見出し画像

「親を老人ホームに入れるときに読む本」という本を読んで、老後は子どもに頼ってもいいと思ったこと

先日、紅葉の旅と期待して養老渓谷に行ってきました。紅葉の頃は終わってしまって、残念な旅になりました。ところで木々はなぜ紅葉するのでしょうか。

チコちゃんによると、秋に木の葉が落ちるのはもう働いて役に立たなくなった葉っぱのリストラだそうです。とすると紅葉は葉の最後の生命の輝きとも言えます。人生もこの紅葉のように落葉前に最後に輝きたいものです。

本を読んでわかったことー理解編ー

この衝撃的なタイトルの本を読んで思ったことは、歳をとったら国や赤の他人でなく、子どもにこそ、頼るべきだということです。あ、もちろんそんなことは筆者は言っていません。私が考えた感想です。

いつから老人ホームや介護士に親を委ねるのが一般的になってしまったのでしょうか。

誰にも頼らず、家族だけで看取って来て共倒れや介護殺人になってしまったという記事があまたあります。悲惨な介護の記事が巷間溢れています。

家族だけで介護するのは限界で、介護はプロに任せるところは任せた方がいいという専門家という人たちの意見があります。

この本は介護のプロと言われる人たちの現実をバッサリと切っています。天使のような介護士がいないわけではないが絶滅危惧種であると。

介護士は他の職業でうまくいかなかった人たちが最後に流れてくるところであり、愛情ある介護など期待しては行けないのだと。期待するからガッカリするのだと。

老人ホームに対しても高望みしてはいけない、なぜなら介護は施設よりも人材が大切であり、その人材は制度の制約があり、やれることとやれないことがあるからです。

ズバリ、介護の沙汰も金次第、と言ってます。なぜ、老人ホームがこんなに多くなってしまったか、それは介護保険制度にあると言ってます。

昔は、老人ホームは二種類しかありませんでした。高級な老人ホームと貧しい孤独な老人たちの最後のセーフティネットとしての老人ホームです。そこでは当然大部屋でプライバシーはありません。養老院とも呼ばれていました。

一般的な家庭が親をそんなところに入れるのは親を遺棄したとみなされて世間の非難と自己の後ろめたさから自責の念を持つ方が多かったのです。

介護保険制度により、介護が家庭から社会的なことになり、老人ホームが雨後の竹の子の如く次々と建立されるようになりました。名称も種類もいろいろでどこがどう違うのかわかりにくくなりました。

この本はその老人ホームの種類とサービスをわかりやすく説明しています。しかし、私などは複雑すぎてやっぱりよくわかりません。

こんな複雑な老人ホームのことだからこういう本を読んで勉強する必要があるのかなあ、と思い、タイトルに惹かれて一読しました。

なるほど多くの種類があり、違いを勉強してよく考えて自分に1番適したホームを選ばなければならないという使命感みたいなものが伝わってきました。そうしないと後悔して不幸になるそうです。

そしてまた、ホームを選ぶことは時間勝負です。切羽詰まってからホームを探したのでは、間違ったホームを選択してこんなはずではなかったと後悔するそうです。

したがって、老人ホーム選びを時間をかけてじっくりと取り組むために、筆者はリタイアして三年立ったら老人ホーム探しをした方がいいとアドバイスしています。

本を読んで行動したことー実践編ー

そうだったのか、と思うことありありです。そこで私も遅ればせながら、探してみることにしました。私の理想の老人ホームを。

筆者は推奨してないのですが、老人ホーム検索サイトを使いました。

私はほんの幾つかに資料請求したつもりだったのですが、山ほどの資料が送られて来ました。最初はこんなに請求した覚えはないと読まずにゴミ箱にに入れたのですが、比較の対象は多い方がいいと考えて拾い上げ、とりあえず目を通すことにしました。

それにしてもこれほど多くの資料が送られてくるところを見ると、これは凄いビジネスチャンスになっているのかもしれないと考えました。

さて色々なホームを見学に行こうと決めたのですが、これはと思うところに見学申し込みをしてみると、今はコロナなので見学お断りというところがあるのです。もちろん宿泊体験などもっての外。家族の面会も断ってるとか。

今は老人ホーム探しに適した時期ではなさそうです。それでも空室だけの見学はいいというところに行ってみました。

どんなところか建物の様子やモデルルームはわかりました。こちらに質問にも答えてくれました。でも共有部分や入居者の話は聞けません。ですから、幸せな入居者が多いのか、元気のない入居者がいるのかわかりません。

建物は立派です。試食できた食事も美味しかったです。人生の最後を彩る少しばかりの贅沢をして何が悪かろう、という気持ちになりました。

でもこれは元気なうちに入ったから楽しめるのであって、要介護になってからでは、こういうところに入るのが果たして幸せでしょうか。

本にも書いてありましたが、ホームをに入るということは覚悟がいるのです。家族と離れて、自分の家を処分して、友人関係を断ち、思い出の数々を処分していくという覚悟です。

私はその覚悟ができないうちは入るべきではないと思います。私の友人はリタイアして2年後に癌になりました。手術になり、胃ろうを作った彼女は自ら老人ホームに入りました。そこで転んで骨折し、あっけなく死んでしまいました。家族はその死を友人たちに知らせようとしましたが、彼女は文書類を全て処分していったので、古い友人にも知らせることが出来なかったそうです。

でも彼女の場合、老いた母親を残していきました。残された母の悲しみは言い表すことができません。介護が必要になった娘は親に介護させることが忍びなかったのでしょう。それで覚悟を決めて63歳で老人ホームに入居したのでしょう。こういう覚悟のできる人でなければホームに入るという決断はできないと思います。あっぱれな最後だと思います。

誰でも最後は死にます。死は老後に訪れるとは限りません。どこで最後を迎えるか、どんな最後を迎えるか、考えて備えてないといけないのでしょうか。死は突然にやってくるのです。その瞬間がいつなのか誰にも分からないことなのです。

先日、面白い週刊紙の記事のタイトルを見つけました。それは「死んでから後悔しないために今のうちにするべきこと」というようなタイトルでした。

私は吹き出しそうになりました。だって、死んでから後悔しないために、なんて死んでから後悔するわけないじゃん、もう死んでるんだから。このタイトルをつけた人は何を考えてるんだ?

本を読んで考えたことー結論ー

本を読んで考えたこと、それは自分の死の始末は自分でできないということです。その時、誰かの手を煩わせることをそんなに心配しなくていいのではないでしょうか。だってもう死んじゃったんですから、死んでからも心配することはないでしょう。

桐島洋子さんは老後は子どもに頼っていいと公言してきました。老後を国や人様の世話になるのではなく、自分が育てて一人前にした子どもに頼ると。人生持ち回り、それが家族でしょう、と。それも見識だと思います。

たとえ、凄い老人ホームに入ったからといっても、ホームが見取りをしてくれるわけではありません。大抵のホームは契約に先立って必ず、身元保証人を求めます。死後の始末はその人が引き受けるのです。老人ホームというところは死ぬまでおいてもらえるところではないのです。中でぽっくり死ぬことはあるかも知れませんが、その場合でも病院に運んでから死ぬのです。ホームでは死なないのです。

老人ホームは終の住処ではありません。そのことがこの本を読んでよくわかりました。人生の一時期、元気なうちに入って経験するのもいいかなと思いますが、最後に頼れるのは家族だということもよく分かりました。介護が大変だから、老人ホームに入れるという家族があっても、最後の始末は家族が面倒を見るのです。

だとしたら、高価なホームに全財産はたくのではなく、もっと有効なお金の使い方があるのではないかと思います。コスパは絶対に在宅介護の方が良いと思います。

というわけで、老後は家族に頼って良い、という桐島さんの考え方が理にかなっています。勿論頼れる家族がいないという方は、頼れる誰かを見つけなくてはなりませんから、その人にお金を使った方がいいです。

何ですって、頼れる家族も知人もお金もないですって。そういう人は最後のセーフティネットはお国です。福祉国家ですからね。国を信頼しましょう。そのために税金を払ってきたんですから。

とにかく死ぬことは仕方がないことなんです。いつどこでどんな死に方がいいかなんて希望通りにはいかないのですから、生きているうちにやりたいことをやっておきましょう。明日は来ないかもしれない、なら、このケーキは今食べよう。死んでから後悔しないために。(笑)

かけがえのない時は今!と、わりと平凡な結論になりました。それから家族や子どもを大切にしましょう。老後は子どもを頼って良い。人の道です。


#読書感想文 #終活 #人生のしまい方  

この記事が参加している募集

#読書感想文

188,615件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?