信仰をエセカルトという人たち。
もっとも意味不明の日本人のあり方。
「宗教を信じるのは心の弱い人」
一つ聞きたいけど、何を根拠にあなたの心が強いと思うのか。
弱い心を剥き出しにして、「どうだこんなに私は強い」と矛盾した発想を声高に述べる。
涙目で言われても肯定できないよ。
宗教や霊魂を否定する人はなぜか、相手を押し潰す勢いで上から物をいい、神の存在を証明しろだの、何を言っても「それはおかしい」とただ伝えたことを否定してくる。
こと神や霊魂に関しては死んで肉体を失えば誰でもその存在も不在も理解できるはずだから「死ねば分かる」と伝えても、
「人の考えの多様性を否定する」とか自身の正当性(ほぼゼロと思うが)を主張し、こちらの多様性とやらは認めない。
私はこういう人は「悪魔に取り憑かれた人」と判断している。
他の話題をこれほど狂ったように否定するのを見たことない。
他者を否定する人に心の強い人は存在しない。
私はこれほどつらい思いをしたから神も仏もない。
あなたのために神仏は存在してません。
目の前で自分の子供を虐殺されても他国の人たちは自身の信仰は揺るがない。
「信仰が人を殺す。」
こんな狭い国の中にあれほどたくさんの争いを産み出したあげく、互いに監視しあう社会を創り出して虐殺だけは奴隷制度維持のために行わない他国の言葉も話せないので情報全てが自国語オンリーの牢獄国家。
もちろん強姦は名目上今は法律が管理しているけど。
性虐待はそこいらに落ちている。
かつては未亡人は村落の所有物だった。
ついでに言うとその頃は信仰少しはあったかもね。
信仰を放棄したからこの国は幸せになりましたって?
毎年幸福度ランキングも自殺者の数もすごいですけど。
その数だけ見たら
「内戦でもしてるんですか?」
と他国に聞かれそう。
確かにキリスト教は虐殺の歴史を持つけど。
「他国は信仰あるにも関わらず犯罪が多い。」
殺された「かもしれない」人が心不全と「事件性のない多発性の外傷」で処理されていることもある。
変死の数は司法解剖行わないせいで驚くほどたくさんある。
事件性とやらをどう見分けてるのかは知らないけど。
他国はちゃんと解剖してるって部分もあるし、私のような一般人でも「殺された」とされる人の話は聞く。
殺人とは「殺された死体」が存在して初めて成立する犯罪だから。
信仰は確かに人のためにあるが、神や仏は人の救いとはある意味無関係に存在する。
札幌雪まつりの彫像が自然発生的に産まれたと言って信じないでしょ?
なのに生命の偶発的発生は信じます。
そんな人に生命体以外の意思があったとして、どうやって説得すんの。
せいぜい「奇跡」とやらを見せなければ無理なんじゃない?
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