YからS氏に。往復日記。
こんばんは。
先日はありがとうございました。
お話しして、とても楽しかったです。
話の中で、私には道が結界に見えると申し上げました。
その道以外の場所はきっと全て、異界なのです。
それは実は私こそが異世界の存在であって、他者から排除されている証拠であって、かろうじて道の上だけを通ることが赦されている。
それでも道の辻󠄀ごとに、冷たい眼差しを刺すが如く受け止めてやっとのことなのです。
そんなふうにすら思うのですが、それは私のひがみであって、本当はそれぞれの結界の外に、それぞれの住人が住まわっており、
幾人かで固まったその小さな集落の結束を守りたいが上に余所者を少しばかり、警戒する目で見つめるのであって、けして無理やり排除するわけではなく、それが証拠に、道という結界の外に出てしまえば、その集落の虜となって、けしてそこから出ていこうとしない自分がいるからなのです。
しかしながら、道端に小さな仏さまなど、石で創られていたりなぞすると、途端に、己を取り戻し、自らが住まう集落に急ぎ帰り行くのが常となっておるのです。
Sさま、私はきっとどこやらの結界の外に出てしまってその場所をとても気に入ってしまって、その集落の何か石仏のように、そこから動かなくなったらどうしようと怖いのですが、そう言いながらとても楽しみにも思うのです。
ところで、その結界は地続きの所のみならず、水、水路にもよく見られるのであって、おそらくはその細長い水場や、暗渠などに引き込まれそうに、惹き込まれそうになるのです。
そうなればきっとそこにうつ伏せにぷかりぷかりと、水母のように海月のように浮かんでそれはそれは満足するのだと思うのてすが、如何せん、私が乗っている紺色の私の相棒が、降りることを許さずに私の車であるにも関わらず、ちっとも鍵を開こうとしなくなるのです。
そうこうするうちに正気に戻ってまた、己の住む集落に相棒と共に戻ってくるのです。
きっときっと昔には馬がその相棒の役割を果たしており、生き物であるがゆえに、もっともっと親しく己の主人を守ろうとしたのでございましょう。
その意味で私には、道祖神と馬頭観音が同じように見えるのです。
不思議はつきませんが、本日はここまでとして、またお便りさせて頂きます。
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