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特別支援学級への「特別賞」は、正しかったんだろうか?

中学の合唱コンクールで、今でも忘れられない出来事がある。

私の中学では、体育祭並みに合唱コンクール(合唱コン)に力を入れていた。合唱コンでは、クラスごとに学年共通の課題曲と自由曲の2曲を歌う。各学年の上位3組に選ばれると、金賞から銅賞を与えられる。どのクラスも、金賞を狙って歌っていた。金賞をもらえたとしても、音楽の成績がよくなるわけじゃない。それでも直前には部活より練習を優先し、放課後の教室で音が揃うまで何度も歌う。仕切る女子 vs 練習しない男子とのいざこざはあれど、最後には全員が金賞を目指して舞台に立っていた。オンチでリズム感ゼロの私ですら、合唱に夢中になるほどだった。

猛練習して本番に挑んだ中一の秋、わたしのクラスは残念ながら金賞~銅賞すべて逃してしまった。遠くで他クラスの歓声をききながら、卒業式で泣けなかった私が泣いていた。あのときは受賞できず、本当に悔しかった。上級生の受賞クラスを発表し終えるまで、なかなか涙が止まらなかった。

「ここで、特別賞を発表します」

全学年の受賞クラスが発表された後、司会の教師が突然こう発表した。会場の生徒はザワついた。特に、受賞を逃したクラスのざわめきは大きい。私は「もしかして」と思った。もしかしたら、特別賞貰えるのかも知れない。。。周りも同じ気持ちのようで、驚きと期待が混ざった顔をしていた気がする。

「特別賞は、特別支援学級のみなさんです!!」


あぁ。。。

なんだ、そういうことか。ガッカリしたけど、納得した。

特別支援学級の生徒たちは、障がいをもっている。一人ひとりの障がいの程度は異なるし、学年も違う。クラス全員で1曲を歌いきるのだって、想像以上に難しいはずだ。そんな彼らの努力を称えるために、教師は「特別賞」を用意した。教師の優しさも、彼らの頑張りもわかる。だから中学生の私たちは「特別賞」にすぐ納得した。

でも約15年経っても忘れられないのは、あの特別賞に本当は納得してないからだと思う。

特別賞は、本当に「優しさ」なんだろうか? 特別支援学級の生徒がどんな合唱を披露しても彼らが「特別賞」に選ばれ、私のクラスは絶対に受賞できない。彼らは頑張っていのはわかる。特別支援学級の生徒たちを批判するつもりは全くない。でも私たちだって、金賞を目指して本気で頑張っていた。特別賞が貰えるのかも、って本気で期待した。だからあの「特別賞」には、モヤモヤを感じてしまう。受賞を逃したクラスの生徒たちを期待させてまで、「特別賞」はもうけるべきだったんだろうか??

「特別賞」は間違ってはいないと思う。でも大正解ではないはずだ。現に中学生だった私はモヤモヤを抱えたわけだし。特別支援学級の生徒たちの努力もたたえつつ、ほかの中学生たちを傷つけないようにする方法とは。。。うーん、、合唱コンから15年ほど経つ今でも、どうするべきだったのかが分かっていない。

良かれと思ってやった行為でも、どこかに傷ついたりモヤモヤしたりする人がいる。自分が傷つく側になる可能性も、良かれと思って傷つける側になるかもしれない。どんな行為も、100%成果いってないんだよなぁと改めて感じた。

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