自己紹介×雑記#1

初めまして。初めまして。初めまして。

本当にブログ的なものを書くのが初めてでどういう風にスタートすればいいのかわからないので僕の手がキーボードに触れ動くのにことの流れを赴かせましょう。あまり、自分の考えをぶっつぎりにして小綺麗にまとめ上げるのが好きじゃないのでね。三島由紀夫って確か添削とかしないって言ってた気がするんだよね。文章を変えちゃうと後で見返したときにその時の自分の感性を思い出すことができないんだってね。確かにそうだな。今こうやって僕が文章を書いているときも何でもかんでもすぐに書き換えられるもんね。なんだか悲しいよ。。。いろいろ書き替えて俺少し頭いいでしょ感出すのもいたいし、めんどいし、気持ち良くないし、JDSalingerのThe Catcher in The Rye文調を使わせてもらうなら

今、カレー食べてきました。そういえば今週の火曜日にコロナ発覚して嗅覚味覚障害が出て人生詰んだって思ってたけど意外とカレーの味したかも。あと骨周りの肉貪ってたら臭いにおいが口の中にバターみたいに溶けて広がった感じ合ったから症状もだいぶ回復したな。火曜日本当にひどくて40.6まで出て、オペラのギリシャ悲劇を作ってた人の気持ちが分かった気になったのよ。いっつもいい生活してて時々死とか苦しみとか渇望する時ない?そういう類のものに血なまぐさいほど飢えることない?自分が死にゆく姿を想像して、苦しんで井戸にずっととどめ置かれて誰の助けもなく絶望の中で精魂力尽きていくのを想像して恍惚感に浸ったことない?絶対あると思うけどなみんな一度は。まぁそれはさておき、カレー食べては食べてたんだけどあんまり味は意識してなくて音楽の方に釘付けになってたんだよね。Brahms piano concerto 2の第1楽章、Yuja Wangさんの演奏だった。あんなに小ぶりなのに力強い演奏を普通にこなしちゃうのは脱帽だね。今度11月の後半にBrahmsのコンサート聞きに行くんだけどpiacon2も入ってて最高!

話し戻すと、JDSalingerのThe Catcher in The Rye文調を使わせてもらうなら "Oh boy, I almost puke for those who think to write trying to be smart, show off some of their own wits, and all"ってなる。自分の文章をちょっとでも頭良く見せようと手をこねて虚空を見つめ名がら手をキーボードに置いたまま考えて、文字を打ち込んでそれが画面に出てきて、私意外といい文章書けるじゃん、頭いいじゃん、とかいうの想像すると吐き気が催す。あ、このThe Catcher in The Rye有名で読んだことない人にはお勧めします。本当に読んでください。一生のお願いですとまではいわないけどよ。僕ぐらいの年頃の馬鹿なやつが馬鹿なことして少しずつ大人になっていくみたいな話なのかなーなんてそれっぽいこと言っちゃって。

いま19時半くらいなんだけど、これいつまでも書き続けるわけ訳にはいかないから20時くらいまでに切り上げまーす。でもこうやって自分の考えてることを非系列的に冗長に書くのも悪くないね。楽しいよ。パラパラ言いたいことが出てくるから喋るように書けるね。

そういえばThe Catcher in The Ryeも大枠の話はまだ覚えてるけど事細かな話はあんまり覚えていないですね。そもそも本は内容をすべて覚えるべきなのか。覚えたとこでなんぼだね。結局人は生きるように設計されてるから不要な情報があったら捨てるよね。脳は有限だよ。時間も有限だよ。ぼくはここで何をしてるんだろう。そう、脳はいらない情報は捨てるんだよ。だからいくら本を読んで勉強した気になったってどうせ忘れるんだよ。よくネットとかに上がってる、書籍化されたりもしてるのかな、如何にして本の内容を効率よく覚えるか、速読術はああだこうだ、くだらないね。てかこのパソコン画面が開くるくて思考が止まるんだけど。所謂小説とか、大きなコンセプトがあることて多いよね。そうすると、それを読んでいくうちにそれが少しずつ開示されていく。それを拾っていって大きな柱が見えてくるじゃん。そういう木の幹的なものを探すというか見つけるのが何においても大事ですね。これはElon Muskの言葉をパクっているだけなのですが。さておき、そういった基盤となるようなものを体得しやすいのが本だと思うね。インターネットにある情報って木の中でも細い枝のほんのさきっちょにある小さな葉っぱみたいなもんでしょ。それをこそこそ集めたとこで何になるん。勿論この世の中で無意味なものはこれといってないよ。けど、それをちまちまやったってどうなるの。人の外見を全て研究したってその人がどんな人なのか知り得ることはないでしょうが。

話を変えましょう。話すことがないですね。正直なところ、数十分前まではこうやって色々文章を書いていくことでいろいろ考えられると思っていましたけど一つ大きな間違いが見つかりました。それはぼくが文章を書いていると手を動かします。手を動かすと手を動かす方に注意が向かいます。そうすると考えるという行為自体が形骸化されて何にも残んないんですよ。なんも考えられなくなるんですよ。だから今日以来note書くのやめようかなとも考えているんです今。だって、そもそも今日note始めたのは文章を俺が書けば誰かが俺のことすごいって思ってくれるでしょという成り上がった考えでしかないんですから。阿呆だね。自分に反吐が出る。何をしているんだ。まだでも20時まで8分あるから我慢するよ。

プログラミングの話でもするか。最近Elon Muskに憧れてというかアメリカとかのtech企業に憧れて稼いでんなーと思いながらいろいろ話を聞いていたらプログラミングが起業で必需的なスキルだなと漠然と思いましてharvardのcs50というフリーの講座を受け始めたんです。そしたら面白くて、ある答えがでるプログラミングを作れ的な宿題が。頭をぐるぐる働かせながら、紙に解き方を書きつけながらものの数分で時には数時間もかけちゃって。俺暇なんかって話だけど。で、Elon Muskが言うには「Be useful」だってよ日本の紳士淑女よ。使えるやつであれ。自分が使えるやつだったら自分で何かしたいことがあるときに自分を使えるんだ。これが慧眼でね私にとって、目から鱗でたまったもんじゃないよ。言語を学んでおくのもそうだし、プログラミングができるのもそうだし、自立的な生活を送れることもそうだし、健康的な人間関係を作れるのもそうだし、見た目を自分の遺伝子の範囲内で最大発揮するのもそうだし、なんだかんだ言って自分がやらなきゃいけないことは沢山ありそうです。

良さげな結論ができた。嬉しい。これにてアンニュイな雑記終了。

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