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第3章 始動 ③「聞き取りが始まるよ」

 勲さんを受け継ぐことになったのは、私のほかに女子大生(大3)と女子高生(高3)だった。
 8月20日、勲さんと私達継承者の計4名がそろって原爆資料館にて1回目の聞き取りを行った。この日はちょうど4日後に勲さんが77歳のお誕生日を迎える時だった。
 
 勲さんは私達に様々なことを語ってくださった。
 幼い頃父と兄を相次いで亡くし母とも別れたこと、原爆によって自宅が被害を受け、自身の身体にも放射線が原因と思われる異変が起きたこと、原爆の怖さやつらい思いを半世紀にもわたり誰にも明かさなかったこと。
 『原水爆禁止宣言』を読んで人生が一変し、自分の被爆体験を話すようになったこと。核実験に抗議する座り込みや被爆体験の語り部など、国内外で活動をしていること、そして今は子供4人、孫8人の大家族に囲まれて幸せいっぱいであること。
 これらを3時間かけて話し、私達の素朴な疑問にも丁寧に答えてくださった。

 「昨日、18人家族の中の13名が集まって喜寿の祝いをしてくれた。私ね、紫色のちゃんちゃんこを着て紫色の帽子かぶって、写真も撮ってもらった。そいで、ケーキもプレゼントがあって、こう見たらね、金婚式の時の写真をモデルにケーキに描いてあるのよ。それをね、今朝食べてきたのよ(笑)」(発言ママ)と嬉しそうに語ってくれたのが印象的だった。

長崎原爆資料館にて第1回目の聞き取り。左側中央が筆者(長崎市提供)

 それでは、次回の聞き取り日を決めましょう…との話が終わってから、ふと勲さんがこうおっしゃった。
 
 「私達のことを、『青空グループ』と名付けよう」。

 この日の聞き取りも、よく晴れた暑い日だった。真っ青な空、強い日差し。きっと1945年に原爆が投下された日もこんな感じだったんだろう。

 

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