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ASDの「主体性のなさ」とその対策 (実務・人間関係編)


ASDの「主体性のなさ」について、以前にこのような内容の投稿を見つけました。

ASDの特性のひとつとして「主体性のなさ」が挙げられるのは当事者としてとても実感する

自分の大きな欠損のひとつで、それがゆえに周りを困らせたり呆れさせたり迷惑をかけたりしている自覚もある

私も当事者として理解できるし、
集団生活の中でどう振る舞えばいいのか、自分自身が当惑してしまうことも多かったです。

ASDが「主体性がない」と周りから見做されてしまう原因には、以下のような事情が考えられるなと感じます。

・非言語情報を認知しにくく、
「言われなくてもやる」ができない

・失感情症(アレキシサイミア)的な特性で、
「自分が何をしたいか分からない」
「相手が何を求めているのか分からない」

・多数派と感覚が違うため
「相手にどう働きかければいいか分からない」のでつい受け身になってしまう

・度重なる否定や叱責のせいで、
「何をやっても怒られるから、もう何もしたくない」といった回避性障害っぽさが出てしまう

・常に、過剰適応や擬態で疲れ切ってるため、
「主体的に動く」ほど心身に余裕がない

・WAISでいう処理速度が凹ゆえに、
早い判断、迅速な対応ができない

他にも、

「全体像が見えないと動けない」

ASDの中でも同時処理型傾向が強いタイプは、
仕事などで作業の全体像が見えるまではテキパキ動けず、どうしてもスロースターターになりやすい。


参照
継次処理型と同時処理型(「細部」から理解したいか「全体像」から理解したいか)


※私はしばしば、ADHDと同時処理型の共通点を指摘していますが、「全体像が見えないと動けない」タイプはASDにも多くいます。


(まとめ)

ASDの「主体性のなさ」は、何事も人任せみたいな怠惰や甘えとは一概に言えず、多数派とは違う認知特性ゆえに、周りとズレないようどう動くべきか常に悩んでいたり、処理速度凹ゆえに即座の判断・行動に難があったりして、本人も悩んでいることが多いです。

スロースターターになりがちな認知特性だなと改めて感じます。


(Xでの自分のつぶやき)

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