、生活できなくなる人が少なくないからです。重版がかからなければ次の仕事はありません。
つまり収入がなくなるのです。初版出版したからといって、次の執筆依頼が来る訳ではないからです。ここを新人は分かっていない。

付け足しておけば、「コロナ禍」のおかげで作家の半分は仕事を失っているそうです。

こうした作家の方々が、再起できるかどうかは分かりません。
作家というものはそんなに儲かる仕事ではないと言うことです。幻滅するかも知れませんが、これが現実です。
なのに大儲けを目指して作家デビューを目指してしまう。苦労して、一般の会社員よりも収入を減らしてどうするのか。


こういう話を書くのは「京アニ」事件のことが頭にあるからで、小説家になっても、彼らの夢見るような豪華かな生活はできないと警告しておきたいのです。

事件の背景には、間違いなくこの「確証バイアス」の力が働いています。ネットの小説投稿サイトが有名ですが、ここへ投稿する人々は概ねこの「確証バイアス」に引っかかっているのが透けて見えます。

小説を書くものからしたら、異次元の売れ行きとさえいえる漫画業界でさえ、最盛期の十分の一程度にさがっていると、現役の漫画家さんが話しています。

小説がそんなに売れるわけはないし、累計で何百万部と発表されていても、10年以上もの年月がかかっていたりします。都合の良いところだけを「切り取」って見ていると、後で取り返しのつかない痛い思いをさせられます。

このように認知のゆがみは至る所に、また強く根を張るように昔から、人々の生活とともに存在し続けています。
「ケーキの切れない不良少年たち」という本の中で、殺人を犯した非行少年たちが、自分のことを「優しい人間です」と話すことが書かれていました。

実際に接してみると分かるのですが、解離の激しい、つまり孤立して妄想性が際立ってくる人間は自分のセルフイメージをとても都合良く美化しています。

程度の違いはありますが、今の世の中で広く一般に溶け込んで存在しています。
例えば「若者の活字離れという嘘」という本があります。このタイトルを見たとき、そのとおりだと思いました。

「若者の活字離れ」という「認知のゆがみ」は、我々が小学生のころから大人たちやマスコミが広く利用していていました。

当時はハレンチ学園などの漫画が凄い人気で、学生運動の大学生たちもまた「カムイ伝」や「あしたのジョー」などの漫画に強い影響を受けていました。
漫画叩きによく使われた言葉です。もう半世紀以上も昔の話しですが。

当時の大人たちにとっては、とても都合の良い嘘であって、若者叩きに利用されていましたね。
これは「レッテル貼り」という認知バイアスの一つです。

さらにいうと今良くいわれる「老害」もまたしかりです。
これは加齢による認知機能の衰えもあって全面的に嘘だとは言えませんが、では若者は関係ないのかというとそうではありません。

例えばコロナ禍に入ってから、「自粛警察」というものをよく見ますが──日本はこれが特別多いそうです──これも中高年、とくに「老害」ととらえられる傾向があるのですが、これも違います。

実は見当違いな正義を振りかざしている若者を二度ほど目撃しています。
一度は警察官と揉めていました。ニュースでは高齢者の運転する車の暴走事故について良く取り上げられていますが、これもまたしかりです。

高齢者以上に若者が事故を起こして人を死亡させています。
個人的な考えですが、若害とも言えるような若者たちが、年を取ると老害になるのではないかと思っています。人の性格は簡単には変わらない。

思い込みがどれだけ間違っているか、どれだけ政府やマスコミの嘘に騙され、踊らされ続けている人が多いのか。
「レッテル貼り」もまた便利で強力な認知バイアスの一つです。

要は一度、これは本当のことなのかということを考えてみた方が良い。
とくに最近は、このまま行けば日本は抜き差しならない事態になるかもしれないと、強く危惧するからです。今や嘘や扇動は政府のお得意の武器となり、毎日のように目撃することになってしまいました。
そもそも真実などを公表したことがあったのかと思えるほどです。
なのに擬制者に、簡単に操作されてしまう人々があまりに多すぎる。
 



・京都アニメーション事件の続報。

ついでに以前に少し解説した、「京アニ襲撃事件」のことに触れておきます。同人関係から少し外れます。

あの時は起こったばかりで、詳しいことは分かりませんでした。
今は容疑者が法廷に出てこられる程回復しており、現在裁判中とのことです。
ネットニュースでは裁判の様子が報告されています。

個人的には治療前と後では、容疑者の意識の持ち方や感じ方に若干の違いがあるかも知れないと感じています。
それは罪を悔いてではなく、どうやって立ち回るかの打算的なものです。

容疑者の言葉で信用できることは一つだけ、あのような大惨事になるとは思わなかったという供述です。

事件を知ったとき自分もこれは思いました。ガソリンをまいて火を付けるだけで、あそこまで大きな被害があるとは想像できませんでした。
下手な爆発物よりも被害が大きい。

詳しいことは省きますが、以前簡単に紹介した記事と、大きな違いを感じませんでした。
こうした傾向のある人間と接することが多くあって、それらを念頭に置いて分析していたからです。やはり詳しく分かってくると多くの共通点がありました。
 
強盗や傷害事件を繰り返すような犯罪者とは違い、こうした傾向を持つ人間は同人関係には多くいました。
ただ彼らは、同人イベントなどで満足していて──有名人のなりすましなど──また経済的な余裕がある場合、犯罪へと走ることはなかったと言えます。

犯罪へと道を踏みはず場合は、経済的に追い詰められ、孤立していってからですね。
これは一般の人達も同じです。

妄想性が突出してくるのは、人間関係などで孤立した場合にも強くなっていきます。そういう実例を実際に見てきましたし、被害にもあっています。

すでに紹介しました「天空の城ラピュタ」を一緒に見たものも、後で「言霊」がどうのとか言い出していましたから。
大学生の頃には、そういうものにまったく無関心だった人物なのですが──幼児性が強い印象ではありましたが。

何かに追い詰められているかどうかが、一つの目安になります。一般の人にも広く見られる現象です。

もう一つは一発逆転的な大成功を夢見ている──これは例外なく持っていました。

それに見合った才能を自分は持っているという根拠のない思い込み、自信です。程度の違いがあっても、妄想的な要素がなくても、みてきた人間はすべて持っていました。

「京アニ」事件の容疑者も、自分は天才であると供述しています。
単純に思い上がっているというレベルではなく、確信しています。

もはや誇大妄想の域に入っているといって良いかと思います。だから誰でも思い付く──中学生でも十人が十人、思い付くような発想です──安直な着想をパクられたと考えて逆恨みするのです。
不備があって読まれてさえいなかったのに。

ここで少し寄り道して、実際に自分の経験した人物について書きたいと思います。被害を受けた人物です。
今もしあったとしても、自分は悪くないというでしょうね。加害者意識は皆無で、被害者意識だけが強かった。
これは「宮崎勤」も同じです。自分が加害者であるにもかかわらず。

こういう人物は幼児的な見え見えの嘘を日常的につきます。小狡さが際立っていました。
まるでアニメ「チェンソーマン」に出てくる、「パワー」のようでした。

自分は人よりらも優れているというセルフイメージもまた強い。
まさに認知の強いゆがみがある訳です。かなり迷惑をかけられたのですが、迷惑をかけた出来事は、すべて相手のことを気遣ってのことだという身勝手な自己解釈ができあがっていて、小狡さはセルフイメージを守るために使われています。

相手に対してよりも、自身に対して効果を発揮しているので、何度人に迷惑をかけても平気でいられるのです。

一例として取り上げるのは下品なのですが、昔、JKの売春問題が社会問題化したとき、彼女たちのやっている売春行為を、社会的な正論を振りかざして説教しにいった大人たちがいました。
それを仲間に話して正義感気取りです。

買春しなかったわけではなく、ちゃんとJKを買春しています。
自分の欲望を満たしてから説教するという、愚劣かつ卑怯きわまりない行いです。

彼らの振りかざす社会正義という点でも──程度の違いはありますが、ネット叩きに奔走する人達は概ねこの範疇に入ります──売春する側よりもさらに悪い。クズと言えます。

欲望も自分のもつ正義感というイメージも、どちらも得ようとする小狡い心理的トリックです。今のネット上での弱いもの叩きは、まさにこの種の認知のゆがみの見本市とも言えます。

同じようにこの人物にも強いゆがみがあって、それを対人関係にも広げて、多分に迷惑をかけてきたのです。
最後には自分が留守の隙を突いて家に侵入し、籠城するということをしでかしました。

理由は曼荼羅があって、交霊会が──と訳の分からないことを話していました。

二度とくるなと放り出したのですが、今度来たら容赦なく顔面に正拳突きをたたき込んでやろうと誓いました。

この時は被害はなかったですが、「京アニ」事件のように部屋に火でも付けられたら大変なことになっていた。
自分だけの被害だけでおさまらなかったでしょう。

子供のような嘘が多く、かつまた繰り返されることで、この人物の異常さが分かってきたのですが、思い出すとこいつも自分は特別だと思っていましたね。

派遣社員のようなことをしていたのですが、派遣先では休日は図書館に行くので、自分のような生活をしている人間にはつとまらないだろうといっていました。当時は部屋にビデオなどが山積み状態でしたから。

それに本のことを「書物」と呼んでいて、自分のやっていることは人よりランク上だといわんばかりでした。
どうひいき目に見ても、自分の方が読書量でも数十倍は上だと思うのですが彼にはそれが分からない。
自慢する事柄が、本当に程度の低い陳腐なものばかりでした。

個人的な付き合いはなかったのですが、引っ越しを手伝ってくれた人物についてきた男でした。それからなにかと泊めてくれとか、荷物を預かってくれとかのくり返しでした。

ここでも小狡い嘘があり、荷物はタクシーで運べる程度だというので、気安く請け負うと、届いた荷物は軽トラックいち台分、完全に引っ越しの分量でした。

後で問い詰めて聞いたときは、相手を気遣っていたから言い出せないなかったという。
気遣っていたのなら、最初から正直に話していた方が良いに決まっている。置く場所を作らなければならないのですから。

それを断られるかも知れないという考えから、姑息な嘘をついて立ち回っていたのです。自分は悪くないので、迷惑をかけるのは相手のことを思ってのことだという、身勝手な理屈で自身のセルフイメージを守っていました。

他にもこの件の前には、お世話になっているといらない服をくれました。
彼のサイズは自分よりも小さく着ることができないのにです。

だからいらないし、捨てなければならず二度手間だといって断ってもおいていきました。
それから数年後、お金がなくて新しい服がかえいとこの前上げた服を返して欲しいと言ってきましたね。すべて捨てた後ですが。

これはJKの援助交際をして、その後説教を垂れる人達の底の浅い正義と同じものです。
要は自分のセルフイメージを守れさえすれば良いだけで、何処までも身勝手なおこないです。

こういう人物は世の中案外多くいて、以前の職場では円滑な関係を築こうと話を聞いてやっていたものも同じでした。

とにかく妬み話が多く、聞いていもいないのに色々と個人的な悩みなんかを聞かされました。親しくもないのにです。こういう人物は多くいます。
ウンウンと話しを聞いてやっていたら、いつの間にか人間関係の中心に自分がいて、完全に妄想の話しに発展していました。
この時点で付き合いは断ち切りました。

カウンセラーはこういうことを仕事として行うのですが、仕事でもないのにできるかと断ち切りました。
ただこのケースのような場合は、人を指導するような立場の人間は、頼られていると勘違いして騙されてしまう人もいるかも知れません。

「自己愛形パーソナリティー障害」と呼んだりしますが、古くは「ヒステリー人格」という奴です。
この境界例──ボーターラインケース──が多いのですが。


話し戻って──。

シナリオ学校へ行く、カメラの専門学校へ入学する、アニメ学院に入る。
そうすることで簡単に自分の目指している成功が手に入ると安易に考えています。

そして彼らが目指す成功とは、世の中で良く目にする成金の成功者たちの姿です。バブリーですよね。

アニメはとてもわかりやすかった。大ヒットしているアニメがあるから儲かっていると決めつけていました。これは世間一般でも同じですが。

後で振り返ってみると、シナリオ学校もカメラも当時有名な方がいてテレビなどでも話題に上がっていました。そういう華々しい成功者のようになりたかったのでしょう。
今ならば「YouTuber」がそれにあたるかも。

言葉を向けるとアニメもシナリオも好きだと言うでしょうが、彼らの言う好きとはその分野で華々しく成功している自分の姿であって、好きだからなんとか仕事に繋げたいという想いとは根本的に違います。
簡単に、できれば楽して成功したいというのが本音だと言えます。

そう思っている人はとても多いでしょう。コロナ禍が始まってから、アニメ化などが多い小説投稿サイトの作品を読むようになりました。横書きが読みにくくて今までは読んでいなかったのですが──今でもとても読みにくい。

投稿サイトの作品には、とくに異世界ものには「チート」という設定が良く出てきます。
これによって、本来は物語の要である、困難をあっさりとクリアしてしまうという便利設定です。異世界ものを読むと分かるのですが、皆救いを求めているのが分かります。

※ちょっと横道にそれますが、この「異世界もの」というジャンルは長く人気を維持しています。今回読んでみて、これはまだ当分の間、ジャンルとしての人気は衰えないと感じさせられました。このジャンルの人気は今の世相に深く関係しているからで──この苦しい世の中の動きに辟易して別の世界に救いを求めているからで──世の中がもう少しまともにならない限り衰えることはないと思えます。

個人的には「それでいいの?」といささか驚きました。
簡単に物事が解決してしまう、魔法のような展開を多くの人は求めているのだと感心もさせられました。
ですがそれはフィクションの話しであって、これを実生活でも求めているのが、彼らの実像です。

ですから好きだと思ってやっていたことに、困難さが伴うとあっさりとやめて他のことをします。
そんなに簡単に乗り換えられるものなのかと不思議に思って、一度たずねたことがありました。

すると一発当てたいとポロリと本音が聞こえました。これでは何をやっても、ものにならないなと確信しましたね。
成功への道のりが、現実的ではなさ過ぎる。野球経験がないのに、ユニホームだけ着てメジャーリーガーになろうとするようなものです。
発想が幼児的すぎる。

努力も苦労もしないで成功だけを手に入れようとしているわけですから。
その道で成功している方々も、初めから成功しているわけではありません。修行期間や下隅時代もあったのです。
それをすっ飛ばして成功だけを手に入れようとしても、実現できるわけがない。

だからなにも身につかない。例えばカメラの技術があれば、今のネット社会では使い道があるかも知れない。そうした身につけたスキルを何かに活かして、別の道を開くなんて発想そのものが彼らにはありません。

成功への道筋がそもそもなくて、まさにチートスキルで一気に実現しようとしていたと言い換えも良いかと思います。だから専門学校を卒業しても自分から仕事に繋がるような動きがなくて、現実を突きつけられるとあっさり辞めて他の成功を探すのです。

つまり現実が見えた時点で終わってしまう。

アニメ学院からアニメーターになったものは、アニメ業界の現実をかなり詳しく話して聞かせました。彼は決して悪い人間ではないので、老婆心からの忠告でした。

アニメーターになるならないではなく、なるならなるで業界で生き残っていく方法を考えておかなくてはと。
生活できずに辞めることが分かっていたからです。再就職の困難さは話すまでもありません。アニメーターを辞めてからあった時に、全部自分が話して聞かせたとおりだったと話していました。

その時話していたことは、自分だけは違うという根拠のない自信(思い込み)があったと言います。おそらくこういう人物は皆、自分だけは違うと思い込んでいるのでしょう。

彼は根拠のない自信だけではなく、「自分は若い、まだ先がある」という言葉を良く口にしていました。
振り返って見れば、モラトリアム世代のようにいつまでも学生気分のままで何でも選択できるという全能感に支配されていたのだと思います。

我々が学生の頃は、大人たちが自分たち学生に「君たちはまだ若い。いくらでもやり直しがきから何でもチャレンジしろ」とよく言っていました。
それをまさか自分から口にするとは。今思うと、自分自身を騙している便利な言葉だったのかもし知れません。

付け足しておくと、ずっと後で分かったのですがかなりの確率で音楽関係に一度は手を出していて、すぐ辞めています。

これはミュージシャンで一発当てて成功している方がいるので、とてもわかりやすかったのだと思います。
楽器も弾けず、譜面も読めないまますぐに終わっていますが。何もできないという結果がすぐ出ますからね、秒速で他を探すのでしょう。

昔はなかった「YouTuber」や「仮想通貨」のバブル現象。
今ならば確実に、こうしたものにも手を出していると想像できます。

 

これらは「中二病」と呼べるものです。
「中二病」とは良く言ったもので、この言葉は精神医学用語に──DSMに加えても良いのではないか──入れても良いほど便利な言葉です。

中学生くらいの年頃は皆、過大な期待と強い全能感に支配されている年頃です。自分もまたそうでした。自意識過剰な時期ですね。

大人になってしまうとどうしてあんなことを考えていたのか、またどうしてあんな選択をしたのかと、赤面ものの物語ばかり。
幼児性と現実主義がぶつかり合いをする年齢。過剰な自意識に振り回されて、自分でも制御不能でした。
今でもずっと後悔していることがあるほどです。

単なる「中二病」だけではあのような事件を起こすには至りません。
「中二病」を煩い歪にこじらせてさらに悪化、精神を病むところまで発展させてしまうと、大きな災いをまわりにまき散らします。

現実に気付き恥ずかしくなってしまう。または、もっと現実的な選択をする。それが普通です。ですが「中二病」をこじらせている人間は悪いのは自分ではなく、まわりが悪いと思い込みます。

そして益々自分の「中二病」に固執します。するとさらに失敗が続き、益々まわりが悪いと逆恨みを募らせていく。
そうした悪循環に陥ったさき「中二病患者」があのような犯罪へ走ることになります。追い込んでいるのは自分自身であるのにもかかわらず。

「中二病」は形は違っても、誰しもの心の中に隠れているものかも知れません。

とくに「引き籠もり」はこれが強い──引き籠もりは若年層だけではなく、中高年の引き籠もりも多くいます。自分の「中二病」を傷つけられるのが嫌で引きこもっているのかと思えるほどです。

実像は、昔のモラトリアム世代をさらに悪化させたような感じですかね。とても我が儘です。

気持ちは分かる点もあります。
世の中へ出てしまうと、幻滅と理不尽な忍耐の日々を送ることになります。時が経てばたつほど夢など描ける余地がなくなる。
正直、精神的にも疲労困憊してしまう。引きこもりたくもなるでしょう。

中二病に囚われていると、幼児的な全能感を手放したがらないといって良いかと思います。一見すると気弱に見えるのですが、異常に心理的に傷付くことを恐れています。

まるで「傷付きたくない症候群」と呼びたいほどです。本当はとても我が儘ですが

今の経済システムの中には、このような「中二病」を育てて搾取するシステムのようなものまでありますから、簡単には抜け出せないでしょうね。
現実を認識しない限り抜け出せない搾取システムです。

また、人間というものは辛い現実よりも、都合のよい嘘を好む生き物であることは今更指摘するまでもないことでしょう。



・認知バイアスとAI。

「ChatGPT」などの「AI」の進化はすでに触れていますが、この進歩はすさまじく、コロナ禍で爆発的に進歩した感じがあります。
友人の大学教員がそっちの研究者でもあるので、少しは情報を得ていたのですが、研究者たちでもここまでの爆発的な進歩は予想していなかったようです。

「認知バイアス」による弊害を考えていると、今よりも進んだ「AI」が生活に浸透してきた場合、果たしてどうなって行くのかと考えてしまう。
話し相手となる「AI」はもうすでに目の前まで迫っています。

会話「AI」が当たり前になったとしたら、巷に溢れかえる「認知バイアス」はただされていくのだろうかとふと考えてしまう。
個人的な興味です。

「京アニ」事件のようなものも、もしアニメやライトノベルが思い描いているほど儲かるものではないと知ったら。
適切に「AI」が指摘して警告していたとしたら、もしかして事件にまで発展しなかったかも知れない。

今回のコロナ禍で、人と会話しないとここまで諸々弊害がでるのかと驚かされました。
正直、このような経験は初めてです。

突然、誰かと話をしようとしても声が出てなかったり、話がまとまらなくなったりと自分でも驚くことしきりです。精神的にもかなり参りました。
少なくとも相手が例え「AI」でも、会話できることそのものが効果を発揮するでしょう。

また対話「AI」による、対人関係からの孤立も軽減できたかも知れないと、半ばSF的な目線で考えてしまいます。少なくとも最悪の事態になる前に、ある程度のブレーキとなるかも知れないと思うのです。

「AI」による擬似的な人間関係が構築されてくるのかとまず考えてしまう。
実際に会話できる、「イマジナリーフレンド」のようなものになるのかも。
それとも実生活の良きアドバイザー的なものとなるのか。
あくまでも「AI」がこのまま順調に進化したらという但し書きがつきますが。

どちらにせよ、かなり強力なものになるのではないかと考えさせられます。たださえ、スマホに依存している人達はとても多い。それがさらに強く結び付く可能性が──ほぼ確実に──強くなってくるでしょう。

例えば「カウンセリングAI」と言う専門の「AI」があれば、増える一方の心理的不調が軽減されてくるのかもしれない。精神疾患というものは、治療室だけの治療だと一時的なものになりやすいのです。

例え治療されても、障害を発症した人間関係や実社会に戻されてしまうと、また同じようなダメージを負って戻ってきてしまう。

症状が重い場合は、精神科へ、その後カウンセラーなどによる協力を得て健康を取り戻し、維持し続けることが大事なのですが、そうしたバックアップ的なケアは日本の治療では殆ど行われていません。

カウンセリングも、短く限られた時間で十分ではない場合が殆どです。

対話型「AI」はこの時間の制限がありません。
困ったときに必要な時間利用できるとしたら、かなりの効果が期待できるのではないかと考えられます。

なによりも問題を抱える人だけではなく、家族などの周辺の人間の負担を減らせるのではないか。
介護もそうなんですが、周りの人間の精神的な負担はとても大きい。介護職に人が居着かないのもこれが一番の原因です。

気難しく我が儘な高齢者に、精神的にたえられなくなってくるのです。
介護型「AI」と言うものがあれば、かなり役にたつのではないかと思われます。同じ話を何万回でも聞いてくれますから。

ただこの「対話型AI」に心理的に依存する人々は沢山出てくるでしょう。
すでに「恋愛シュミレーション」というバーチャルなゲームは存在しますが、こういうものとは比較にならないほど強い依存性があると思います。

「AI」だけが親友というものが確実に出てくる。

社会や人間関係の中で孤立せず、円滑に日常生活を送れる手助けとなるのか、それとも「AI」との関係だけに引きこもってしまい、人とのつながりそのものが分断されてくるのか。

まさにSFで描かれるデストピアを地で行くことになるなるかも知れません。
大変興味のあるとこではありますが、同時に危険性もリアルに感じます。


今や「AI」は避けては通れないものになったと感じさせられています。
注意しなければならないのは、「AI」を信じすぎないことです。
日本人の性質からして、「AI」を信じすぎる可能性が大いにあります。

今の真実を伝えないテレビニュースでさえ、おかしいとも思わないで信じている人が多すぎるからです。

「AI」は絶対中立であって欲しいのですが、これを作った人間たちの都合の悪いことは発信しないようになるでしょう。つまり今よりもさらに操作されてしまう人達が増えてくる可能性が強いということです。

同人やコミケについての実体を、このような記事にまとめていたのは、現実を伝える情報がネットに見あたらなかったからです。

間違った情報ばかりが流れていてそれに気付かない関係者しかいなかった。
我々がその間違った情報に振り回されて、大変に痛い思いをさせられていたからです。
それをなんとかしたかった。

ネットから「AI」が情報を得ていると、自分のような事実を伝えるものがいないと、間違った情報が正しいとされかねない。

あるアニソン歌手がラジオで話していましたが、自分のデビューの年を「ウィキペディア」が間違って掲載していたので本人がなおしたのに、また誰かが元の間違った情報へと戻すということがあったそうです。

こうした問題を「AI」がどう処理していくのかが分かりませんし、間違った情報をネットに大量投入することで「AI」を間違いへと誘導できるかも知れない。

そう考えてくると、「AI」が絶対ただしいと信じ込むのは大変に危険なことです。
しかし今の真実を伝えず、政府の言いなりになるマスコミの情報を信じている人々の多さからすると、どんどん間違った方向へと誘導されていくのではないかと思えてしまう。

そう考えてくると「AI」時代も、やはりディストピアへの道筋であるかも知れないと考えさせられるのです。
近い将来、必ずおこってくる出来事になってくるでしょう……。




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