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創業明治四十三年 寿司屋の暮らし

パパさんが子どものころ、玄関を開けるとすぐに舗装していない土の道だったそうだ。今は舗装された2車線道路の向こうに区民センターがどっかりとそびえ立ち、右どなりには高さ131メートルのタワマンが建設中。ビルの谷間の日陰で押しつぶされそうな小さな5階建ビルの一階に、その寿司屋がある。2階、3階は家族の住まいで洗濯物が干してある。創業明治43年の寿司屋は今年で114年、今の大将で6代目だという。

木製のおしぼり受けは角が丸くすり減って、木の目が浮き出している。明治、大正、昭和、平成の時間、ずっとこのカウンターの上でお役目を果たしてきた。
右端がかぎ型に曲がった長いカウンターは10人はいればいっぱいで、ほかには背中側に一つ、カウンターが曲がった先に一つテーブルがあるだけの小さな店だ。

この店の客はコントラストが面白い。長年の馴染み客と、ここ数年来るようになった世界各国からのインバウンドだ。イタリア、タイ、中国、韓国、アメリカ、フランス、オーストラリア、イギリス、スペイン。どうやら海外人気の元はエクスペディアやトリップアドバイザーの口コミで、カップルや少人数のグループが予約なしで来る。

ネットの口コミはどれも「本物の江戸前寿司が手ごろな値段で食べられる」「家族だけでやっている、ゆったりとした親切な店」といったものばかりで、この評判は日本語の口コミでも変わらない。

オンラインの予約システムは入れていない。ホームページもない。だから海外組は予約なしで恐る恐る入ってくる。Facebookも、インスタもやってないし、店の看板の電球が切れて真っ暗なときさえある。

土曜日に行くと私一人で貸し切りの時もある。そんな時はパパさんと、いつもはホールでひとり忙しいママさん、大将、私の4人で世間話、プライベート話に花が咲く。お客が来なければパパさんが「もう閉めちゃおうか」と閉店にする。

78歳のパパさんはいつも笑顔で、同じ昔話を繰り返す。ぱっくり開けた口の中に歯が何本かないのが丸見えでも本人はまったく気にしていない。大病を2度も乗り越えたそうだ。ママさんに「もう、ボケちゃってるのよ」と笑われながらも、カウンターの中で若大将の横でフラフラとマイペースでいる。
でも店が混んでくれば言われなくても若大将とあうんの呼吸で巻物や握りを準備する。
小さくなった身体はお客に届かないから、踏み台をおいて腕を伸ばして「はいっ」と出来上がった寿司をカウンターに置く。

3人のうち、だれも英語が話せない。でも外国人客がやって来ても楽しめて、ネットに絶賛のコメントを残すのはパパさんの客あしらいによるところが大きい。おずおずと入ってきてカウンターに座ったおひとり様の外国人にもすかさず声を掛ける。

「トラベラー?スチューデント?」。
「ホワットカントリー?」
「ワサビ?ノーワサビ?」

メニューなんて気の利いたものはない。店の奥の壁にかかった小さなホワイトボードに黒のマーカーで「松 4,000円、竹 2,500円」とだけ日本語で書いてある。
「ベストと、ベターね」と声を掛けて、それで通じなければパパさんは店の入り口のショーウィンドーから食品サンプルの一人前をもってきて、カウンターの上にカタンと置く。
サンプルにはうっすら埃がかぶっている。「あとはお好みで言ってください」。

お好みは壁に貼ってあるお酢屋さんからもらったらしい、寿司のイラストに英語名が書いてあるシートを指さすか、お互いがカタコトの英単語でなんとか通じたことにしている。

かつてはパパさんお気に入りの寿司のイラストと英語名のついた大ぶりのお湯飲みが活躍していた。でもあるとき外国人客にそれを見せたら、プレゼントと勘違いされて「持って帰っちゃったんだよ」としょんぼりしていた。
「返して」という英語が出なかった。

私も初めて来たときにはぎょっとした。
冷蔵ケースが空っぽでパセリだけ何本か隅っこに横たわっている。今日はネタがないのか?と驚いたが、「青魚あります?」と聞いたら奥からアルミのケースを持ってきて、取り出した固まりを目の前で一切れずつその場で切って握る。だからウマい。

切りたての刺身で握る寿司は舌に触る表面がしっとりとしていて魚の香りがする。店が混んでくると大変な手間になるはずだ。特に外国人客は、せっかく日本まで来たのだからとひとりひとりがアラカルトで次々に注文する。
それでも一切れ一切れ、身体を傾けて横から厚みを見ながら切り分けて握る。

最近の寿司屋はおまかせコースの店が主流になりつつある。
何々流、活き締めの寿司。大将のおすすめ。寿司10カン、つまみ8皿で1万2千円から。飲物別。
寿司って予約して行くそんな高級コース料理だったっけ?わたし的には1日の仕事が終わってほっとしたくて、家を出て、カウンターで瓶ビールを飲みながらちょちょっとつまんでから、気分で食べたいものをあれとあれ、と握ってもらう。長っ尻せずにおやすみなさいと帰るのが理想の寿司屋だ。

コロナの前に、うちから1分のところに今どきの寿司屋ができた。大々的にクラウドファンディングで会員を募り、インスタにインフルエンサーの若い女性が食べる姿を載せて宣伝した。ラインも毎日流した。大将は東北の人で、素朴に握りたがっていたけれど、数店舗を経営する社長は今どきの方針に固執した。高級すしコース2種類。お好みは受け付けない。飲物は別。地元の客はつかなかった。
一度看板を下ろして、再出発したけれど、ほどなくして閉店した。多分銀座あたりで接待用の店だったら続いていたかもしれない。

この寿司屋はまだまだ続くだろう。戦争があっても大震災があっても、できることだけひとつひとつ丁寧にやって来た店だ。パパさんも大将も大学を出ている。でも小さいころから「大人になったら寿司屋を継ぐんだよ」と言われながら育った。そして身体の大きな大将が毎朝バイクにまたがって新宿通りを直進、半蔵門に突き当たったら右折して豊洲に通う。帰ったら小肌もアナゴも干瓢も卵焼きも家で作る。

だから「小肌は4日目と1日目、食べ比べます か?」なんていうお楽しみがある。
引越し好きの私が今のところにまる6年住んで、まだ住み続けたいと思う理由の一つは間違いなくこの寿司屋のせいだ。ずっと続いてほしい。これからもお世話になります。パパさん長生きしてください。たまにシャッターが降りたままの日が続くと、そう祈らずにいられない。

#創作大賞2024 #エッセイ部門

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