人間の尊厳|「私はダニエルブレイク」を観て
2016年に映画館でみた「I, Daniel Blake. (私はダニエルブレイク)」を再び見ました
私が最も好きな映画です
この作品から学んだのは、「新自由主義クソくらえ!!!」ということと、
そんな絶望の中でも「人間の尊厳」と「隣人への愛」を持ち続けることで
生きる希望が見えてくるということです
新自由主義とは?
Wikipediaから引用すると、
1930年以降、社会的市場経済に対して個人の自由や市場原理を再評価し、政府による個人や市場への介入は最低限とすべきと提唱する。1970年以降の日本では主にこの意味で使用される場合が多い。
新自由主義は資本主義と切っても切り離せない関係にあり、
経済競争を加速させます
その結果、一握りの人々が巨大な富を手に入れることができます
一方、その経済競争の中で生き抜けず生活が難しい状況に置かれた人には、
容赦なく「自己責任」という言葉が突き付けられます
私にとっては、この映画によって、
新自由主義の残酷さを肌感覚で理解できるようになりました
心臓の疾患をきっかけに職を失った主人公ダニエルは、求職活動や生活手当ての手続きを試みますが、サッチャー政権以降の民営化政策の影響をもろに受けます
職を失い、生活に困窮する人々をサポートするべき施設は、すっかり民営化されてしまい、人間味を失ったお役所的対応で、彼らを助ける気などさらさらなく、彼らを大ミジメな気分にさせ、彼らから人間としての尊厳を奪うのです
イギリスは特に新自由主義の極みなのでしょうが、
日本もまた例外ではないでしょう
隣人愛
そんなダニエルは、2人の子どもを育てるシングルマザー、ケイティーと出会います
彼女は、仕事を失ったばかりのダニエル以上に生活に困窮しており、
明日の生活をどうなるか分からない状況でした
そんな彼女に手を差し伸べるのがダニエルです
「君は何も悪くない。」
「君は立派だ。ただ、人には追い風が必要だろ。」
このように、もともと家族でも友人でもなかったケイティーを
支え、励まし、心配し、そばに寄り添います
何か問題があっても自己責任
自分で、もしくは家族内でどうにかしなければならないこの世の中
隣人愛こそが希望の光だと痛感しました
隣人愛とは、行政によってトップダウンで作られるものではなく、
私たちが横の関係でつながって創り上げるものなのです
人間の尊厳
ダニエルは最後まで人間の尊厳を忘れませんでした
彼の言葉を引用します:
私は依頼人でも、顧客でも、ユーザーでもない
怠け者でも、たかり屋でも、物乞いでも、泥棒でもない
国民保険番号でも、エラー音でもない、
きちんと税金を払ってきた
それを誇りに思ってる
地位の高い者には媚びないが、隣人には手を貸す
施しは要らない
私はダニエル・ブレイク
人間だ
犬ではない
当たり前の権利を要求する
敬意ある態度というものを
私はダニエル・ブレイク
一人の市民だ
それ以上でも、それ以下でもない
コロナ禍で、まさにダニエルやケイティーのような立場に置かれている人たちが急増しています
日本でも、全国の生活困窮者を対象とした相談件数は2020年度に例年の3倍に上ったにもかかわらず、生活保護受給者は増えていません
↑CHOOSE LIFE PROJECTより引用
つまり、今助けが必要な人のほとんどが、追い返されているんですね
どこに私たちの税金は回っているのでしょうか
私も、だれでも、こういう状況に不本意で陥ってしまう可能性があるんです
でも、助けてもらえない可能性が高いんです
そうなれば間違えなく人間としての尊厳は揺さぶられまくるでしょう
でも、私たちがこれまで払っている税金は、
政治家の高すぎるお給料やコロナ禍のオリンピックに回っているんですね
「経済は大切だろうよ。だけど、だれの・何のための経済活動なんだ?!」
このような疑問が沸々とわいてくる、そう資本主義の本質です
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