『母性』のおばあさまについて感じたこと
おばあさまは、ご自身のことが大好きなのだろう。
映画『母性』を見て、抱いた印象だ。
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女子高生が自宅中庭で倒れているのが発見された。母と娘の証言をもとに過去が明かされる。
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母と娘のそれぞれから明かされる過去は、同じ場面でも違う印象があり、その違いにおそろしさを感じる映画だったのだが、自分が一番おそろしい…わからないと感じたのは、母の母、「おばあさま」だ。
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大地真央さん演じるおばあさまは、芸術的感性が優れており、おしとやかで自信も兼ね備えおり、「おばあさま」と呼ばれるにふさわしい人物で、自分のことが大好きで、その大好きな自分の遺伝子を後世に残せることに喜びを感じているのだろう。
はたして、そこに愛はあるのか。そこに母性は…
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映画を見て、そのように感じた。
母と娘の心の内は、映画のナレーションで説明されることはあったが、「おばあさま」の心の内はわからない。そのわからなさは、喉の奥に刺さった魚の小骨のような、すっきりしないものだった。
何か知ることができれば、と思い原作を読むことにした。
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【母の手記】
赤ちゃんができて、怖ろしい、という気持ちが込み上げてきた時、母の母(おばあさま)は次のように言った。
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映画のセリフと同じだ。
そう思ったのは、このあとのセリフが始まるまでだった。
原作のセリフは、映画のセリフよりも、少しだけ長い。その原作のセリフは、映画に登場する「おばあさま」には似合わない。
その少しだけ長いセリフがあるかないかで、異なる印象を抱いた。
映画の「おばあさま」には自分中心の愛を、原作の「おばあちゃん」には母性を感じた。
原作を読み、映画の冒頭の桜が散る場面は、より深い意味があることを知った。さまざまな母と子の関係、登場人物の表情や行動の違い、娘は母を守ろうとしていたこと、父は「美しい家を築きたい」と深く思っていたこと…映画には映画にしかできない、本には本にしかできない、表現に出会える作品だった。
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