猫はライオンの進化系 第十九回「猫のクチバシ」
「猫の庭」安岡章太郎
冒頭は、はっきり言って嘘しか書かれてない。ひどい妄想話で今時分だったらほとんどの人から受け入れられないかもしれない。けれども、私はその妄想話が面白いと思った。ライオンから猫を作るというのがそもそも乱暴な話なのだ。大体小型の猫が先か大型の哺乳肉食獣が先かわからないではないか。無論作者は猫の専門家ではない。だからライオンを猫にしたというありえない結論を導くためにとんでもない惨い妄想をするのだ。
作者はライオンが猫のように小型にできれば飼いたかったのか。あるいはそんな願望すらなかったのかもしれない。ライオンを自分の妄想のためのおもちゃにしている。その児戯があまりにも悲しい。あまりにも共感を呼び起こす。
ただ1つ分かる事は、作者が人間をとても残酷なものとして認識していると言うことだ。ライオンを膝に乗るような小さな猫にするまで、人間はあらゆる実験を施したと想像する。ライオンを小さくして飼いたいという願望をシナ人(中国圏の人)の王様や王妃様が持っていたかわからない。そのような面白いものを見せればきっと偉い人は喜んでくれるだろうという欲望を持った商人が恐ろしい実験を始めてしまったのかもしれない。商人に命じられた科学者たちも夢中になったのか。果たして今、現代には人間なしでは生きられないような猫たちが世界中に野猫として跋扈している。
結局のところ、それほど努力して、偉い人に気に入られる動物を作ろうとしても、実際に完成したものが気に入られなかったならば、それで終わりなのだ。そのことを哀れんで、一般人が猫を飼おうとしても実験の最中に、放り出された哀れな猫たちは、すでに巷に溢れかえってしまっていた。
作者は兵役に就いていた時代に、過去に対する妄想を相当していたようである。今の知識を持って過去に商売を始めるのだ。それは現在流行の転生者小説だとかタイムスリップ小説だとかと同じもので、戦況がこういう風になるから、この国ではこういうものが売れるだろうと予想する。しかしながら、実際に本当に過去に行くことなどできないし、辛い時にやった妄想を戦争が終わった後も生かすことなどできなかった。
我が家でも私が物心つく前にはニワトリを庭で飼っていたそうである。しかしそれは野良猫や蛇にやられてしまった。偶にイタチの仕業もあるが、たいていは、野良猫のせいだとわかっている。野良猫の狩猟能力は非常に高い。昨今では、無責任な野良猫に対する餌やりはやめてくださいと言われるが、猫と言うのは、遥か昔から日本に生存しているものであり、確かに捨て猫もいるのであろうが、人間が多少餌をやってもやらなくても、それなりに自分で餌を確保する能力はあるわけである。むしろ作者などは、戦後の大切な財産であった鶏の2割ほども飼ってない猫にやられてしまった。
犬の放し飼いが認められていない以上、猫の放し飼いも認められてはいけないはずだと作者は苛立っている。私も同意見ではあるが、実際に猫を飼ってみると、家の中から全く脱走させないというのは、慣れないとなかなか難しい。ましてや、大量の殺処分なしに野良猫を周辺から滅するということはほとんど不可能であろう。狂犬病等の病気については、作者の認識違いがある。とは言え、猫だって少なからず人間に感染る病気を持つこともあるので、その辺に猫がうろちょろしていることが怖いと思う人は怖いだろう。しかし、作者はおそらく猫が怖いというより、一般庶民の生活の困難がどこにあるかわからない政府の不作為や現実の理不尽に怒っている。
私もそうだ。猫に困っていると言うより、生活に様々な困難があって、それについて全て語るわけにはいかないのでね。この話に集約している。
猫の良心に頼ろうとしたってムダなことさー。
無論、良心がないのは人間である。特にネットいじめが流行っている昨今では、いかに弱者に対して世間の愛がないかということを痛感する。地べたにはいつくばって頭を足で踏みつけられ、砂を噛んでいるような心持ちが時折するのだ。しかし、そんな惨めな境遇は、自分自身に原因があることもよくわかっている。
果たして、灰色のオス猫は隣の家の飼い猫であった。作者が苦手な金茶色の瞳のメス猫がいるというのも我が家の状態にそっくりで、きっと我が家で鶏を飼っていたら、灰色の巨大なオス猫が鶏小屋をめちゃくちゃにしてしまうだろう。その時私は猫を憎んで、猫を殺して、自分も死のうと思うだろうか。作者はその考えを取りやめた。結局のところ、憎い憎いと思っていた猫に惹かれていたのである。弱った病人が片手で捕まえられる。猫というのは人慣れしている。
我が家の庭に居着いている飼い主のいない猫たちよりは、ずっと人間に媚びて可愛かったことであろう。それでも飼ってあげるには、にわとり小屋だけに頼った経済状態では到底及びもつかない。体を病んだ退役軍人。ほとんど寝付いていて、母はそれを気に病んでだんだんとボケてきている。父は庭の小さな畑を無意味に一生懸命耕して、せっかく育てた鶏は毎日猫に台無しにされながら、鶏の飼育について論文を書いて、それが連載されて、父が多少の日銭を稼いでいる。
堅実な家族なのだ。それでも猫の1匹も飼えないよほど苦しい境遇であったのだろう。とは言え、そういった体験を文章に残しているのだから、猫を殺さなくても、自分を殺さなくても、鬱憤ばらしの方法は充分わかっていらっしゃった。
それにしても灰色のボス猫と金茶の目の家に白猫がいれば、このように小説になるのだろうか。たくさん家にやってくる猫たちのうち、作者の目に止まったニ匹。それらの猫は特別なのか。しかし、我が家にもいるその猫たちを題材に小説にするには我が家に文豪が不在だ。