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「告知失礼します」は失礼だから辞めて!主催者なら自分の主催する場に情熱と自信を持て!

今日は数々のイベント(私の場合は主に対話の場です)を主催している私が日頃からイベントの開催の時にモヤっと感じていることについて書いてみます。


それは「告知失礼します」「告知すみません」から始まるイベントの案内。(SNSの投稿とかで見るよね)

なんか、この言葉見るとちょっと切ないというか悲しいというか、イラっとしちゃうんですよね。


告知ってそんなに相手にとって良いことじゃないと思ってるのかな?それとも自分が主催する企画に自信がない? ( 人によってはそんなに嬉しい情報じゃないよな〜、失礼しますと入れておくか、みたいな?)  


それとも、まさかやりたくないのに主催してるとか?? 私は大半の企画が自主開催だからそんなことありえないけど、仕事で主催「させられている」とか、しかも「内容も決められてて自分でそんなに良いと思っていない」とか?? ( だとしたら少しだけわかる気がしますが・・・)


とにかく、自主開催をものすごく楽しんでいる私からすると、「イベント告知失礼します」みたいな文章みると


失礼します、と添えないと告知できない企画なら



辞めたら?




とすら思います。イベントって開催も労力かかるけど、参加者だって時間とお金かかるからね。


イベントを主催する際に「ぜひ知ってください!」「ぜひ来て!!」って心の底から思えているなら、「告知失礼します」って言葉は出てこないんじゃないかな?


もし、主催している人で自分にそこまでの情熱があるか分からないという人は、イベントを設計する際に「なぜ主催したいのか?」の深掘りが甘いです。


「なぜその場を主催したいのか?」を書き出してみて、書き出した文章を見て、それが必要なのはなぜ?と繰り返し自分に問いかけて行けば、必ず自分の内面からのニーズに行きつくはず。


例えば… 働き方をテーマにしたイベントを開催するとします。


なぜ、そのイベントを開きたいの?
→いろんな人の働き方を自分も知りたいし、いろんな人がお互いの様々な働き方について知ることができたらその人の選択肢が増えそうだから。

それがなぜ必要なの? (または、それが達成できたらどんな良いことがあるの?)
→いろんな働き方が認められるようになって、自分ももっと自由に、自分らしく働けるようになるかもしれない。


それがなぜ必要なの? (または、それが達成できたらどんな良いことがあるの?)
→私が、自分らしさをとても大切に生きていきたいから!


というように、自分が「なぜ、その場を主催したいか」は徹底的に深掘りしましょう。


私が、自分が講座をするときに参加者の方に、「何でイベント開きたいんですか?」って聞いたら大抵、最初の1つ目(または、ぼんやりしていて言語化できていない)が返ってきます。


それを「なぜ?」と繰り返していき、自分の情熱、大切にしている価値観に当たるまで深掘りする。 そこから作りあげた場は「告知失礼します」なんて言えないです。 ( 先ほどの例だと「(私は自分らしさを大切にする社会にしたいんだから) ぜひ来て!!」となるでしょ。)


「場を主催する」は自分の情熱や想いを社会に響かせることじゃないかと思っています。「ぜひ来て!」に反応してくれたら、その想いに少しは共鳴してくれたってことだと思うし。


「告知失礼します」と伝えながらするイベントの紹介より、「ぜひ来て!」「ものすごく良いから!」と情熱に溢れて紹介してくれる場が増えてほしい。そういう場って、たとえ参加できなくても応援したくなるし、開催レポートを読んでもエネルギーに溢れてる。


主催者の「情熱」「想い」が溢れた場が増えたら、社会はもっとエネルギーに満ち溢れると思うんですけどね。もちろん、私もそんな場をひらくために精進していきます!



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