花は大地の愛の言葉
私と花との出逢い。
あの子どもの頃の、大自然に囲まれた環境で無邪気に遊んでいた頃の、全身で自然界のあらゆる現象を感じ取るあのエネルギー溢れる感覚は、年を重ねるごとに社会の規律という見えない大きな縄によって締め付けられ、身動きができなくなっている。
外面的な成功を真の成功と思い込み、他者の価値観の中で、どこか自分じゃない他者の人生を送っていることにも気づきもせず、無意識に自分を疲れさせている。
毎日飛び交うニュースや情報たちもそう。日常で私たちが目にするものたちは本当に正しいのか。そんな疑問を持ちながらも、かといって実際に自分の目で確かめようともしないのに、そうだと勝手に自分の中で都合の良いように解釈する。
私が感じる世の中の違和感を挙げだすとキリがないのだけど、こういう、とらわれた常識の中で生きていると次第と子供の頃のようなありのままの姿を肯定する感覚を失っている気がする。自分にとって幸せとは?心が豊かになるためには何をすればいいのか。そんな思いを巡らせながらも、いろんな学問の本や論文を読んでみたけど、結局その先には、何も、答えはないことに気づいた。
改めて大人になって、何にもまだ支配されていない頃のあの生きる感覚を取り戻して、無邪気に自分の人生を楽しみたい。私にとって、そのきっかけをくれたのが花との出逢いだった。
もともと花は好きではあるけれど、毎週毎週花屋に通うっていうほどの熱狂さはなかった。ある日、都内の素敵な和食屋さんに友人とディナーで伺うことに。そこで私の目の前に運ばれた、日本の四季を表現して盛り付け料理たちが(いつもならそこに対して疑問を持つことはなかったのだけど)、その時はいったいどうしてか、すっごく綺麗だなと感動してしまい、その時にふと生け花が頭をよぎった。それまで全く気に留めたこともなかったのに。そうして、そのことをきっかけに、私は生け花のお稽古に通うことになった(生け花を習おうと思ったことは、他にもいろんな環境が重なったこともあるんだけど)。後に先生に、どうして習おうとしたのか聞かれた際に、和食屋さんの話をしたら、「ああそうなのね、けっこう和食屋さんの方も生け花習われている方多いのよ」って。やっぱり。
初めて生け花を始めた時、その静かな世界に引き込まれる感覚があった。花を選び、一本一本を手に取るたびに、心が自然と落ち着いていくのを感じた。そして続ける内に、生け花は単なる花を活ける行為ではなく、自分の内面に耳を傾ける時間だということに気づくようになった。
花の形や色、茎の太さに目を向け、どのように活けるのが最も自然で美しいかを考える。その過程で、自然と自分の呼吸が深まり、心が整っていくのがわかる。日々の生活は忙しく、次々と目の前に押し寄せるタスクに追われることが多い中、生け花の時間はまるで、時計の針が止まっているかのように、花をいけるという単純な行為が、自分と向き合う大切な時間になっていた。
もしもう一度人生をやり直せるなら、私は建築やデザインの仕事がしたかったなと思うぐらい空間デザインに関することが好きなのですが、生け花は、空間をどのように使い、どの位置に花を置くことで空間全体の調和を保つのか、日本の「間」を大切にする空間美の感覚が息づいているところも好きだった。
他にも生け花をはじめて良かったなと思うところはいっぱいあるんだけど(また別の機会でみんなに聞いてほしい)、とにかく私にとっては、自分自身を見つめ直す手段として、生け花は言葉を超えた自己表現の場となった。
花の美しさは、ただ目で楽しむだけでなく、自分自身を見つめ直し、心を豊かにする偉大な力を持っていると思う。みんなにも是非、生け花を通して自身と向き合い、新しい視点で人生を見つめ直すきっかけを届けられたらいいなと思う。今後そういう場を作っていく予定なので、その際は気が向いたらで大丈夫なので参加いただけたら嬉しいです。
よし、10月オープンに向けて頑張ろう。