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死ぬ気でやるな。殺す気でやれ。

ここ最近で1番ハッとさせられた言葉だ。「死ぬ気でやる」って言葉、最強だと思っていたから。数年間、「死ぬ気でやる」なんて思っていない。頑張っても眠ければ寝るし、休みたければ休んで、YouTube見たければ数時間視聴した。受験勉強以来、「死ぬ気」はご無沙汰している。「死ぬ気でやります!!」と言って無我夢中の人がうらやましい。そう思っていた。

「死ぬ気」コンプレックスからある意味解放してくれたのが、下のツイートだ。

思えば、小さい時から散々「死ぬのはいけない」「冗談でも『死ね』というな」と言われてきた。もちろん今でもそう思っているし、人に「死ね」なんて言わない。それなのに、自分ごとになると簡単に「死ぬ気」と言っちゃう。そしてそのひたむきな「死ぬ気」が、自分からも他人からもキラキラした素晴らしいものに見えるのだ。散る美学が、心に根付いているのかもしれない。

「死ぬ気なんてのはやられること前提の弱者の思考。捕食される側の思考だ。そんな弱っちい思考は捨て去れ。」 

ここ、すごく好きな文章だ。人はどんなに温厚な人であっても、命を殺し続けないと生きていけない。だから生きるためには「死ぬ気」じゃなくて、殺す気になる必要がある。確かに受験勉強の時は「殺す気」だった。誰を殺すのかわからなかったけど、絶対負けない、ぶっつぶす!みたいな狂暴な気持ちで勉強していたし、謎の自信もめちゃくちゃあった。あの時の気持ちは「死ぬ気」じゃなくて「殺す気」だったのか。

食われる側から食う側へ。明日からエア殺し屋のつもりで(笑)、いろいろ挑戦していきたい。

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