わたしはがに股

大人になって恥ずかしいということを知ったので、がに股歩きはかなりよくなりましたが、私はずっとがに股で歩いていました。
そして私は私ががに股になった日のことをよく覚えています。なぜなら意図的にがに股になったからなのです。

幼稚園に入ってすぐのこと。近所のお姉さんのお下がりでリボンのついたかわいい革靴をもらったのです。
私の母は自分が紺色や水色が好きで着るものもシンプルイズベスト。私に着せる服も紺や水色。当時流行った漫画のついた運動靴や花の刺繡の入ったピンクの毛糸のパンツも履かせてくれませんでした。
長じてから聞いてみれば「あれはナイロンで安っぽくてぺらぺらだったのよ」と言われ「なるほど~」と思うのですが、小さいときにはピンクや赤のひらひらしたのを身に着けたいじゃないですか。

通園靴だってご多分に漏れずで、真ん中にTの字のストラップがついた男の子でも履いているような黒い靴しか買ってくれません。
そこへやってきたのがリボンのついたかわいい臙脂色の靴!

それを初めて履いた通園の朝。このリボンは「人に見せびらかすためにあるんじゃないか?」と気づいたのですよ、5歳の私は。これを外に向けて、バレリーナが外股で歩くように「見て、見て、このリボンを見て」と歩くのが正しい歩き方なのだ、と勝手に解釈したのです。
その「初めてのがに股歩き」をしたときの光景をよく覚えているのです。
よく晴れた朝で、金魚屋の前を通り、お茶屋、お菓子屋と続いて郵便局に向けて横断歩道を渡る、横断歩道の白線を外に向けた臙脂色の靴でひょいひょいとわたる心地よさ。至福のとき!
がに股ほどかっこいい歩き方はない!というかがに股という言葉さえ知らないバカ。
バカ幼児時代の私はいろんなことをやらかし続けておりました。
三つ子の魂百までというけれど、2年間の通園で続けたがに股はしっかり私にしみついていたのでした。

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