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こどもの夢をサポートする方法③

こどもの「ライダーベルトが欲しい」という願いを、初代仮面ライダーしかしらない夫が手作りしたライダーベルトの写真がこちらです・・・
逆にこどもこれ知らんわっ!!!

さておき、絶対音感は幼少期から音楽教育をしても身につかない話を前回書いたのですが(もともとの能力がきっと必要なはず。という結論に達した話)、では運動神経はどうか?という話を書きます。

夫がリトルリーグ出身ということで、幼稚園で配布されていた3歳から入会可能という野球スクールにこども達を入れてみた。
3歳児が入る最年少クラスはどうやら人がそもそもいなかったようで、体験して入会して確か1年くらい先生とマンツーマンだった。
ユニフォームが先生のもとに届いた日、野球の練習はなかったものの、先生より電話で「今から持って行ってもいいですか?」とのことで、届きたてホヤホヤでユニフォームを届けてくださった。
そして玄関先で、ユニフォームを開封し、こどもにはまだまだ大きすぎるユニフォームを羽織らせて、「すごくいい!かっこういいよ!」とほめたたえて帰っていかれた。

この先生が、なかなかの先生で、まさか松岡修造さんそっくりさんがいるなんて!というくらいそっくり(言動がw顔は似てない)。
3歳児のへたっぴ送球にも「いいよ!いいよ!」と常にあの熱量で大絶賛wあんまりにもその先生の熱血指導が松岡修造さんすぎて、飽きずに見ていられた。
長男はそもそもボール大好きっこだったので、野球が何かというのは全く理解不能だったけど、ボール投げるの楽しい、拾うの楽しい、先生と走るの楽しい~というだけでなんとなく続き、先生が交代(1年ごとに交代するシステムだったみたい)してからも無理に野球というスクールではなかったので、野良猫をこどもが追いかけて走り去っても一緒にこどもと野良猫おいかけてくれるタイプの先生で、猫に飽きたら野球に戻るというゆるーいかんじで小学校入学まで継続。

さすがに幼稚園クラスになると人数も増えて、ちょっとゲームっぽいこともできるようになり、小学校入る前にはそこそこの野球少年になっていたけれど、自宅でお父さんとキャッチボールは結局一度もしなかったうように思う。(育児に協力的な夫ではなかったので)

野球とかやったスポーツには対応できてたけど、やっぱり、他のスポーツはさっぱりだったし、鉄棒にいたっては3年間毎夏休みに逆上がり教室に入れたけれど、結局一度もできないどころか前回りすらできないまま3年間終了・・・。三半規管が弱いのか、くるっと回るのがどうしても嫌だったらしい。

スポーツ万能な体つきではない体つきをしていたので、期待は全くしていなかったけれど、やっぱりな。というところか。
まぁ、野球も体操も空手も嫌いじゃないし続けられるなら続けたいし、楽しいことは楽しい。という感じ。

水泳は、我が家も夫のところも水泳選手が身内に多いが、いつまでもクロールのテストに受からず、親がみててもできてないからしかたないなと思っていたけれど、さすがに7回目に落ちた時は本人がこたえたようで泣いてたけれど、やっぱりできてないから先生もこまるよな・・・と。
8回目か9回目でようやく合格をもらったところで、引っ越しのためにやむなく退会。まぁ、本人も続けようと思ったら続けてたんじゃないかな~というレベル。

結局、スポーツにおいても突出してる子は、幼児期から突出しているし、普通の子はやったらやっただけのことはできるけど、やってないことはできない。という当たり前のことが分かった。というレベル。

そう、まだ、この段階ではこどもは夢をなにも語ってないし、ただただ、近場で体験できることをいろいろ体験してみたにすぎない段階なのであります。

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