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ロバート・ダウニー・ジュニアが有色人種だったら

ロバート・ダウニー・ジュニアとエマ・ストーンのアカデミー賞授賞式での行動が国際的に大問題になっている件について、私が考えていることを書かせてほしい。

前提として、特定の人間を無視する、目を合わせないといった行動は無礼であるというのは当然私もそう思う。また現代になっても、人種に限らず様々な差別が蔓延っているというのは周知の事実である。

その上で、今回問題になった2人の行動に対し、「白人が有色人種を無視した=人種差別である」という非難の声が多く挙がるのは、「有色人種は差別される"側"の人間である」という古くから世の中に行き渡っている通念を感じざるを得ない。

仮にロバート・ダウニー・ジュニアが有色人種だったら、この話は「失礼な奴」「礼儀がなってない」程度の批判で済んだ話ではないかと思う。もしくは「ロバート・ダウニー・ジュニアとキー・ホイ・クァンは仲が悪いんだ」くらいの噂が立ってネットがざわざわするとか。キー・ホイ・クァンとロバート・ダウニー・ジュニアが逆だった場合も同じだろう。

なのに今回、無視した側が白人で無視された側が黒人であることが世間を大きくざわつかせ、国際問題にまで発展しているような気がする。この件で糾弾されなければいけないのは「白人が有色人種を無視した」ことではなく、「人が人を無視した」ことであるはず。どんな人であっても無視されるべきではないし、無視してはいけないという簡単な話なのに、人種が絡むと話がねじれ、複雑化する。

結局のところ、今回ロバート・ダウニー・ジュニアを非難している人達にも「有色人種は差別をされている」という考えが根底にある。もちろんこれは事実なんだけど、有色人種と白人の間で何かトラブルがあった際にその原因を全て差別で片付けてしまうのは、「有色人種は差別される"側"の人間である」という通念を確認しあっているような感覚を覚えてしまう。「あぁそうだよね、あの人達は(私達は)差別される人種だもんね、酷いよね」という共通認識が、消えることはないのだと思うことを余儀なくされる。

身も蓋もない結論になってしまって申し訳ないけれど、今回の件が差別であったか無礼であったか不仲であったか、はたまたほかの理由があったのかというのはロバート・ダウニー・ジュニアしか知る由もない。知る由もないことだからこそ、全世界が注目する場であのような態度をとってしまったことは、迂闊で浅はかであったと思う。

※こういった「差別ではないかもしれない」という話をすると「何故ロバート・ダウニー・ジュニアを擁護するのか」という意見が飛んできそうなので先に言っておくと、擁護するつもりはまっっったくない。アイアンマンをはじめとするMCU作品はとても楽しませてもらっているが今回の彼の態度は少なくともあのカメラからはとても失礼だったと思う。できれば理由も含めて彼の口から話し、キー・ホイ・クァンに謝罪をしてもらえたら、と心から思う。

https://x.com/yulayuki28?s=21&t=TeXWBbUQBxBXYYvMqIoDlw

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