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演劇団体に突ゲキ!9月編③

《この企画は....》様々な演劇関係者の方のお話を聞きたいという私の欲望から企画が生まれました。コロナ禍でも上演を続ける演劇団体を応援し、共に宣伝することを目的としています。公演1ヶ月〜2週間前までを目安に各団体のインタビューを掲載させて頂こうと思います。

第三回は、個人演劇ユニット「モミジノハナ」の主宰、野花紅葉さんにお話を伺いました。9/23〜王子神谷にある「シアターバビロンの流れのほとりにて」という場所で『危ういながらあなたと、』を上演されるそうです。

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モミジノハナ
野花紅葉が主宰する個⼈演劇ユニット。2019年2⽉『粗末な⼈たち』で旗揚げ。 紅葉の花のような「⾝を潜めている美しくないもの」をテーマに、それを否定しない演劇を上演する。恋愛やセックスなど極めて個⼈的な事柄について描き、その中で⽣まれる愚かで醜くも切実な⾔葉を⼤切に、「否定しない」。

野花紅葉(ノハナ モミジ)
1997 年10⽉20⽇東京都出⾝。個⼈演劇ユニット「モミジノハナ」主宰。劇作家・演出家・俳優。 16 歳から劇作を始め、以降は年に2・3本のペースで新作を上演。⾃団体「モミジノハナ」での全公演で脚本・演出を務めるほか、俳優として鵺的『バロック』への客演、⽉刊ローチケ「劇作家シリーズ」での⼩説執筆やオンライン上でのエッセイ執筆など幅広く活動。

以下、インタビューになります。

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 改めまして、お時間頂いて本当にありがとうございます。

野花 ありがとうございます。

 野花さんは「劇団てあとろ50’」出身とのことですが、てあとろに入ったきっかけはありますか?

野花 みんなにはホームページが一番可愛かったからって言ってるんですけど(笑)真面目な理由は、新人訓練は受けたいなっていう気持ちで新訓がある4つのサークル(劇研、木霊、エンクラ、てあとろ)を見てた時に、てあとろだけ女性作家がいなかったんですよ。私は最初から「モミジノハナ」っていう劇団を作ろうと思っていたので、女性作家がいないサークルに入ろうと思って。ほとんどそれだけで選びました。

 入る時から絶対「モミジノハナ」を作るぞという思いだったんですね。

野花 そうです。エンクラには「いいへんじ」の中島梓織さんが1個上の代にいらして、劇研はちょうど井上瑠菜さんが「露と枕」を立てるタイミングだったので。
高校から演劇やってたんですけど、大学1年生の頃は遊びまくってて...noteに書いたんだけど、「お前つまんなくなっちゃったね」って友達に言われて、それをきっかけに演劇を再開しました。ずっと高校時代は作家をやってたので、どうせなら劇団立てて作家やろうって1年代から思ってましたね。

 野花さんの代の「3大女性作家」みたいな感じなんですかね。野花さん、井上さん、中島さんで。

野花 そんなおこがましいことは口が裂けても!!!ただ、てあとろは団体をそんなに大々的に立てるようなサークルじゃないっていうのもあって、結構珍しがられて。てあとろで劇団作りたいですって当時の幹事長に言ったら、「規約がないから君に合わせて作ります」って言われたくらい。けっこう好き勝手やらせてもらいました。

 でも、ちゃんと新人訓練があるとこ選んだの凄い。私は新人訓練が嫌だったからくるめるに入ったってのもあるので...

野花 ちょー嫌だったんですよ。でも自分に甘すぎるから、辞めない理由を自分で作りたかったんですよね。やめた後、またその友達に「やっぱつまんないね」って言われたくなかった。その子は今回の公演で音楽を提供をしてくれます。

 なんかじゃあ、見返したと言うか何と言うか。

野花 そうそうそう!やったー、てあとろ入って良かったって思いました。

 野花さんはnoteに作品のアイデアやその時自分が思ったことを書き溜めているじゃないですか。それはコロナ禍から始めたんですか?

野花 そもそも、人が言ったこととか自分が友達に思ったこととかをメモる癖がすごく前からあって。(メモを)台本にしちゃうぞって気持ちは劇作を長く続けて生まれてきたんだけど、そんな中でコロナ禍になって。なった瞬間の絶望って、何年も公演できないかもしれないし、来月できるかもしれないってくらい本当に不透明だったから。だったらもう手の内を明かしまくって、いつか公演をやってくれるだろうって一人にでも二人にでも信じてもらい続けたいなと思って始めましたね。

 その時に自分ができることが文章の発信だった、みたいな?

野花 ダサい理由だと下手になりそう!とか、暇すぎる!とかも全然あります。

 noteの題材は人の話を聞いて〜とか、人の影響が大きいんですか?

野花 創作の原動力は何か、みたいな話はいろんな人がいろんなこと言ってるけど、私はいつもめちゃめちゃ怒ってて。それは私が不幸だからじゃなくて、めちゃめちゃ敏感だしめんどくさいからなんですよね。だから、劇作の目的は負の感情をどうにか明日生きていくために昇華させるってことだったんだけど、演劇ができなくなったからどうしようと思った時に、文章を書いてそのルーティンを少しでも保とうとしてました。

 人の怒りの発散の仕方って、食べるとか寝るとか人それぞれだと思うんですけど、それが野花さんの場合、書くとか作品を作ることだったのかなって。

野花 そうです、そんなかっこいいもんじゃないですけど...(笑)

 本とか映画とか演劇を観て刺激を受けて創作意欲が湧くことはありますか。

野花 他人が見てる世界には常に興味があるから、そこもらうことは多いですね。音楽が一番多いかもしれない。人が物語ったものを見て、自分が物語るものに刺激をっていうのも勿論あります。つんく♂の歌詞とかめっちゃいいと思ってるよ私。

 頭に女の子住んでますもん。

野花 そうそう、「寝不足は寝るしかない」とかね!(恐らくモーニング娘。’14『TIKI BUN』の歌詞より引用。野花さんはハロプロ好きでした。嬉しい。)
例えば、「寝不足は寝るしかないのに寝れなかった自分の個人的な日」とかを思い出してそれを作品にしたりとか。なんか、この人が言葉にしてくれなかったら私ってその感覚言語化できなかったかも、みたいな体験が好きで。それは音楽に限らず演劇や映画を観た時も、私の感情ってこういう台詞だったんだなあ、とか思いますね。

 自分のボキャブラリーで言語化できなかったものを、他の人が言語化してくれたおかげで気づいた、みたいな。

野花 私も誰かにとってそうでありたいと思って言葉を書いてますね。noteも、タイトルを毎回鍵括弧で括ってるのは私がそのフレーズを愛してるからなのかもしれないです。

 フレーズを愛してるってのはどういうことですか。

野花 「寝不足は寝るしかない」とか、凄くシンプルな言葉なんだけどそれってわざわざ口にしなかったな、ああやって口に出す世界線があるんだな、とかそういう体験が好きなんです。だからパッてフレーズだけ見た時に、「こういう感情だったかもあの時の俺」「この台詞言われたことあるな」とか、私にとってのつんく♂のように自分の個人的な体験が誰かの個人的な体験とフレーズによって結びつけばいいなと思って、ああいう形式でnoteも台詞も書いてます。

 今までの公演のあらすじなどを見て思ったのは、野花さんは広い意味での男女関係に関心を持っていらっしゃるのかなと思って。やっぱ男女関係って個人的な事象じゃないですか。だからこそ、誰でも扱えるけど一番難しいみたいな。野花さんなりにどういう視点で男女関係に関心を持っていらっしゃるんでしょうか。

野花 私、個人的な話をどんな関係性の人にするのもそんなに抵抗感がないタイプなんだけど、それって一般的ではないと思ってて。けど多くの人にとって聞きづらくて、知りたいって言うと下品だって思われるようなことだからこそ、それを全部下品じゃないですよ!知っていいっすよ!見てってください!みたいにやりたいなって思って。以前参加してくださった俳優さんに、「人が見たいって言いづらいものを見せてくれるところがあなたの作品の面白いところだと思うんだよね」みたいに言われてめちゃ嬉しくて。そうであれたらいいなと思ってます。自分自身がめちゃめちゃ自己矛盾が強いタイプで、私ほんと自分のこと好きじゃないんだけど、ユニットコンセプトが「否定しない」なので、私が一番否定したい自分を自分が否定しないことはすごく努力していて、それが回り回ってあなたのことを否定しないことにつながればいいな、と思ったりしてます。

 隠さないで堂々とやっていいんだって気づかせる、みたいな...?

野花 自分のコンセプトから言葉を使うなら...私は自分の中で美しくないなってとこあるのね。特に恋愛してると美しくなくて。好きなはずなのに大事にできないとか、好きって思ってくれてるはずなのに信じられないとか、私の酷さや面倒くささがよく現れるのが恋愛なのかもしれない。でも自分で認めづらいところでも「それって別に否定しなくてよくないですか、だってそれも含めてあなたでしょ。」っていう作品を作りたいなと思っている。

 凄く刺さりました...。私も恋愛のことで自分を否定しがちなんですよ。こんなの自分じゃないみたい!って。表の自分とそうじゃない自分が乖離しちゃう時に、表向きの自分が本当の自分だって思っちゃって...。どっちも自分なんですけどね。

野花 そう!本当にそういうことで、社会に関わるためにこうありたいとか、この人の前ではこうしたいっていう自分と、全然できないんだが!みたいな自分って、一貫性をもたせるのは不可能だと思うんだよね。
「モミジノハナ」って団体名にしたのは、野花紅葉を英語表記にしたら団体名になるようにしたいなーと思ってそうしたのもあるけど。紅葉って、葉っぱはめちゃめちゃ有名で綺麗って言ってもらえるけど、紅葉の「花」って知ってます?

 知らないです。

野花 誰も知らないし、正直綺麗ではないのね。でも結局お花も葉っぱも全部含めて紅葉だと思った時に、私は紅葉の葉っぱじゃなくて花の方を作品にしたいと思った、ていうのが由来です。
表、裏の自分って言い方は便宜上してるけど、でも裏っていうか花と葉っぱみたいにどちらが欠けてもいけない。だからこそ無くならない、無くせないってところを受け入れた先はどうなるかってのを私は見たくて本をいつも書いてます。

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(紅葉の花。 花言葉は「節制」「遠慮」「自制」「大切な思い出」花言葉辞典より引用)

 由来まで教えていただきありがとうございます。では、次の公演の『危ういながらあなたと、』についてお聞きします。これはいつか上演することを前提にnoteに書き溜めた文章の集大成ですよね。ずっと積み重ねていたものが世に出ることに何か思いはありましたか。

野花 去年の4月からは毎日書いてたので辛かったし、もはや日々の営みになっていました。いつか自分が最も求める形で自分の生きづらさが昇華される、という一縷の望みだと思って書いてたから、それに関してはやっとっていう気持ち。ズラーっと執筆にあたって今までのnoteの台詞を見て、過去の自分が可視化されるのは凄い面白かったですね。1年前の自分はこういう日本語でこういう風に受け止めてたんだなって。心って変わるし成長していくし、でも置き去りになってるところもあって、自分の一年間の営みが見えたのが個人的に面白かったですね。

 今回の作品もまたビジュアルがとっても素敵じゃないですか。こだわりが凄く伝わってきます。最初Twitterで公演のフライヤーが流れてきたとき、凄い人がいる!って強く印象に残りました。ああいうビジュアルのつくり方をしているのも団体のコンセプトと関係があるんですか。

野花 さっきお話した「否定しない」ってコンセプトの話に繋がるんですけど。やっぱり私って自分のこと好きじゃなくて。だけど、否定しないって言って芝居作ってるやつが、自分の事嫌いで〜とか言うような、そんなプライドない人間の芝居は私は観たくないなと思って。だから、私はまず自分のことを否定しないように努めている。とても難しいけど。フライヤーのビジュアルに関して言えば、私は私のビジュアルが好きじゃないので、信頼できるスタッフさんに「あなたが思う可愛い私を作ってくれ」ってお願いしてます。私の美的感覚とか顔が可愛いから、とかじゃないとこから始めようっていう意味で、ビジュアルはこだわってます。だから凄く大事にしてる。

 人の手が施されることで自分だけの顔じゃなくなるじゃないですか。だから好きになれるみたいな?

野花 顔っていうか存在がって感じかな。見た目を可愛くしてもらうとかじゃなくて、私を可愛く存在させてくれるってことが私にとって大事な一歩なので。だから、素敵に生かしてくれてありがとうと思いながらつくってもらってますね。

 今の話をずっと聞いてて、野花さんの生活に演劇がすごく結びついていて、切っても切り離せないものなんだなぁと思って。自分を否定しない手段に演劇を使っているのも、怒りの発散に劇作を使っているのも、演劇が食事や睡眠と同じように生活を成り立たせるものとして欠かせない位置にあるんだなってすごく感じました。

野花 かっこいいこと言ってくれてる。嬉しいです。

 今回のあらすじを簡単にご紹介とかできますか?

野花 頑張りますね。登場人物が4人で、「わかりたい女」「わかられたくない男」「わかりたくない女」「わかられたい男」っていう設定になってて。色んな関係性で他人と相対する上で、そういう人たちが何を誠実だと思うか、何を暴力だと思うかとかそういうことを考えて書いてます。人をドキドキさせるようなあらすじはないんだけど、「わかる」「わかりたい」「わかられたい」「わかられたくない」「わかりたくない」っていう気持ちや欲求が、人と関わる事によってどう暴力になるのかとか、そこに誠実に向き合っていくっていうのはどういうことなんだろうっていうのを考えてます。そういうのが『危ういながらあなたと、』っていうタイトルに入っているつもりでやってますね。

 ありがとうございます。この前くるめるの公演終わった後、てあとろの先輩に野花さんってどういう方なんですかって聞いたんですよ。そしたら、すごく頭がいい人だよって言ってて。話しててなるほどな...と思いました。

野花 やめて〜照れるから〜(笑)私の師匠に、どういう人が賢いと思いますかって聞いたことがあって。世の中が複雑だってことを知っている人ですかねっておっしゃった時に凄く感銘を受けて。そうなれてるかはわからないけどなるべくそう在ろうとは思ってます。
それが否定しないっていう態度を生んでるかもしれない。「肯定する」とは言えなくて。複雑な中で、それを全て包括して、否定しないっていう態度をとりたいけど難しいよね。

 簡単な事柄から「それ絶対違うよ」とか「絶対そうだよ」とか言うのって怖いですよね。

野花 怖い怖い。

 だし、生きててそういうの全部を曖昧にはできなくて、決めなきゃいけない時だってあるじゃないですか。だからこそ、そのお師匠さんの「複雑がわかる人が賢い」っていうのはほんとその通りだなって思いますね。

野花 そうありたいですね。

 私の聞きたかったことは大体聞けたんですが、逆に言っておきたいことなどありますか?

野花 えー、ハロプロの話はしたいしー(笑)えっとちょっとまってね。
...稽古場ってさ、試していってこの公演での最高を見つけて行く、みたいな作業だと思ってるんですけど。だから考えが違うことそのものに凄く価値があると思うんです。演出家として芝居を見てる時、俳優さんがやってくださったお芝居に「何でそういう言い方したんですか?」とか、「なるほどねーちなみに私はこう思うんですけどどうですかー」とか話したり。違うことってかなり価値があるし私はすごい嬉しいのね。だから実生活でもそうできたらいいのにってめっちゃ思う。それを理想としてる自分がいるけど、「なんでわかってくれないんだろう」「なんでこうしてくれないんだろう」「なんでそんなこと思っちゃうんだろう」とか、違うことが絶望的なように思えてしまう。一方で、同じであるとかわかってるって事が希望的に見えて。こういう風に全ての人間に接することができないのが、どうしようもなく美しくないし直んないんだろうなって。

 稽古場っていい場所ですよね。何をしてもわかろうとしてくれるから。だから私の人生も人生の稽古場でありたい。

野花 私は、もう無理だなって気持ちになった。当たり前なんだけどそんなに心も頭も時間も体も使ってくれる人っていうのはとても貴重だし、私は好きな人に対してそうでありたいけどそうであれない時もあるし、好きな人が私にそうしてくれない時もあるから、そっちの方がやっぱリアルなんだなと思った。他人と関わるということの。リアルだから絶望するわけでもなく、ありのまま否定せず。人と関わっていくことについて、稽古をして改めてそういう認識になりました。

 今回の稽古で座組の人達と関わっていく上でってことですね。

野花 そうそう。台本自体がディスコミュニケーションっていうか、冷静に台本を読んでもなんでこんなことで喧嘩すんだろうって思うんだけど、実際にその喧嘩のシーンとかを見てると「わかるー喧嘩になるよねー!」って思うから、それは俳優さんの力だし演出家の頑張りどころですね。

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野花さんのnoteはこちらから。台本作成前のnoteに20個、作成後に20個、上演に実際に使われる計40個の台詞がnoteに公開されているそうです。それを読んでから観に行けば「あ、この台詞みたことある!」と進研ゼミみたいになれること間違いなしです。野花さんはとっても優しくてついつい自分のことまで話したくなってしまうような魅力がありました。公演を観に行くのが楽しみです。

モミジノハナ"Limited❤︎"『危ういながらあなたと、』

9/23(木)〜9/26(日) シアターバビロンの流れのほとりにて(王子神谷駅から徒歩10分)

予約はこちらから↓

劇団てあとろ50'の新人試演会の配信予約もしていたのでついでに宣伝。

『青色のオリーブたち』9/17(金)〜9/19(日)


10月に公演を打つ団体で、インタビューさせてくれる方を探しています。もしご興味ありましたら連絡ください。大学が始まるので更新頻度は落ちると思います。

関口真生


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