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京都の車窓から -2度の失恋と、それでも人生は続いていくこと-



「私が大学受験に合格して京都で暮らしてたら、全然違う人生だったんだろうなあ」

バスに揺られ窓越しに過ぎ行く街並みを眺めながら、この景色を日常としていたら、自分はどんな暮らしをしていたんだろう…と想いを馳せた。

「そしたら私たち出会ってないねえ」

隣にいる、今の人生を選んだ結果出会った友人が言う。




今でこそ過去のたられば話になったが、
10年前、高校生の頃の私には「京都の大学に合格して、学生生活を送る」が迎えたい未来のすべてだった。

一目惚れに近い衝動性を伴った、絶対に叶えたい夢だった。

そのため初めての大学受験で不合格となっても諦められず、一年浪人生活を送って再受験。
多少得点は伸びたものの合格ラインには届かず、再度不合格となった。

その後転がり込んだ別の大学でなんとか学生生活を送り始めた頃に届いた、試験結果の通知はがき。これを見るのも二度目のことだった。

前年受験時の試験結果と比べていくらか得点は伸びてはいたけれど、合格点には遠く。

来る日も来る日も机に向かい、大学生活を謳歌する同級生を横目に未来の見えない不安と闘いながら勉強と向き合ったあの膨大な時間の結晶が、たった数十点なんだ…と、心がぐっと縮こまるような感覚があったのを覚えている。

そのはがきを見た親に言われた「あんたは思ったより伸びなかったね」の言葉が、同時に心に突き刺さったことも。

以降数年、その頃の記憶は私の中で治らない傷となり、
考えたくないのについつい引っ搔いてしまうかさぶたのように何度も思い出しては、その度心をボロボロにしていた。

されど、そんなふうにして「望んだ未来を迎えられなかった自分」としてしか今の自分を受け止めることができず自分を否定し続けていた私に

「それでも大丈夫、今のあなたも素晴らしい」と、言葉や言葉以外のすべてで根気強く伝え続けてくれた友人たちがいた。

おかげで少しずつ
「望んだ未来ではなかったかもしれないけど、この場所で出会えた人たちと過ごす今の時間も自分にとってすごく大切なものだ」
と思えるようになり、傷はただの過去になっていった。

あの頃の友人たち(今も交流のある人がほとんどだが)に対する感謝の気持ちは、この先どんなことがあっても消えることはないと思う。

会う機会が少なくなって直接話すことが減ったとしても、ずっと幸せでいてほしいと心から願っている。

京都へは、受験後も何度も足を運んだ。
2度振られたけど、それでもやっぱり大好きな街なのだ。

そうして訪れたこの街で「あったかもしれない別の人生」に思いを馳せることはこれまでも幾度となくあって、
その際に感じる気持ちは、どれくらい傷が治ってきているかの指標であった。





景色が流れていく。

「目標が叶っていたら、憧れの京都の街で学生生活を送れていたら、どんなに楽しかっただろうな」と苦しさに苛まれていた自分がいたことまでまるっと思い出しながら、

「いやほんとにそう、出会えてないよね」と私は友人の方を振り向いた。
傷を過去にしてくれた一人だ。

もう羨ましさはない。
今の自分で生きていくのだ。








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直近で友人と1泊2日の京都旅行に行ってきた時の一コマ📷
この一瞬にぐっとくる想いがあって、残しておきたくて綴りました。
もっと描写力つけたい、頑張ります

高校生の頃修学旅行で訪れたカフェに10数年ぶりに🥄
今も賑わっていて嬉しかったな


最後までお読みいただきありがとうございました🧸

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