見出し画像

評価は必ずしも妥当ならずーももまろさんへの返信

スキのついた記事は本当に読まれているのか。

ももさんは、ご自身の記事が読まれていて、さらに、スキで評価されているのか実証なさったのだそうです。あえて炎上しそうな話題を、ネット用語の「釣り」に例えて振ったのに、スキはついても待てど暮らせどコメントが来ない。

ももさんは、普段コメント欄を開けてない。読んだ方も重々承知なのでこの記事に限ってコメント欄が開いているのには気付きにくいでしょうが、ももさんは人気者でコメ欄以外からのメッセージも多い。

そういった事から鑑みて、炎上してもおかしくない記事をあげたなら…

それを終わりまで読んでくれていたのなら、ソッコー何かのコメント記載があるはず。

しかし…その期待はかなしいかな・・・実らず、さびしげなラインが私の元に届きました。

記事の内容を読んで把握した後スキをつけるとは限らない。

その事実を突き付けられたと感じたのだそうです。

もちろんももさんも、あいさつとしてのスキはあることを理解しておられます。
ただ、「突出」ではなくても「相当な数」のスキを獲得するももさん、
2つの記事を毎日投稿し、それぞれに3ケタのスキがつくももさん。

そのももさんの書くもの、ご本人も当たり前のこととして、一定のご自信はお持ちと思われます。
また、言葉の一つ一つを厳選なさり、文章に矛盾や問題が無いかよく推敲なさって投稿なさいます。

それだけに文章として成立していない記事が1000に及ぼうかとする「突出した」スキを集めていることにより、心折られてしまいました。

どんな記事にいくつのスキが付いても、関係ないと言えなくもない。
ただ、その事実から、裸の王様の寓話を思い出して、決してその話を笑い飛ばせない、と私は思うのです。

自身が行う評価というものは本人の中にあり、他者の中にはないと思いましたが、それは違うのでしょうか。
多数に迎合することは、己の心の自由と自分自身への信頼性を失うことにもなりかねないと私は危惧いたします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?