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【平和教育の商品化】良いディスカッションとは何か?

こんにちは、田平由布子です。
もう7月なんですね!年々、1年が過ぎるのを早く感じています。

さて「平和活動でも食べていく」を実現するために絶賛模索中です。
これから【平和教育の商品化】をテーマに、どのようなプログラムを創っていくか随時発信していきますね。

ディスカッションは「理念」から

今まで、被爆体験講話のなかでディスカッションをしてきました。
テーマは被爆者の心情を考えるものから国際情勢を反映したものまで様々です。

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ディスカッションを中心とした私独自の平和教育コンテンツを創るにあたって、現在、ご縁のある現役教員の方を中心に相談をしています。

そこで、社会科の教員→校長・教育委員会勤務を経た岐阜県在住のCさんとやりとりをしていて、ハッとしたことがあるのでシェアします。

全ての考えは子供達の中にあり、引き出すのが教員の仕事…それが私の理念です。
教壇に立つだけが教員ではない。子供たちの中に立って、みんなの考えを深める手助けをすることが教員の役割だと思います。
子供は信頼するに足るーそう考えながらディスカッションを実践していました。

私は教員ではありません。教員免許も持っていません。
しかしCさんのお言葉から、ある意味私も教員と同じ責任を担っているのかもと再確認しました。

頭よりも、心が動くディスカッションを

私は平和教育で、あえて原爆の悲惨さを押し出したり感情を揺さぶったりすることを避けてきました。
その理由は「今までと同じ平和教育をしたくないから」に尽きます。

  • 原爆はこんなに悲惨だった

  • 戦争は絶対にしてはいけない

  • 当時はこんなに大変だった

私が小学生~高校生の時もそのような話がメインで、毎年同じようなことを学んでいたからか、平和教育はマンネリ化していると感じてきました。
だからこそ、核抑止論や核の傘とか、核兵器を「悪」としない別の視点から考えることに注力してきたのです。
また、私のやり方は生徒さんから共感してもらい、評判が良かったのも事実です。

ですがCさんとのやりとりで「子供の良心や正義感を刺激する写真資料等でディスカッションをする」との話が出て、考えが変わりました。

例えば「原爆投下はやむを得なかったか否か」ではなく「亡くなった弟の仮想を待つ兄の写真から思うことを話し合ってみよう」という具合です。
このような写真だったら、小学生でも大人でも、各国のリーダーでも、誰でも想像できます。
ディスカッションはみんなが参加できることが大事なのです。

このご意見に目から鱗が落ちる思いでした。

これを実現するには、

  • 子供達の心を揺さぶるような当時の資料をもっと知る必要がある

  • みんなが参加できるディスカッションのテーマを考える

  • 理論と感情の両方を大切にする

必要があると気づきました。

↓言及の資料についてはこちら↓


様々なことを考えて頭がいっぱいになっています。産みの苦しみでしょうか。
新しい、でも、普遍的な平和教育をこれからも創っていきます。


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