なんでも0か100かだった私が50を目指せるようになった理由
こんにちは、ゆうこです。
久しぶりにnoteを更新しています。
私はタイトルにもある通り、0か100かという人間だったんですよね。
何をするにも極端で、なかなかバランスをうまく取れない。
そんな私が50を目指せるようになった理由をお話します。
0か100かだった私が50を目指せるようになった理由
私がバランスを取れるようになったのは多分この3つが理由。
完璧主義をやめた
私はかなり完璧主義者でした。
ちゃんとしなきゃ!
という思いが強くて、それが原因で自分で自分を苦しめることもよくありました。
例えば、環境保護に興味を持って、そこからプラントベース(植物性)の食事にハマっていた頃。
お肉や卵を食べないことにこだわりすぎて、日常生活に支障がでるようにもなったんですよね。
友達は当時ほとんどいなかったからよかったんですけど、息抜きで行ってたアルバイトのまかないも食べずお弁当を持っていってました。
(自分で食べたいものを購入して自分で作る方式だったので、食べないことでの反感とかはとくになかったですが。)
そして、今度は、お肉を食べている人が気になるようになりました。
食べなければいいのに、って。
これは結構やばい。
自分がハマってやる分には問題ないけど、人のことが気になるのは精神的にしんどかったです。
過激派ヴィーガンと呼ばれる、動物の苦しい場面などを見せて「お肉は食べないほうがいい」みたいなアプローチを見る感覚で、自分が苦しかったです。
でも、あるとき友達に言われたのが、「完璧主義の人って完璧にできないよね」という言葉。
「完璧にしようとしたってどうせできないじゃん」と。
そうそう、完璧主義の人ってすごくこだわるくせに100%って結局できないんですよね。
その友達は、自分が完璧じゃないこともわかっているから、人に頼ることができる人。
私はそれができなかったから「完璧にしなきゃ!」と思い込んでいたんですよね。
そこから、「完璧を求めない」を意識するようになってだいぶ変わりました。
自分ができることをする。
無理はしない。
そうやって思うようになると、100%を求めなくてもいいやん、と思えるようになりました。
自分の心地よさを追求した
私は、自分と向き合うということを1年以上やっているのですが、自分の心地よさを追求したこともよかったんじゃないかなぁと思っています。
完璧主義とも似ているけど、100%を追求すると、どこかで自分に我慢をさせたり無理をさせたりすることがありますよね。
でも、自分の心地よさを追求したら、「ここまででやめておこう」ができるようになったんです。
これはかなり大きな変化でした。
自分の心にいつも意識的に聴くようにして、
「これは本当にやりたい?」
「何が食べたい?」
「どうしたい?」
そうやって追求するようになったら、いつのまにかバランスが取れるようになっていました。
一般常識にはまらない自分になれた
一般常識にはまるのも自分を抑え込むことと同じ。
本当はやりたくないことを我慢してやることになりかねないんですよね。
ここから抜け出せた理由は、「人の目を気にしなくなったから」。
まだ完全に人の目を気にしなくなったわけではないけど。
どんな自分も認めてあげて、自分自身を大好きなパートナーであるかのように接して、優しくしてあげたら自分のことが好きになれたんですよね。
そして、自分のことが好きになったら、批判されても自分の意見に自信が持てるようになってきました。
そうやって自分の意見に自信が持てるようになると、嫌われてもいいか、と思えるんですよね。
嫌われても、好きでいてくれる人は必ずいて、好きでいてくれる人を大切にできるようになりました。
そうすると、一般常識から外れた自分でも、ちゃんと認めてあげることができるようになったんです。
バランスが取れると本当に心地がいい
私はバランスが取れるようになってきて、本当に心地よく感じられるようになりました。
まだまだ完璧ではないし、それこそ完璧を目指しちゃいけないし、心地いいバランスを探すのが人生なのではないかと思っているところです。
そして、バランスが取れるようになったらSNSとも心地よく付き合えるようになりました。
実はこんな本を出版して。
ちょっと意図がありSNSでは宣伝を一切していません。
(※出版から1ヶ月弱経ってから宣伝をしました。)
noteを見てくれている人にはお知らせしても、私の意図には反しないかな、という気持ちなので、よかったらチェックしてみてください。
SNSに疲れたときに読んで欲しい本です。
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