この子がボールを蹴る姿なんて一生見られない気がしていた

ある日の夕方。夕食の準備をしようとキッチンに立った私。リビングで何やら遊んでいる息子を何気なく見ていて、固まりました。

リビングの床には柔らかいゴムボール。全然使っていないのでふだんは物入れにしまっているのですが、私が他の物を出したときに転がり出たのをそのままにしていました。

息子、どこからか持ってきたごみ袋を広げ、口が横を向くようにしてセッティング。ゴムボールを蹴りながらごみ袋の方へ向かいます。少し苦労しながらも足だけでボールを袋に入れると、「やったー。100てん!」とか言いながら両手を広げて大喜び。

目の前で繰り広げられていたのはどう見てもサッカーのゴールシーンだったのですが、少しの間それが信じられませんでした。見たことのない光景。確かによく親がテレビで観戦している横で遊んでいるし、スタジアムに連れて行ったこともあるけど、まったく興味ない様子だったのに。

夫に伝えると、昨日一緒にテレビで試合を観てたからその影響かな、とのこと。私だけ現地で観戦していたその試合。応援する川崎フロンターレは悔しい無得点敗戦・・・ということは彼が影響を受けたのは相手チームのゴールか・・・と微妙にモヤっとするのは置いといて。初めて見る息子の姿に胸が熱くなりました。


現在小1の息子。私は彼とまともにボール遊びをした記憶がありません。

こちらがボールを投げてもキャッチしようとせず、こちらに投げるよう促してもそのまま持っているか全然違う方向に投げる。年長まで通った親子体操クラスでも、先生の指示に従って楽しそうにボールを使う親子たちの中でただひとり好き勝手する彼。私はいつも悲しい気持ちで帰っていました。

冒頭のゴムボールはその親子体操で使っていたものです。年長の途中で行くのをやめてしまってから、ずっとしまいこんでいました。そのボールで楽しそうにサッカーをしている・・・当時の私が見たら嬉しくて泣くだろうな。


川崎フロンターレを本格的に応援するようになってから、息子とも一緒に「フロンターレのある生活」を楽しみたくて、いろいろ試みてきました。

いつかサッカーを好きになってくれたら。そう願いながらも、心のどこかで、この夢は夢のままで終わるんだろうなと決めつけていたかもしれません。

ポスターとかマスコットとかスタジアムグルメとか、サッカーと直接関係ないところでフロンターレを好きでいてくれたら十分と思っていたかもしれません。

諦めるのはまだ早かったし、もったいなかった。


知的障害・発達障害の診断を受けている息子。「健常のお子さんはこんな悩みないんだろうな・・・」と思ってしまうような大小の困りごとが生活にあふれています。

ボール遊びのことに限らず、悩みの渦中にいるとどうしても視野が狭くなってしまい、その困りごとが永遠に続くような気がしてしまいがちです。でも、本人自身が成長・変化し続けている限り、いつか消える悩みもあって当然のはず。そこは障害児とか健常児とか関係ないはず。

親のやきもきもどこ吹く風、常にマイペースな成長ぶり。その姿に狭くなりきった視野がリセットされるような感覚を、これまで何度も経験してきました。

悩み多き今であっても、先のことは諦めたり決めつけたりせずに、できるだけ自由に楽観的に描いていたいな。


ボールはしばらく目に留まりやすそうな場所に置いておくよ。

フロンターレの試合も、また一緒に観に行こうね。


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