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誰かと比べて悲しくなることもあるけどいつも私は私でありたい

なんで私はこうなのに、
あの人はあんなんなんやろ...


誰かと自分を比べて、悲しい気持ちになることはあるよね、そら。


『ひとり親家庭』『世帯主』『移住者』...ありきたりの言葉だけで一括りにされたくないし、安易に一緒にされたくない。


あんだけぬくぬく周りの人らや社会システムに保護されて生きてる人達がいるのに、一人で生活して踏ん張ってる自分がアホみたいやないか!


そう思って悲しくなった時、
近頃はこう考えるようにしている。


『ほんなら聞くけど、
うちはその人らと同じになりたいんか?』


自分で自分にそう問うと、

『え、それはあかん!こんなんやけど、私は私がええ!』


そんな答えが返ってくる。


誰かがご飯を作ってくれるわけでも、
一人で出かける時に子供をみてくれるわけでも、
家の掃除洗濯に手が回らん時に、気づいたら誰かが済ませてくれてるわけでもなく、

自分の体調が悪い時に
「誰に何をどう頼んで、私はどう動いたらええのか?!」なんて頭フル回転で計画を立てることなく、ただひたすらグッタリしていることを許される...

というわけでもない!


全く全くない!!!!!!


やけど私には、


自分自身の判断で自由に生きる権利があって、
自分の収入で生活できるという自信もあって(今んところは)、
誰かの顔色を気にせずに好きなように家の中でゴロゴロできる。
泣きたい時は一人で泣くし、
やりたいことをやりたいようにして、
子供らと一緒に、行きたいところにもガンガン行く。(あんたまたそんなことしてんのか!とか誰にも言われへんし笑)



おまけに
神戸ナンバーの車に乗って、がっつり関西弁をしゃべって福島県内をうろうろしている私は、いまだに(こいつ何?)って感じがあるからこそ誰にも気兼ねすることがない。
(腹が立ってしゃーない時は、とりあえず関西弁でハイスピードで丁寧にお話ししたら、私の怒りが伝わるってことが最近分かった👍)


繊細すぎるが故にいろんな痛みを吸い込んでしまうけどさ、

私にはどうも
『切替力の速さ』というのがあるようで、

『え、あなたお分かりになってくださらない?!じゃぁよろしいですわ!次行きます〜!』


なんやかんやそんな感じで、立て直していく力は強めやなんやなと思う。




いつも後で思い出して号泣するし、「もう終わりや...」ってどん底まで悲しむ。


だけどその先は、なんやかんやと自分で見切りつけて、自分で決断して、自分で進んできたんよな。不思議と。


もちろん一人の力では無理やから、いろんな人らに支えられて、助けてもらうからこそできることやけど。



誰かと比べて悲しくなるのは、
自信がない時、不安がふくらんだ時。


そんな時に

『あんたはそれでええがな❣️間違いなく、それでええ❣️』
『あんたは絶対大丈夫❣️安心しぃ❣️大丈夫や❣️』


そう言って受け止めてくれる人らが周りにおってくれるから、なんやんやゆーてても、きっとうまくいく✨どうにかなる✨


その繰り返しの中で生きていく。


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