その一言で、私は産んだ〜未来が変わるくらいの一言〜
「お腹の子に異常があります」
2年前の9月28日、通院していた産婦人科で言われた言葉。
見慣れた診察室で、思い描いていた未来が崩れ落ちた音がした。
その日は、いつもよりも長めのエコー、妊娠20週付近で行われるスクリーニングエコーだった。
一度もエコーで顔を見せていないお腹の娘は、今日こそ顔を見せてくれるかとワクワクしていた。
それが絶望に変わるとは知らずに。
エコーをしてくれた臨床検査技師さんの口数が少なくなってきたなとは思ってた。診察に呼ばれるのも遅いなって。
やっと診察室に呼ばれて、初回しか会わなかった院長がいたとき看護師のカンがささやいた。
「あぁなにかあったな」
神妙な顔をした院長が口を開いた。
「お子さんの口に異常が見られます。口唇口蓋裂の可能性です。生まれてすぐICUに入る必要があるので、当院では出産できません。別の病院を紹介します」
いろいろ言われた気がするけど、頭が真っ白になって覚えていない。
でも、口唇口蓋裂は知ってた。口が裂けて生まれてくる形態異常。女の子なのに顔に疾患がある。
直感的に「産めない」って思った。
そのときは妊娠21週5日。
22週を過ぎたら産まなきゃいけない。決断は早く。
そんな私を見て、院長は慌てて夫に連絡を取るように言った。院長から説明を聞いた夫はすぐ帰ると。
家まで号泣して帰った。
バスに乗って通っていたが、あまりに泣きすぎて乗れなかった。
「なんで私の子が?」
夫が帰ってくるまでの1時間半。
調べたのは、胎児に口唇口蓋裂があっても産める病院ではなく、妊娠中期でも中絶ができる病院。
夫は私の希望通りにするだろう。
そう思っていたから。
夫が帰ってきた。
静かに私の話を聞いて、やっぱり「ゆうこさんがしたいようにして」と言った。
でも最後に、こう付け加えた。
「娘ちゃんとゆうこさんと3人で手を繋いで歩くたかったなぁ」
私の前で涙を一回も見せたことのない夫が、泣いた。
ずっと流していた涙がぴたりと止まるくらいの衝撃だった。
その時、思いっきりお腹を蹴られた。
「私も生きたい!産まれたい!!」
娘にそう言われている気がした。
長い戦いになるよ。生まれてすぐ手術だよ。それでもいいの?
夫とお腹の娘に問いかけた。
「いいよ。3人でなら、乗り越えられるよ」
娘も、同調するようにお腹をドンドンと蹴っていた。
「会いたい。娘ちゃんに会いたいよ」
心の底からでた気持ちだった。
「産む」と決めたことが、揺らがなかったわけではない。
むしろグッラグラだった。
夫が1週間休みをとってくれたので、一緒にディズニーに行ったりと気分転換をしていた。
でも、ふとしたときにすれ違った赤ちゃんの口元を見ては「うちの子は違うのね」と涙ぐんでいた。
それが変わったのは、転院した先の主治医の一言だった。
転院した病院は、家から一番近い大学病院。
主治医は、産婦人科の科長。たまたま。
ホームページに載っていた優しい笑顔の写真とはうらはらに、こちらと目も合わせず、口数も少ない。口調もぶっきらぼう。
看護師として多くの医師と関わってきた私でも「あ、苦手な部類の先生」と思ってしまったくらい。
少し緊張しながら腹部エコーを受けた。
「よく見えないけど、口が裂けているとは思う」
「やっぱりですか」
「うん、まぁお腹の赤ちゃんは痛がってないから大丈夫よ」
お腹の赤ちゃんは痛がってない……??
頭をガツンと殴られたくらいの衝撃だった。
そんなこと一度も考えたことなかった。
だって、考えていたのは手術はどうだとか、なにが必要だとか、子どもが気にしたらどうするかとか。
未来のことしか考えていなかった。
今の、お腹のなかにいる娘のことを考えていなかったのだ。
お腹にいる時間は、残り4ヶ月。
どうせ、妊娠中にできることはない。
まだ見ぬ未来に不安を感じるのではなく、その時間を大事にしよう。
やっとそう思えた。
ちなみに、そのことに気づかせてくれた主治医にすっかり心を許し、臨月には軽口を言い合える仲になった(と思う)
それから時は流れ、現在。
娘は無事に生まれ、生後5ヶ月と1歳3ヶ月で手術をした。
頑張ってくれたおかげで、パッと見た感じは全然分からない。
そして「3人で一緒に歩く」という夢は、1歳4ヶ月のときに叶えられた。
あのときの感動は一生忘れないだろう。
夫の一言がなかったら、今はなかったかもしれない。
主治医の一言がなかったら、つらい妊娠期を過ごしたかもしれない。
あなたの一言が、誰かの未来を変える。かもしれない。
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