自分を守るために怒ること
自分を守るために
怒らなければならない時がある
30代に入った頃にいた職場で
私はしこたま酷い目にあっていた。
とあるお局さんのターゲットの一人になっていて、ことある度に訳の分からないことで
陰に一人呼び出されて叱責されていた。
意味のわからないことばかり。
『◯さんが仕事できないのは、あなたのせい!あなたの声かけが悪いせい!』
『△さんがいつも勝手なことをしているのは、あなたが胸を張ってそれを止めないせい!』
『あなたは本当に子供の気持ちが分かってない!私の方が子供の気持ちはよく分かってる。なんであなたにはそんなことも分からないのかしら?』
△さんも◯さんも、私より20歳も年上の先輩やし、そもそも2人がやってることは私にはなんの関係もない。
ただ◯さんは要領が悪くて頭の回転がゆったりめで、△さんは自分のやり方で突っ走りすぎるだけ。
肢体不自由で発語のない子供たちのほんまの気持ちなんて誰にも分からへんし、分からへんからこそ一瞬一瞬の変化を見逃さないように関わるんやろ。
何もかも私には関係のないことやし、
これは全てただのパワハラ、いじめ。
なんで私だけこんな目に遭わなあかんのや?!
そう思い続けた数年。
『あなたは何も言い返さないし、逆に謝ってる時もあるでしょ?
あなたは何を言っても怒らないから、
いくらでも言われてまうんよ。』
何度そう言われたか分からない。
だけど、外の世界にいる他人に
自分の怒りを表現するのは苦手。
ほんまはどんなに怒っててもその場では謝るし、それでも抑えられなければ一人で泣く。
だけど最近気づいた。
少しずつ怒れるようになってきてるわ、
私。
嫌なもんは嫌や!!と言う。
私のことを大事にしてくれない人からは
離れていい!!
文句も言うし、嫌味も言っていい!!
私が大切にしていることをバカにしたり、
私が嫌だと言ってることを
繰り返しやり続けてくる人からも離れる!!
いろんな縛り、組織、カタチ...
そういうものから抜けるたびに
不安や恐怖を感じるけど、
それを繰り返していくからこその学びは
確かにある。
自分の生き方は自分で決めていける!
という気持ちと、
『何にどう流されるのもOK!
だって、最終的に自分の人生の舵取りは私がするから!』という気持ちと。
メソメソざわざわしながらも
私もなんやかんやと成長してきたなと実感。
自分に不要なものはいらん。
ほんまに心から欲しいものだけで
自分の中も外も満たしたい。
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