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【親子】親との葛藤を「エンパシー」で乗り越える♯086

週1コマ、非常勤講師として高校で授業を受け持っているが、先日は、"エンパシー(共感力)"について取り上げた。
授業のワークを考えながら、自分自身の親子関係について思うところがあったので、今日はそれを書こうと思う。

エンパシーと似た言葉に、シンパシーという言葉がある。
シンパシーが、かわいそうな人や問題を抱える人、また自分が支援をしたい相手のみに向けられるものであるのに対し、エンパシーはその対象に制約がない。

エンパシー(empathy)
他者の感情や経験などを理解する能力
シンパシー(sympathy)
・誰かをかわいそうだと思う感情、誰かの問題を理解して気にかけていることを示すこと
・ある考え、理念などへの支持や同意を示す行為
・同じような意見や関心を持っている人々の間の友情の理解

ブレイディみかこ『他者の靴を履く』

つまり、自分が賛同できない相手に対しても、その人の感情や経験を理解しようとする能力が、エンパシーなのである。

授業では、一人のトランスジェンダーの男性(勝又 栄政さん)とお母さんとの葛藤について取り上げた番組を視聴した。
その後、母と子、双方の幸せについて考えてみるワークに取り組んだ。

この番組は、勝又さんがトランスジェンダーをカミングアウトした際のお母さんとの対立・葛藤が描かれている。
恐らく、見る人の立場、考え方によって、どちらかに肩入れしてしまう人もいるとは思うが、
ワークではなるべくフラットな視点で
①勝又さんにとっての幸せ
②お母さんにとっての幸せ
を生徒には書いてもらった。

生徒の感想を見ていると、「フラット」に双方の幸せを想像してみるって案外、難しいのかな、と感じる部分があった。
ただ、これは、当事者同士であれば、余計に難しい。
この動画に出てくる、勝又さんが『カミングアウトと家族』というタイトルで手記を公開していた。

家族とは、近いようで遠い。同じものを見てきたようで、何十年もの時代や感覚のずれが共存する、身近な異世界の住人の集まりだ。
だがしばしば「家族なんだから」と一括りにし、「私と同じ幸せ」をあたかも相手も望んでいるかのように思いこんでしまっている気がする。
カミングアウトを経て、相手を受け入れていくというプロセスは、「性的マイノリティを理解し、
受け入れること」と思う人がいるかもしれない。もちろん、それが誤っているとは思わない。
ただ、その人の生きる時代や環境、感覚に振れ、そこに在る、またはそこから導き出された「その人にとっての幸せの形」をよく知ろうとすることの方が、私にとっては大事なように思えてならない。

2023.12 『アンジャリ』第43号 親鸞仏教センター 特集「“幸せ”の差異を超えて――カミングアウトと家族」

まさに私自身も思い当たるところがあった。

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