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補欠にすらなれなかった弓道部時代

「挫折した経験は?」と聞かれると、真っ先に弓道部時代が思い浮かぶ。女子部員14人中、補欠含めて12人がメンバーに選ばれる試合があった。私は、補欠にすらなれなかった。

弓道は、3人もしくは5人1組になって試合が行われる。夏の最後にあるインターハイ予選大会は1組5人で、1校あたり2組出場できる。補欠の2人含め、合計12人が選ばれる。

何だかんだ選ばれるだろうと思っていた。14人中12人、選ばれる確率は86%ある。調子は良くなかったけれど、多分大丈夫だ。わたしより的に当たっていない人もいる。練習での的中率をみても、ビリではなかった。レギュラーメンバーになるのは難しくても、さすがに補欠にはなれるはずだ。だって14人中12人が選ばれるんだから、、、と思っていた。

ところが、私は補欠にすらなれなかった。補欠には、わたしが「自分より的に当たっていない」と思っていた先輩や後輩が含まれていた。なんであの人が選ばれているの?私の方があてられるのに……。本当に本当に、ショックだったのは覚えている。

いま思えば、あの時のわたしは弓道に本気で取り組んでいなかった。そもそも弓道を始めたのは、みな高校から始めるスポーツだから。人数が多い部活でもないので、それなりに練習すれば試合にも出られる確率が高いと思った。練習は毎回参加した。それでも周りと同じように、言われたメニューをこなしてばかり。ただただ、何となく練習していた。

調子が悪くなっても、いつか治るだろうと思っていた。実際先輩たちが、調子が悪くて当たらない時期もみてきた。きっと大丈夫だとおもい、変わらぬ練習を何となく続けていた。

その結果が、補欠落選。同じスタートラインに立っていたはずの同級生たちは、みなレギュラーメンバーに選ばれていた。この時初めて、自分の考えが甘かったと気付いた。

それ以降、何となく練習するのはやめた。朝練・昼練・放課後練の時間をつかい、崩れたフォームをなおすための基礎練習に取り組んだ。的前にはほとんど立たず、ひたらすら練習した。無駄なプライドは捨て、いろいろな人にアドバイスを求めるようになった。放課後の練習が終わってからも、少し残って練習をした。周りより何周も遅れた練習をしていたけれど、「自分は自分」と言い聞かせてて練習を続けた。

数か月後、少しずつ的に当たるようになってきた。前よりフォームは改善し、少しずつだけど着実に的中数を増やしていった。そしてさらに数か月後の試合では、悲願のメンバー入りを果たせた。試合での結果はまだまだだったけど、補欠にすらなれなかった挫折を乗り越えたのは本当にうれしかった。

高校生の時、それなりの努力でどうにかなると甘い考えをもっていた。その考えを改めるきっかけになったのは、弓道部の経験のおかげだ。弓道部に入れて本当に良かったと感じている。

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