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私は、平和活動で食べていく。

次世代の語り部として

初めまして、長崎原爆の若き語り部、田平 由布子(たびら・ゆうこ)です。
私は6年前から、長崎原爆の被爆者から体験を受け継ぎ、後世に語り継いでいく「継承活動」をやっています。

被爆体験の継承活動、もしかしたら被爆地の広島・長崎以外ではあまり馴染みのない活動かもしれません。

原爆の語り部といえば被爆者を思い浮かべますよね?
しかし私は1993年3月生まれの現在30歳。
全国の学校に赴いたら先生方から「こんな若い人が来るとは思わなかった」と言われることも(笑)
いわば「次世代の語り部」と言っても差し支えないと思います。

これまでに北は秋田、南は鹿児島(奄美)まで、1都1府14県で計40回、延べ7,000人に講話をしました。
今の自分にとって、語り部活動は人生そのもの
そう心から思えるくらい、活動の中で様々な体験をして、いろんな方と出会って、たくさんの喜怒哀楽を経験しました。

『平和活動でも食べていく』

私は活動を始めてから一貫して、この目標を掲げています。
「平和活動はボランティアであるべき」という暗黙の了解というか、固定概念を壊したいのです。

その理由は、語り部活動(大きなくくりで言うと平和活動)は、ほとんどお金にならないからです。
被爆者から話を聞き取り、講話のスライドや原稿を作り、話し方の練習もし、学校などで話をする。
やってみると結構な時間や労力がかかるのにお金になりません。

どれだけ経験やスキルを積んでも、工夫をしてみても、それが評価されることはありません。
仕事は、経験やスキルに応じて給料は上がりますよね?
講話だってそうなのに、それはおかしいでしょ?と思っています。

しかし私は私は最初から、れっきとした仕事という自覚を持って活動しています。
「平和活動でも食べていく」を実現させるため、日々挑戦をしています。

平和活動は仕事じゃない、への反論

今は「好きなことで、生きていく」時代

ゲームや片付けだって仕事になって、それで食べていける世界になりました。
では、なぜ平和活動はその例外になるのでしょうか?誰一人明確な根拠は持っていません。
ですから私は「平和活動でも食べていける」と確信しています。

こう語ると「それは甘いんじゃない?」だの「どうやって稼いでいくつもりなの?」と聞かれます。
「今まで自分達は無償でやってきた」「そういう活動は休みの日にするものでしょ?」(ハローワークの職員から実際に言われた)とか、価値観をアップデートできない中高年の方と多く出会ってきました。

ですがそういう人は99.9%、私みたいに道なきところに道を創ろうとしたことがありません。
もがきながら何かをやったり、続けたりしたこともないはずです。

『パンがないなら、ケーキを食べればいいじゃない』ではありませんが、
道がないなら、道を創ればいいじゃない。と思うようになりました。

普段は何をしているの?

そんな私は今、長崎にある不登校・引きこもりの若者を支援するNPO法人で働きながら、語り部活動をやっています。

「平和活動『でも』食べていく」、と書いたように、仕事と語り部活動を等しく大事にして、活動でもたくさん稼ぐのが私の理想です。
ちなみに仕事と両立して活動をやっている人が周囲にいないので、先駆者として自分なりの道を創っていっている途上です。

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・平和活動に近寄りがたさを感じている方
・より良い歴史教育、平和教育を模索中の先生
・仕事と何かの両立に苦戦する20代~40代の現役世代

私はこんな方々と出会い、一緒に平和を実現していきたいです。
お気軽に声をかけてくれたら嬉しいです☺

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