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パートナーシップのあり方は十人十色でいいよね

パートナーシップのあり方を完全に見失ってから、かれこれ3年ほどになる。
10年前、当時の夫から離婚しようと言われた私。その時、子どもは1歳と4歳。資格をとるため専門学校に通っていた私は仕事をしていなかった。


シングルマザーとなり、仕事を始め、縁あって今のパートナーと出会った。ともに過ごすなかで、もし一緒に暮らすことになっても籍はいれず、事実婚のままがいいなと思っていた。

彼が入籍しようと言ってくれた時、戸惑いつつも嬉しさを感じたのは事実。医療にかかる身内のサインのこと、子どもが所属する学校という場所での過ごしやすさなど。いろいろなことを考えてくれたようだ。


嬉しさと戸惑い、両方の気持ちを持ちながら再婚に踏み切った。


その後、8年間ステップファミリーとして生活を続けてきた。子どもたちは彼のことを「お父さん」ではなく名前で呼んでいる。楽しく心強さを感じていたし、しっかりとした安心感もあった。それは今も変わらず、感謝の気持ちでいっぱいだ。

子どもたちが小さい頃は、日々を過ごすことにとにかく精一杯。旦那さん、子どもたちと過ごす休日は楽しく、家族っていいなと感じる瞬間はたくさんたくさんあった。


そんな生活に少しずつ違和感を感じるようになっていったのが3年ほど前だろうか。


子どもたちは友達やクラブの仲間と過ごす時間が増え、私も仕事や趣味に時間を使えるようになっていった。ひとりで過ごせる時間も増え、自分の想いや気持ちを丁寧に感じ取ることができるようにもなった。


そうして私は、自分のなかにずっと離れていかない感情があることに気づく。普段は心の下のほうにあって浮上してこなかった想い。


いちど離婚している。だからこそ今回は、夫婦は仲良く、良き妻として、良き母として、という与えられた役割を、しっかり担うことに全力を注いでいたこと。そこに違和感と窮屈さを感じるようになってきていることを。


なにをもって「良い」のかが、もはやよく分からなくなっていた。
再婚したからには、という私の意識(思い込み)は、世間一般で言われる「このカタチがきっと幸せなのだろう」みたいな価値観に、なんとか自分をあてこもうと頑張っていたことを。

家庭が苦しく窮屈に感じ、笑えなくなっていったのが2年ほど前。仕事が終わっても自宅に帰ることがしんどくなり、最寄り駅のベンチやビルの下なんかでクールダウンして帰宅する日々を過ごした。


帰ってからは、お母さん、奥さんに頑張って戻る。そのような無理には限界がくるんだな。


不思議なもので、子どもと3人で過ごす時間は、ゆるやかにリラックスできてしまうのだった。


これではいけないと意を決して彼に想いを伝え、何十回と話し合いを重ねてきた。いったん週末婚というかたちをとり、物理的な距離をもった。そんな生活もこの秋で2年になる。


私の考え方がおかしいのか。
結婚というものに向いていないのか。
みんなと同じように結婚生活が継続できないのはだめなことなのか。 
ぐるぐるとそんな考えが頭のなかを巡っていた。


これまで頑張って築こうとしてきた家族観・結婚観が思いっきり崩れに崩れ、覆されていく。自分の価値観の変化に追いつくことができずにいた。


2歩進んでは3歩戻り停滞して、という日々を繰り返し、びっくりするくらいの話し合いと内省を重ねてきた。


結婚とは家族とはひとつ屋根の下しっかりと一緒に暮らすもの、という彼の理想。
家族だから結婚しているからといって必ずしも毎日一緒に暮らさなくてもいい、家族であっても距離感が大切という私の想い。

そんなふたりの想いは、たくさんの話し合いを重ねても交わることはなかった。静かに、でもしっかりと、離婚をお互いが受け入れたのが6月。

今月、私は2度目の離婚届けを提出することになる。


ピンと張りすぎて今にも切れてしまいそうだった緊張の糸みたいなものが、やっと、ようやく、少しやわらいだ。


結婚という制度から、いちどしっかりと離れることを、私は自分の意思で選んだ。


不安や寂しさはいっぱいだし、きっと喪失感は大きいだろう。それでも、離婚すると決めた想いへの後悔はない。その選択をしないことのほうが後悔につながっていく。そのイメージがとても明瞭だったから。


彼には彼の想いを大切に自由でいてほしいと思う。私も軽やかに自由でいたいと思う。


自由の後ろには、重い責任がともなう。そんな責任をも引き受けるという、勇気と覚悟はやっとついてきた。


またうまくいかなかったねと、世間一般の当たり前からはずれてしまうことが怖かった。制度という枠のなかにおさまっていられない自分を責め否定してきた。


でも「パートナーシップのあり方は十人十色。それでいいのかもしれない」今はほんの少しだけ、そう思えるようになってきた。


お互い幸せになるために、離婚を選択したことは事実だから。


それにしても、彼と子どもたちとの信頼関係には感服している。私以上なのかもしれないと感じる。この8年間、一緒に過ごしてきた時間とともに、関係性が育まれてきたのだね。血のつながりって関係ないなと思ってしまうのだ。


離婚し籍はぬいても、たまに4人でごはんを食べる時間を大切にしていこうと話している。そんな彼に、ありがとうの言葉しかでてこない。


離婚を決めてからのほうが、関係性は良いのだから不思議なものだ。

結婚制度から離れ、いったんしっかりとひとりになること。ニュートラルにもどり自分の足で立つこと。過去に縛られず、もうそろそろ私は私を生きていかなきゃということに気づいた。

それでも。
子どもたちには、誰かと想い合ってする結婚ってとっても素敵なんだってこと、伝えていきたい。

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