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「わたし」を生き直すために、全てのメルマガを解除した
何をしているときが好きなのか、わからなくなった時期があった。
ちょうど失業手当を受け取り始めたところで、給付が終わるまでには、なんとか仕事を探さなければならなかった。
看護師免許があるので、世間からは「手に職があるからどこでも働けるじゃない」と言われる。
確かにそうかもしれないけれど‥‥。
この頃は精神的に衰弱していたことや、自分の専門性、今までの経験を考えると、これから新しい分野にチャレンジしようという気にはなれなかった。
いくら手に職があるとはいえ、現場によって求められるスキルや専門性は違う。看護師と言えど、何でもいいわけではない。
どうしようか。
ここ2〜3年の間、毎月1回は山登りをしていた。山に行くことがあんなに楽しかったのに、山に行く気力さえ全く湧いてこない。
外に出たくないし、仕事もしたくないし、人にも会いたくなかった。
やりたいことが、全然思い当たらない。
当然のことながら、やる気が起きないので生活は日に日に困窮していった。貯金は底つきて、つい先日役所の人に、社会保険の支払いについて相談したところだ。電話口の方に家賃と生活費の概算を伝えたところ、「結構切り詰めてますね‥」と、電話口の女性を唸らせてしまった。
不思議なのだけれど、「不安でモヤモヤした気持ち」がある一方で、「行動したい気持ち」が見え隠れしている。
「まだまだできるハズだ」「こんなもんじゃない」と、心の底でメラメラ燃えている。
「無気力感」と「行動したい衝動」という二つの相反する感情が、綱引きをするようにピーンっと引っ張っり合いっこしていた。アクセルとブレーキを同時に踏んでいるとも言える。いずれにせよ、状況は前進する気配はない。
「あーぁ」。ため息をつきながら、部屋の中でごろんと寝転がる。窓からの日差しがダイレクトに顔につき刺さってきた。さっきまで穏やかな光だと思っていたのに。角度が変わるだけで、こんなにも痛々しいなんて。
直射日光が当たらないように、背を向ける。
いろんなことから、この世界から、私をシャットアウトしたい。
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様々な欲求が胸の奥で絡まり合うなか、無意識にスマホを手に取り、LINE、メールをチェックする。またメルマガが届いていた。1日に5件以上メルマガがくる。
ショップのからの知らせ、起業家さんの定期配信、商品や講座のプロモーション配信など。要らないな、と思う一方で、時々読むと「おぉっ」と唸る内容もある。だから「とりあえず」解約せずに購読しているものがいくつもあった。
メルマガ、解約してみようかな。
情報が一方的に流れてくるだけで、何かが変わるわけでもない。世界から距離を取るには、情報から離れることが、はじめの一歩としてちょうどいいかも。
あるメルマガを開封して、一番下へスクロール。「配信停止」をタップした。
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全然手間じゃない。
メールやLINEに届くメルマガを、数日かけて解除、解除、解除。パスワードがわからないものがいくつもあったけれど、わざわざ再登録して解除。
ずっと愛読していた起業家さんからのメールは正直ためらったけれど、"いままでありがとう"の気持ちを込めて、手放した。
ある日の朝、メルマガの通知が一通も来なかった。毎日来ていた起業家さんたちからのメール・LINE通知も、ショップからのお知らせも、来ない。
それでも、今日1日が変わらず始まっている。ようやく、私の世界が戻ってきた。
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殆どのメルマガを解約した後から、ジムに通い出した。
「今年のやりたいことリスト」に体を鍛えることがあったことを思い出し、今年こそやってみようという気持ちになったからだ。
もともと運動音痴なので、自分はトレーニングとは無縁の人だと思っていた。けれど、ジムに通ううちに、今まで動かさなかった筋肉が動く瞬間や、汗をかいてスッキリした気分になることが心地よくて、いつの間にか通う習慣ができていた。
運動は得意ではないけれど、実は「体を動かすことが好きなのだ」と発見した。
その後、少しずつ体調が回復。日中に体を動かし、よく眠ることに重心を置く生活に変えたおかげで、エネルギーが巡り出した。
山登りを再開したり、本を月7冊ほど読むようになったり。もともと好きだったことにも取り組めるようになった。
また、お金の管理は苦手だと思っていたけれど、案外やってみると楽しくて。お金の流れを細かに記録すると、支払う不安がなくなるんだなぁと。それもまた発見だった。
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仕事も再開し、さらに1年後には海外で仕事をする運になった。ずっとやってみたいなと思っていたことが、するすると実現していく。このことに自分でも驚いたけれど、ひとつだけ確信したことがある。
それは、過剰に情報をとることをやめて、"自分の中からあふれる情報(言葉・想い・体の状態)"をキャッチすることが、状況を変える始まりになるということだ。
「こんなもんじゃない」というメラメラする気持ちを受け入れたことが、自分の人生を切り拓いていく原動力となり、状況が変わったのだと思う。
自分の人生を切り拓いていくには、好きなこと、大切にしたいことを思い出すことが重要で、それには自分の中からあふれる情報をキャッチすることがマストだ。
私もそうだったけれど、他人の言葉に囚われすぎると、自分の言葉が磨りガラスの奥にあるみたいにモヤモヤと濁ってくる。
必死に生きているが故に盲目になってしまうし、視野が狭くなっていること自体にも気がつかない。
情報に呑まれてしまい、「〜しなきゃ」ばかりで思考が埋め尽くされて、「いったい自分は、何を感じていたんだっけ。」と。
肝心なことがわからなくなるのだ。
尊敬する人の言葉に共感するのは素敵だけれど、それをそのまま自分の言葉として使うのは「違う」と、今のわたしならハッキリと言える。
自分の人生を生きるとは、自分の中から溢れてきた言葉を使って生きるということだ。
どんなキャリアを積み重ねようが、
過去にどんな恋愛をしていようが、
どうでもいい。
いまどんな状況であろうと、過去にどんな状況があったであろうと、自分の内から溢れた言葉を使って生きていれば、確実に、私の意思で人生を生きれる。
狭くなっていた視界がぱぁっと開けて、心の赴くままに、堂々と、生きていけるようになるのだ。
例え苦しい状況に突き落とされたとしても、信じた道を歩き続けている限り、その体験が失敗にはならないと気づく。ひとつの通過点だったのだと思えるのだ。
いま「ひとつの通過点だった」と、腑に落ちているのには理由がある。
"失敗を失敗で終わらせない。"
それこそが、好きなことがわからなくなってしまったと嘆いていたわたしの「なりたい姿」だったのだから。
いつも楽しく読んでくださり、ありがとうございます! 書籍の購入や山道具の新調に使わせていただきます。