オレンジと家族と湖
僕はオレンジを渡すべきか考えていた。
僕のために買ったオレンジ。ちょうど3時間前、15番通りで路上物売りの女性に声をかけられ、しぶしぶ買ったオレンジ。一つたったの50ルピー。僕はそれを目の前にいるお母さんにあげるべきか迷っている。
こんな気持ち初めてかもしれない。心から幸せになってほしいと願うのは。
夕暮れまで2時間ほど。僕はフェワ湖の湖畔で一人物思いに耽っていた。
父親が湖畔で魚釣りをしている姿を母親と娘が釣り竿に餌をつけながら眺めている。父親は何度も何度も釣り竿をしならせて2メートルほど先に向かって糸を垂らすが、魚は釣れない。それでもずっと母と娘は父親の姿をなんだか嬉しそうに見ている。
僕はその家族が放つ輝きが湖の美しさよりも優っているように見えた。気づくと1時間以上が経っていた。湖が再び青々とした姿を取り戻し始めた。山際に日が沈んでいくのが見える。
僕は視線を父親から母親へと移す。娘の笑う顔と、母親の落ち着いた笑み。突然涙が溢れてきた。
寂しさや孤独感、筋肉痛や虫歯の痛みは今はもうない。今あるのは目の前の幸せと自分の心が幸せで満ち溢れているということだけ。
こんなに心から幸せになってほしいと思うのは初めてかもしれない。
涙をこらえながら再び視線を湖へと移す。ふと上着のポケットの膨らみが気になった。
そうだ。さっきオレンジ買ったんだ。自分のために買ったオレンジだ。でも今はオレンジを口に入れた時の酸っぱさと甘味を想像するよりも、このオレンジをあのお母さんに渡してあの家族が幸せになってほしいと思った。
僕は腰掛けていたコンクリートから立ち上がり、写真を撮るふりをしてお母さんと彼女の娘のもとへ近づいた。しかし勇気が出ない。
たった1つのオレンジではないか。
あと10歩前に出てオレンジを差し出せばいいんだぞ。なぜ動かない。
目の前には夕日に照らされて目を閉じたくなるほど光り輝く湖がある。
僕は勇気を振り絞って、「このオレンジ食べますか」と言ってみた。お母さんは無言で少し笑みを浮かべて、オレンジを受け取った。
そしてその家族も日暮れとともにうちに帰る支度を始めた。心から幸せであってほしいという願いを込め、その場を後にした。
幸せとは、刹那的で爆発的で恋に落ちるような感覚ではなく、もっと静かでゆっくりでお腹の下あたりからゆっくりゆっくり湧き上がってくる小さな小さな贈り物なのかもしれない。
一つのオレンジが教えてくれた、小さな小さな幸せの話。
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