to: Toshio Sakurai・桜井敏生 / 編集 by yuko Sakurai

toshiosakurai.com, nishiima25.com,

to: Toshio Sakurai・桜井敏生 / 編集 by yuko Sakurai

toshiosakurai.com, nishiima25.com,

最近の記事

棚田康司  「彫刻の大きな力 」 2023.7.7 + 10.21      

    • 梅田勝裕 「桜井さんのこと」 2022.06.03

      桜井さんはいつも飄々と作品を制作していました。 私達は学生でしたので、試行錯誤しながら、なれない石彫に取り組んでいましたが、桜井さんはすでに原石の中に掘り出すものが決まっているように手際良く素早く制作されていましたね。 エスキースの段階でかなり練っていたのだと思いますが、あの手際良さは勉強になりました。 お住まいが町田であることや、娘さんのお話しも聞いたことがありましたよ。 自分の作品に固定資産税がかかるので最後は自分の田舎の田んぼに埋めてしまえばわからないなんて冗談を言って

      • 尾崎強志 19才の私と桜井先生2022.06.0

        ある日、snsで 桜井先生の名前と作品、 桑沢の文字を発見しました 先生は現在闘病中で、 娘の由子さんが 少しでも父とのエピソードがあったら 知りたいとのメッセージをみつけ 連絡させていただきました 桜井先生との出会いは1994年 私が、19歳 桑沢夜間部に入学したときです 授業で教えていただいた 短い期間のお付き合いでしたが 今回の由子さんとのやりとりを機に、 記憶をたどっていくと いくつかエピソードを 思い出したのと なんども引っ越しをしていて その都度、写真なんかも

        • 丸尾康弘 「大好きな桜井さん」 2022.05.08

          私は造形大の13期生になりますが学生の頃は石を彫っていました。当時は石を彫る学生も多くて先生もたくさんおられました。桜井さんは新制作に出している方だとお聞きしていました。黙々石に向かってられました。私や私の友人(鈴木厚)は桜井さんの温かいお人柄にすぐに魅了されました。その場に一緒にいられるだけで嬉しかったんです。大学を卒業して 展覧会をやると足を運んでいただき適切な意見を言っていただいたのを思い出します。 群馬に引っ越してからはお会いする事もなくなりましたが、たまにどうしてい

        マガジン

        • 桜井敏生エピソード
          25本
        • 2019ー2020 新作
          3本
        • 桜井敏生・記録
          9本
        • 津山
          0本
        • 桜井 敏生 セメント作品
          0本

        記事

          桜井さん 宇多花織 2021.03.05

          桑沢では、学生同士4人が1グループで大きなテーブルを囲んで座る。だからおしゃべりで賑やかになりやすい。桜井さんは普段温かく見守るタイプで怒ること無く穏やかに授業をされるのだけれど、たまに生徒がヒートアップしてうるさくなったときには、緊られる方でしたね。私は、桑沢で桜井さんとご一緒する前に教職のクラスを3年造形で教えていたのですが、教えるということにまだまだ未熟だったんです。桜井さんが「自由にやって構わないから、自由に伸び伸びとね。」とおっしゃってくださりました。印象に残ってい

          稲角新平 桜井敏生というヒト2021.2.6

          〈桜井先生は寡黙でシャイなヒト〉 ある日の東京造形大学での出来事。 いつも淡々と仕事をしている。 余計なことは言わない。    仕事をする姿を見せることで、皆が勝手に考え行動する。 気付かれないようにデッサンを覗き込もうとすると、スケッチブックを胸に当ててサッと移動する。 少し恥ずかしがり屋さんの一面を見たと思った。 〈桜井先生は穏やかで謙虚なヒト〉   ある日の東京造形大学での出来事。 研究生の私が彫刻準備室で節約のために自炊をしていると、 「倹約しなきゃね」と言った

          稲角新平 桜井敏生というヒト2021.2.6

          牛の「つの」 2020.12.14

          今年は丑年。年賀状を父が書かなくなってもう長くなる。 何か描く切っ掛けにと、妹が 「お父さん来年は丑年だよ。牛、描いたら?」と。          しばらく画用紙を目の前に置いたたま進まない。 どうしたの?と聞くと、 「牛の角がどうだったか思い出させないんだよ、、、。」と。         ipad で探し、徳之島の闘牛が出てきた。 「これ、どう?」と聞くと、  「いいねー。」と嬉しそうに画面を見ながら、筆が進む。 目がよく見えないのに、よく特徴を捉えて描くものだな、、、と感

          三木俊治  「桜井さんのやったことは究極の教育法なんです」  2021.02.05.

          「桜井さんのやったことは究極の教育法なんです」  桜井さんは学生に「教えない」んです。 「やっている」ところを見せるだなんです。                  自分の作品を「語ることもない」んです。                    「何がどうなのか」聞きたい学生は大勢いたんです。                 それでも「教えないことはいいこと」なんです。               教育者は学生に「規範を示す」んです。                      

          三木俊治  「桜井さんのやったことは究極の教育法なんです」  2021.02.05.

          篠原敬典(たかのり)         津山から諏訪への車中にて  2020.12.21

          始発で津山駅を出て 鈍行を乗り継いで 下諏訪に向かう電車の中で 桜井先生を思い出して描いた。 先生はいつも学生に混ざってモデルさんのクロッキーをしていた。 見比べるときに片目をつむって顔をしかめるところが印象的だった。 20年以上前のことなのに、 思いの外鮮やかにイメージが 湧き上がってきた。 鉛筆は立てていたのか 室内で帽子を被っていたのか よく考えてみると怪しいのだが その怪しさが思い出して描くことの魅力なのだ。 とりあえず自分の記憶の中の 桜井先生へこんな感じ。

          篠原敬典(たかのり)         津山から諏訪への車中にて  2020.12.21

          柴田正徳 陣場のアトリエでのお話 2019.6.4.

          とにかく桜井さんは、みんなのお手本だったんです。きちんと仕事をされて、マラソン走者のように同じペースで寡黙に仕事をこなしていくんですよ。気がつくと作品が仕上がっているんです。それがものすごい早いんです。桜井さんは、石彫作家として鉄ノミだけを使った最後の世代で(鍛冶仕事、鉄を焼いて使っていた)、80年代前半までは、巨大な重い機械を使っていた。重たくて担げなくて、上から紐を下げて使っていたんだよね。今でも彫刻の機械は日進月歩。 桜井さんの年代の少し前の人たちが始めた石彫の技術を

          柴田正徳 陣場のアトリエでのお話 2019.6.4.

          2020・7・9 展覧会に寄せて

          地元に「ことば」が残ればいいなー。 ことばっていうのは、作品を含めた広い意味でなんだけどね。 私にできることをそういうかたちで、残したい。 ことばそのものではなくて、 後の人のためになるかは、わからない。 どう解釈するかは後の人の課題として、 作品は見ればいい。 ことば、                                                                                                       

          鈴木 厚 彫刻家 桜井敏生さんのこと 20200627

            突然ですが、彫刻家桜井敏生さんのこと。 日本で一流公募団体と言われている新制作の彫刻部会員(2006年脱退とのこと)の桜井敏生さん は私の東京造形大学造形学部美術学科彫刻専攻時代にどういういきさつだったのか大学の石彫場 で仕事をされており(当時40歳ぐらい)よく隣で石を彫っていたのだが、 「お前は、暗い、いつも影みたいなものを探している、俺なんか自分で作りたいイメージが頭に あってそれが形になったら終わりだから簡単だ。お前が自分の作品を毎日壊しているの見ると気 が滅入って

          鈴木 厚 彫刻家 桜井敏生さんのこと 20200627

          +4

          愛染寺 毘沙門天初詣 2月3日

          +4

          2017.7.23  パプリカ +

          +8

          作品 あちら・こちら 2017.7.22

          +8
          再生

          2020.1.1 元旦 描き初め 「干し柿」

          胃ろうが長く、12月から少しづつ柔らかいものを食べ始めた。 ずっと、正月のお雑煮を楽しみにして迎えた元旦。 郷里の丹精込めた干し柿を愛おしそうに、描き続ける。 朝一つ食べたので、これは作品用で2日に食べる予定としていたら、、、なんと我慢できず、こっそり食べ終わっていた。笑える話。

          2020.1.1 元旦 描き初め 「干し柿」

          再生