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「日本を前に進める」河野太郎議員の本を読んで

こんにちは。まだ8月ですか?と思うような暑さで引きこもっております。

次期総理の本を読みたいという願望が抑えきれず、買ってしまいました。しかも買ってみたら2021年9月9日初版じゃないですか。タイムリーなことこの上ないですね。

おまけに、河野さんを買ったら石破さんも・・・という気持ちが捨てきれず、アマゾンでついうっかりポチッとしてしまったので、明日にはその本が届きます。

石破さんは、総裁選にはほぼ出ないみたいですが、まあ気になりますよね。立憲の方は政策とかたくさん案を出されており、枝野さんも以前に官房長官をされていましたから、今のところはまだ読まなくて良いかなという気分でおります。

しかし、石破さんはたくさん本を出されて、イメージとしてはフィールドワークの多い学者のような政策通と呼ばれている方なので、私ごときでは話が理解できないんじゃないかなと今までもしり込みしていたので、勢いで買ったものの今から読み切る自信を喪失しています。勉強しながら読むと言っても、目が悪いのを言い訳にほぼ何もしてない状況ですからね。目と頭がガンガンすることは止めていただきたい。ついでに、わからないくせにあれもこれもとシリーズを集めるがごときに買いたくなったら、文庫とはいえ生活の心配でさらに胸もドキドキしてしまいそうです。

以下は、私の非常に個人的な見解です。河野太郎さんに日頃から好意的な方は回れ右をしてください。今後私の記事はミュートしてください。よろしくお願いします。

まあ、その前に長すぎて、この記事を読んでくれる人が一人もいないかもしれませんね!1万3千字近くとか、感想文にしては長すぎます(笑)

1.この本で河野太郎さんに総理の器を読み取れるか

多分、仕事熱心で良い方なんだろうと思います。でも、やっぱり偏見があるんでしょうか。私はこの本では河野太郎さんの国家観は見えてこないなあと思ってしまいました。

一番気になったのは、内なる課題に対する目が欠落しているのではないかということです。もちろん、河野さんがこれまで日本の内閣総理大臣になろうと思って生きてこられたかわかりませんし、この本を書いた時にそのつもりがあったかもわかりません。

けれども、いち議員であったとしても持っておくべきじゃないかと思うんですよね。持っているのだとしたら、書いてほしかったです。

特に河野さんは、本の中で「与党議員ではできないことも大臣になったらできる」と書いておられます。ということは、それだけ権限のある大臣になったのであれば、国内の事情を大きく見てもらいたいと思うのです。

2.日本を知ってほしい

①河野さんの思い出話

河野さんは、人生において何かをなすときに、一足飛びに生きてこられたという印象を受けました。本にするために、話を端折ったところが多いからそう思うだけでは?と思われるかもしれませんが、まあ話を聞いてください。

河野さんは、自分がやりたいと思ったことを実現してきた人だと思います。中には、実現できなかったこともあったでしょうし、無視された議題もあったかもしれませんが、望んだ地位はそこそこ手に入ってきた人生だったのではないでしょうか。

失礼ながら、お父様に生肝体移植をされ、その時の経験から保険適用でなかったことを問題視して、保険適用になるよう働きかけをされたということを知りませんでした。いえ、メディア等で見聞きしていたかもしれませんが、覚えていませんでした。再生エネルギーの取り組みやテレワークの推進をずっと以前から言われていたことなども実務的な面で素晴らしい努力をされてきたのだと思います。それらにことに関しては、言うまでもなく頭が下がります。

しかし、人生のお話を伺ってみれば、箱根に出たいと思えば部活をさぼっても競走部にいられて、留学したいと思えば、留学できて、留学先ではアメリカ議会でインターンが経験できて、海外出張に行けばアメリカの大学でお世話になった先生が国務長官で、そんな人生では話を聞いてもらえなかったことはあまりないのではないかと思います。

もちろんこれは持たざる者の僻みです。

けれども、一つ一つ新しいものを取り入れる時に、今までなぜそうなっていたのかという問題を深く掘り下げなくて良いのはやはり恵まれた立場だからではないかと思うのです。成功した事例だけでなく、失敗したことも反省と原因を突き止めなければなりません。日本の総理大臣となる人にはぜひ大きく内政に対する視点を持っていただきたいと思います。

②仕事の進め方

先に書いたように与党議員でできなかったことも役付きになればできるとはっきりと河野大臣は書かれています。それは確かに事実なんでしょう。けれども、そういうあり方にやはり問題意識を持っていただきたいですね。民主党政権が終わるとき、議席の削減について安倍政権で約束され、果たされませんでしたが、上の人が何でも決めて動かすような政治が果たして議会制民主主義と言えるでしょうか。そのようなことなら、民主党との約束を守り、やはり議席を減らすべきでしょう。なんなら、国会議員は数十人ほどしかいらないかもしれません。

トップダウンで行えば、物事の進行は早いかもしれませんが、それは一般企業に喩えるならワンマン政治です。実際に行動して事務をするのが自分じゃないので「やれ」と言えば進むかもしれませんが、もし自分でやるとなったら、そんなに早くやれるかも考える必要があると思います。

さらに、やはり河野さんの目が外交に重きを置いているのが気になりました。確かに世界の情勢は今混沌をきわめているかもしれませんが、内政がしっかりしていなくては、他国に手を差し伸べることは難しいのではないでしょうか。日本が先進国であることを自認する前に、先進国とは何か、国際社会において日本を日本たらしめるには、日本にどのような力が必要であるか考えていただきたいです。

海外の進んだ技術や制度を良いものとして、取り入れていくのはよいことかもしれません。しかし、だから日本は駄目なんだと卑下するのではなく、なぜダメかどうダメなのか、どういうところを改善したら良いのか考えなくてはならないでしょう。

②ワクチン

ワクチンの問題に関して、「国内生産できないことの問題が骨身にしみた」と書かれていました。さらに、「日本ではワクチンの生産ができていないのに、海外の治験で安全性が確認されているのに『日本人を対象とした治験で安全性を確認しなければならない』という理由で百数十人の治験を行ったために承認が遅れた」と書かれていました。確かにメディア等でも当時日本では承認に時間がかかるため、他国よりワクチン接種が送れるだろうということは言われていました。それでも世間で予想されていたよりは、早くワクチンの承認がなされたと記憶しています。

私は医療関係者ではないので、海外で承認されたワクチンや治療薬に改めて日本で治験が必要でないかどうかわかりません。しかし、そのときの百数十人の治験が無駄だったと切り捨てるのであれば、なぜそれをしなければならないのか、それまでの歴史や理由そのメリットまで含めて検証して実際に医療関係者から話を聞くべきではないでしょうか。そして、そのことについても、本で言及すべきではないでしょうか。

その時、治験をせずワクチンの接種が早まっていれば、その後の第4波、第5波は食い止められたと言えるでしょうか。ワクチンのことだけでなく、コロナ対策は入管の在り方など大きな視点で考えなければならないでしょう。GOTOトラベルやそれに類似するような音楽フェスティバルのような大型イベントに対する助成金、協力金は飲食店だけでよいのか学校クラスターの原因など、そういった政策について問題がなかったか、自分たちの政策についても反省して考えなければならないと思います。また、河野大臣はアトピーとアレルギー持ちでいらっしゃるので、0コロナが無理であれば、100ワクチンが達成できるとお考えなのか、1回目ワクチン接種したときに2回目打つかどうかの医師のとるべき対応、ワクチンの国民接種について、何割の国民を目標にしておられるのか、それでどれほどの効果を期待されているのかという話が聞きたいのです。すべてでなくても構いません。あの治験無駄だったんじゃないか?だけでは、話が尻切れトンボではないかと思います。

もちろん、コロナにかかわらずどんな仕事でもわからないまま進んでいくということはあるでしょう。けれども、あれもこれも無駄だったではなく、なぜ無駄と思われるのか伝えてください。そして、無駄じゃないと思う人の声も聞いてください。

③外交姿勢

外交の話でも気になる点がありました。外務大臣だった七七〇日の時に五九回出張したと書かれていました。海外出張で平均5日間の滞在なら、3分の1は日本にいなかったのか?10日間なら、3分の2はいなかったのか?、その滞在費はどうなっているんだ?などということが気にはなりますが、その是非を論じるだけの知識が私にはありません。そこまでは良いのです。

しかし、海外出張の比較対象が中国の王毅外相だと書かれていました。なんで中国の王毅外相と比較する必要があるんですか?中国の外務大臣が年1回しか全人代に出席しないことを良しととらえられていると思って良いのでしょうか。日本は法律によって物事を決められることが、中国と比較しての良さだと書いておられたのはなんだったんでしょうか。さらに、日本の国務大臣は過度に国会に縛られると書いておられました。特に答弁もないのに、座っておられなければならないのはお辛いでしょう。けれども、それだけ海外に行っておられるのに、その外交の成果を国会でもっと話さなければならないのではないでしょうか。内輪の会議で済ませれば良いと考えるのは、あまりに国会軽視だと思いました。ただ、座っているだけが国家に対して大きな損失だと考えるのであれば、そもそも国会で話す必要のない外遊は予算の無駄ではないかという話にならないでしょうか。話す気があるのに、国会で話す機会が得られなかったのであれば、そのことを問題視して、国会の議会運営の在り方を変えなければならないのではないでしょうか。また、国の外交は外務大臣のフットワークが軽くないと成り立たないとおっしゃってますが、国会は外務副大臣でよくて、外交は国務大臣でなければならないとお考えになる理由はなんですか。特に日本の自民党政権は外務大臣経験者が総理総裁になりやすい傾向があります。将来の総理候補、次期外務大臣となれるような副大臣が外交を代わることはできないのですか?大使館や事務次官の役割をどのようにお考えなのですか。外務大臣であった時に59回以上もっと外交する必要があったとお考えなのですか。外務大臣は日本に全くいなくてもよいのでしょうか。

次期内閣総理大臣候補河野太郎さんに問います。現在役職についていない与党議員や野党議員についてどのようにお考えですか。大臣が話し合うことを閣議決定して、大臣がやるべきことを決めて、役人がそれに従って仕事をするだけであれば、他の議員はまるで幽霊みたいなものです。けれども、河野さんはいち議員であった頃からそれなりの機会と仕事を与えられたから、今の地位に就かれたのではないでしょうか。また、役人に仕事を任せるというのであれば、特に財務大臣の地位が大切だと思われますが、その地位には長く総理として登板のない人物がつくことが多くなっています。次期総理候補が財政面や実務面でつながりが絶たれがちであることは、河野さんのお考えからすれば非常に危険なことではありませんか。

野党に質問の内容を考えさせず、与党だけで報告会をすればスムーズに議会運営ができるでしょうか。それが、日本における議会制民主主義の在り方ですか。大臣が間違った時に正す人は必要がないのですか、アイディアを出す機会は誰にでも与えられているということなら、確かに平の議員の立場は一般庶民と変わらず、大臣にならなければ何もできないでしょう。

だから、あなたは内閣総理大臣になって、トップに立てば今までできなかったことがお出来になると考えるのですか。けれども、自分以外の者に機会を与えずその後継はどうやってお育てになるのですか。自分の息子ですか。おじい様がおっしゃったように仲間とうまくやってください。それは家族だけではないでしょう。自分一人だけでは見られない世界や考え方がきっとあって、それを受け入れられる方に日本のトップに立っていただきたいです。

3.日本における「うちなる貧困」を知ってほしい

医療や外交の話が多かったですが、教育についても述べられていました。特に想像した通り、海外志向の強い方だと思いました。けれども、なぜ、日本で海外志向が強まらないのか、むしろ離れていってしまっているのか、もっと考えていただきたいと思ってしまいました。

①英語教育

たとえば「英語をはやくから教えるよりも、美しい日本語を話せることが大切だ」と主張する人がいるという話、もっと掘り下げてほしかったです。「数学を勉強するよりも、美しい日本語を話せるほうが大切だ」という人はいないと切り捨てておられましたが、いますよ、そういう人。私はそう思っています。

例えば私が塾講師だったとき、「漢字書けないけど、読みはできる」「物語文なら解ける」とか「国語の授業中は寝てる」「国語の授業ではみんな別の本を読んでいる」という生徒が体感では多数いました。でも、そういう生徒って必ず国語の能力が高いかといえば、むしろ逆が多いんです。

例えば、漢字の読みは文脈から推測しなければなりません。常用漢字で習ったものにはふりがながつかないわけですが、みんな時代が古いお話が出題されると途端に正答率が落ちるんです。井上靖の作品が題材になるとガクッとみんな解けなくなって、「問題が難しかった!」というのですが、私は言葉の意味が入っていかないのだろうと思うんです。恥ずかしい話、私より知能が高そうな子どもでも解けなくなるんです。私はといえば、昔から祖父母の蔵書が家にあり、山本周五郎とか山手樹一郎とかの本を読んでいたので、そういう古い話でも現代小説なみに解けるから高校の時などは突然模試の順位が上がったりしていました。ふりがなが振ってあっても文脈から読み取れないので、多分、本来の意味では、字が読めていないんですよ。

算数でも数学でも図形の難問はどこまでも思考できるのに、普通の文字だけの文章題で止まってしまう子がいたんですが、同じ現象だと思います。文脈を思考できない、つまり字が読めないんです。

漢字の読みは一通りではありません。難しすぎるものもありますが、語彙が豊富でなければ、音を知っても読めるということになりません。

例えば、上記の古いお話がなぜ私には解きやすいかといえば、昔の話は「メロスは激怒した」みたいに、感情がはっきり喜怒哀楽で文字にされているんです。早読みの私ですが、探すのが容易です。けれども、語彙が豊富でないとどうして怒っているかどの場面で怒るのか話が追えていないんですよね。

他にも、現代文で、例えば転校生との別れのシーン「大きく手を振って、泣き笑いで見送った」という場合、きちんと別れができて晴れ晴れとしたうれしい気持ちであるというのが、前後を読まなくても大抵は正解です。けれども、”泣いた”と書いてあると悲しい気持ちという選択肢を選ぶ子が多数います。ただでさえ、現代の小説では泣くことも”泣いた”と書かずに、冷たいものが頬を伝ったとか書かれたりしているのに、派手な描写表現がない限り、怒っているか悲しんでいるかうれしがっているか分からない子が増えるのではないかと危惧していました。それでなくとも、スマホの影響か否か(私は関係ないと思っていますが)文章で話せない子が多くなっています。近い将来、絵文字とボディランゲージを使わないと意思疎通ができないという世の中になってしまったら大問題ではないでしょうか。

別段、相手の気持ちが分からなくても意思疎通に大きな問題はないのでは?と思われる方がいるかもしれません。私は、心情問題が解ける人は共感性が高い人だと思ったことはありません。そんなことを言う人もいるようですが、まったく関係ないと思います。現に、私は国語大好きでそこそこ解けましたが、嫌われ者の人生を歩んできました。コミュニケーションは下手くそです。塾の授業も人気はありませんでした。

しかし、相手に話を理解させる力はそこそこではないかと思っています。実際、小学生の時からクラスメートの誰かに毎回テストの解答の先生の解説の解説をやっていました。その上で、小学生の時から、社会が苦手な人は本当は国語が苦手ではないかと思っていました。

例えば、最も深刻だと感じたのは、中学生で全国模試の偏差値が50後半、あるいは60を超えている子どもたちが、社会のとある問題で「日本は生産性に乏しく他国と比べて貧しい国である」という選択肢を多く選んでしまったことです。記憶が曖昧でもう少し長い文だったのですが、長い文の選択肢は大抵正解だからこれだろうと思ったという人がいたのも問題だと感じました。世界で5本の指に入る経済大国である日本が”他国と比べて”貧しいわけがありません。「トヨタ自動車を知っていますか?」と聞いたら、知っているとみんな答えました。日本は国債を多く発行していて借金が多いから貧しかろうと思ったというのです。「ひっかけだ!」と言っていましたが、ひっかかることに問題を感じました。一方で作問者はきっと子どもたちの社会のとらえ方に問題意識を持っている良い先生だったのだろうと思います。

もう本当に話が長くなりすぎて、早く留学についての話もしたいのですが、私が中学の時の話もさせてください。私が中学の時は小泉純一郎内閣で、非常に総理の人気が高く、支持率も高かったです。けれども、一方でニュースに関心の高い同級生は「小泉さんはアイドル総理だ」「人気だけで成り立っている」とか大人の受け売りかどうか批判的なことを言っていました。私はそれについてはよく今もわからないのですが、その時の社会のテストで「構造改革」という言葉を書けたのが、私一人だったと学校の先生に褒められたのです。私は地方の国立大学に浪人して進学したので勉強はそこそこ(自分ではあまりできない)だと思いますが、政治に関心が高そうだった同級生たちはなぜ解けなかったのかというのがはなはだ疑問で驚きました。中学生の時は、成績が貼りだされたりはしませんが、私より成績が良い人がたくさんいたのはわかっています。けれども、あれだけテレビで連日「聖域なき構造改革!」と叫ばれていたのに、「行政改革じゃだめなの?」とか「そんな言葉知らんもん」とぶつぶつ言っている人が多かったのが忘れられません。ちなみにその当時、私は部活が忙しかったせいか持病を発症していたのか、体調が悪く寝てばっかりいたので、テレビなんて休みの日以外見ていませんでした。

つまり、興味のない言葉は、何度聞いても見ても読めないで(読解できないというべきでしょうか)素通りしていくのです。語彙力の低下を国語の授業を充実させれば解決できるのかという疑問を持たれる方が多いのは承知しています。けれども、一方で国語力の向上が学力向上につながることを分かっていらっしゃる保護者様が多いなという印象も持っていました。国語の授業が軽視される一方で、塾では国語を教えてほしいという層も増えています。そこに私はやりがいを感じていました。数学や社会の成績を上げるより、退屈だと思われても衰えることのない国語力を身に着けてあげることが私の理想だったのです。

一番の問題は、保護者や本人が国語に悩んでいたとしても、学校で英語や数学の授業が増えると、国語の授業がその分減らされることが多いということです。せめて漢字の読みだけでも教えることで、そして、宿題に漢字を出すことで、全体の学力が上がる生徒が多いと思います。そう思っている学校や塾の先生も多いと思います。けれども、実際子どものやりがいは英語や数学にとられてしまうのです。そのジレンマを解消しなければならないのです。字が読めないことは、生きる上で非常に大きな問題になりえます。文字を読むことが苦手だと、国語だけでなく”社会の問題を読むことができない”ということに文字通り陥るのです。

河野大臣の書かれているように、習熟度別のクラスは一つの解決策かもしれません。

②留学希望者がなぜ減り続けるのか

ここまで読んでくださっている人が果たしているんだろうか!?というくらいに長くなってしまいましたが、これだけ最後に書かせてください。

河野さんの本では、海外に出ることは良いことで日本の海外との競争力を上げるのになぜ留学しないんだろうか、という話で終わっていた気がします。けれども、大企業の経営者がどんなに海外に市場を求める時代であったとしても、日本が正しい競争社会になっていなければ海外に若者が闇雲に出ていってもなんの利益にもならず、将来路頭に迷うだけだと思います。

書いておきますが、私は留学経験や海外に行った経験がありません!けれども、社会人1年目で東京で働いていた時、英語の日常会話ができても全然日本では役に立たないという話をよく聞きました。実際、英語力を求める企業が多いですが、一般企業は海外勤務にならない限り国内で英語を使う機会がありません。自分で勉強しないと衰えるばかりです。河野さんは本の中で、英語のできない教師に英語を習っても英語ができるようにはなりませんと言い切っておられましたが、日本の現状では、語学は一生を通して自力で勉強をしている人が多いと思います。18歳までで完結させようとするのにそもそも無理があるのでは?と考えます。

それだけでなく、今はグローバル社会というよりネットワーク社会になって、翻訳機能なども使えば現地に行かずその土地の言語が話せなくても繋がれます。実際、YouTubeなどの日本の動画やコンテンツにも海外の人がコメントを書かれていることがありますが、翻訳機能で不正確な面はあるもののある程度文意を読むことができます。必要な時に必要な道具を使って必要なだけ勉強してつながるという便利な社会になったので、人格形成ができていないまだ人生で何者でもない若者が確たる目的もなく海外に行こうという時代ではなくなってきているのではないかと、素人意見ながら思います。もちろん、スポーツで世界チャンピオンになりたいという少年少女なんかは海外志向が強くあると思うのですが、勉学をする人間にそれを求めても、論文すら翻訳機能で読めてしまうので、言語から勉強するより専門用語や新しい概念の言葉だけ調べて学ぶ方が楽なのではないでしょうか。

また、「日本は科学的に遅れてきているから海外でないとたくさんの予算をもらって大きな研究をすることができない」とおっしゃる人がいるかと思いますが、子どもたちの誰しもが大きなことを成し遂げて高い地位につきたいと思っているわけではありません。それよりも、「お医者さんになって人の命を救って幸せにしたい」とか「YouTuberになって人を笑わせて幸せにしてお金を稼ぎたい」とかふんわりした幸せな生活を望んでいる子が大半で、「アフリカに木を植えたい」という広い視野の子がいたとしても、中学生やはたまた高校生くらいであっても、社会的な地位を求めている人は少ないので、日本では成し遂げられないことがあると言われても、庶民では大人の私も含めて理解しづらいのではないかと思います。それこそ、疫病や紛争も多くなって世界の情勢も不安定なので、あてもなく目的もなく海外に行くことが無意味だと感じる人も多くなっているのではないかと思います。

先に書いたことも含めて、外国語を学ぶこと海外に留学することが人生を豊かにするかどうかというのが最大の問題だと思います。海外に行っても、日本より失業率が高くて就職できない、企業を立ち上げても翻訳や通訳は疫病や紛争が起こると観光事業では食べていけなくなる、工場だって閉鎖に追い込まれる、そんな不安から救ってあげなければ海外留学は進まないのではないでしょうか。

さらに、外国語ができるようになって良い教育が授けられ、海外で学んだとしてその後本当に日本や世界で社会的地位を得られるかという問題もあります。大学院まで行くと、「院政を取ると初任給が高くなるからと企業から嫌がられる」という時代に、海外で勉強して歳を取っても日本で無事就職できると言っても信じてもらえないのではないのでしょうか。「専門知識など今の社会では求められない。理系より文系の方が就職がある」と統計を見ないで発言する大学生すらいます。別に専門職にこだわらないなら、理系の人でも営業でもなんでも文系の人が好む職につけないことはむしろないと思いますけどね。でも、実際、そういう不安を持つんです。

家計の格差が教育の格差を生むということにも、本で触れられていました。しかし、日本の国公立大学は家庭の経済状況を考慮してもらえます。両親がいなければ、学費免除のところも多いと思います。私立大学ですら、成績が良ければそういう制度があります。高校も無償化されます。けれども、そういった制度が勤勉の意欲につながるかと言えば、やはり疑問をもたざるをえません。

例えば、塾でも奨学生のような成績優秀者には塾代がかからない制度がありましたが、そういう生徒の多くが塾を休みがちでした。そして、その上で志望校に落ちていました。中にはお金のかからない塾の方を休みがちで、個別塾と掛け持ちする子もいましたが、そういう家庭で勉強がうまくいくかといえばそうではありません。やはり、ここぞという信頼できる塾を選ぶのが一番です。同じ塾で授業を増やすか、家庭でも勉強増やすか、思い切って塾を替えるか、辞めれば良いのです。

言い添えると、実際の例を私もそれほどは知りません。しかし東京大学に進学する人は裕福な家庭の子どもが多いのかもしれませんが(私の中では公務員の家庭も教育にお金をかける余裕があるという意味で裕福になります)、一方で母子家庭でも家計に借金があっても塾に行ってもなくても(あるいは特待生)、東大に合格する人を見聞きしています。

しかし、現役で家庭が裕福でない中、東大に合格した子どもたちが、将来裕福な同級生と同じように良い就職先を得て上手く出世できているかといえば、それは日本では理想通りに行っていないのではないでしょうか。仮に3割の学生が現役合格の優秀な人材でなおかつ家庭が裕福でない場合(特に理科Ⅲ類以外)、就職は将来どうなっているか調べるというの分母は小さいかもしれませんが原因究明の一つの方法ではないでしょうか。

河野大臣のいう通り、英語ができる人が教えなければ英語ができるようにならないと言い切るのであれば、どの科目も先生が東大卒でも学力が足りないでしょう。どこの学校にも教師を超える発想力や思考力のある子供がいるものです。けれども、日本には優秀な教科書があるのですから、それでよく解説出来て、子供の意欲をよく引き出せる最低限の学力と思考力のある先生がいれば良いのではないでしょうか。英語力が伸びないのではあれば、教科書に問題があるかもしれませんし、本場の発音やコミュニケーションならそれこそオンラインで教えられるのではないでしょうか。優秀な人材を医療関係者か法律家か教師に全員とってしまったら、職業の多様性がなくなりますし、高い給与を税金で払う人が増えるばかりです。

一人で一生懸命勉強してほとんど留学経験がなくても、多言語を習得する生徒が多く生まれるのであればそれも一つの理想ですし、実際そういう人の方が日本には多いかもしれません。けれども、就職先に恵まれなければ、その努力も才能もすべれ枯れてしまうだけです。「千里馬は常にあれども伯楽は常にはあらず」というのは、現代でもあると思います。

日本は高校や大学の学閥で固まりがちですが、その割に知性に対する尊敬が少ないと思います。勉強ができる子がいじめられ、周囲や教師にかばってもらえないのもそういうところの一面です。

また、終身雇用制が壊れて来た割に、人生をやり直すチャンスが少ないと感じます。知性にあふれた人というのは好奇心旺盛でいろいろやって意外に失敗するものだと私は思っています。しかし、日本はそんな人が評価されないから、お金を持っていたり、家柄の良い人にしかチャンスが来ないのだと思います。

日本の将来のために必要なのは、識字力とチャンスです!留学の機会を単純に目につく人に与えるのではなく、留学と進学と仕事をセットで与えて夢を見させてください。年齢で差別せず、能力と意欲を評価してください。「起業家セミナー」を民間に任せるのではなく、行政と民間で協力して新しい起業家を育てる機会を作ってはどうでしょうか。そんなのがあれば私も参加したいです。

コロナについては、感染症対策研究センターを作ってはどうかと以前ブログに書きました。そこを病院や保健所との窓口にするのです。災害ボランティアの育成や医療関係者以外での疫病時や災害でのかかわり方を考え対応に当たるのです。

そういう機関、ハコではなく働く機会を作ることが若者に夢とチャンスと意欲を与えるのではないかと私は考えています。ガラスの天井があるのは女性だけではないと思います。家柄や国籍や持病や生き方やいろいろな問題を内包しているのです。

4.総括

河野大臣の問題意識は、「内向き」に感じます。それは国内に目が向いているということではなく、自分の経験や近い周囲の意見のみで考えられているのではないかということです。確かに行政改革大事だと思いました。原発エネルギーについて、核のゴミくらいについては課題を知っていましたが、文科省も巻き込んであっちにもこっちにも予算がついているなんて、そこまで知りませんでした。しかし、やはり、大きく日本で考えた時には、原発を欲しがっている地域が本当にあるのか、核の傘に守られた安全保障が本当に正しいのか、そこまで言及してほしいですよね。特に日米安保で日本の窮地に本当にアメリカが日本を守ってくれるのかと、お父様と国会でやりあった思い出があるのであれば、日本における安全保障とは何か理想を語ってほしいです。

最近では、野党が政権交代を見据えた公約を掲げた時に「理想論」だとか「どうせ政権がとれないからなんとでも言う空手形だ」とかネットで批判が書かれています。もう、実は立憲が与党で小池さんが首相なんじゃないかと思えるくらいの批判の数々ですが、私はある程度政治に理想を見たいなと思います。実現できることだったら、正しくなくて良いんですか?実現が難しいことなら正しくてもあきらめるんですか?という実現性とのジレンマは常にあると思いますが、ただ決まっていることを役人がやるだけなら、もう理想どころか、国会もいらないし、日本にこれ以上の進歩もいりませんよ。外交をその時々の情勢に合わせて商人が考えればいいんです。でも国って、そうやって形づくられてきたわけではありませんよね。それって、ほぼ無法地帯と変わりません。

いろいろ否定的なことばかり、書いてきましたが、私は河野太郎さんが総理にふさわしいかどうかその人物像も含めて何も知りません。けれども、今身近にある課題というのは、大きな国家的理想によって解決される場合があると思うのです。そういう人を総理に求めるので、本についてはいろいろと思ってしまい、こんなに話が長くなってしまいました。

特に今ある政治的な課題、赤木ファイルや加計学園、河合夫妻の問題、IRの贈収賄問題、コロナ対策を自民党の”身内”で解決できるのか気になります。国会で侃々諤々の議論がなされるなんて理想はまだまだ遠いのかもしれませんが、どなたかがきっと正義を掲げて日本の国家という理想を取り戻してもらいたいと思います。

総裁候補については以下の記事に書きました。


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