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〝普通〟の基準

私は、“私の好きなモノ”を否定されるのがキライだ。
そんなこと好きな人なんてあまり居ないと思うけど。

私は、“私の好きなモノ”を否定されるのが嫌だから、
誰かの“好きなモノ”を否定しない。
それは“誰かの大切なモノ”だから。

『当たり前じゃん』『普通そうでしょ』『絶対○○だよ!』

こう言われると
なんで断言できるの?それはあなたの価値観でしょ?って思う。

だって
“アナタの『当たり前』『普通』” は “私の『当たり前』『普通』”じゃない。


“私の好きなモノ”を否定されると辟易するし、
その人のことが嫌いになってしまう。

子供の頃はそれでよくムキになって
言い返していたからよく喧嘩になった。

大人になった今では、
喧嘩はしたくないけどやっぱり納得がいかないから
そういう人たちと関わりを持つことをやめるようになった。

厳密にいうと、
そういう人たちと無理に関わらなくても
私の人生は確実に豊かになる、
という根拠のない自信がどこかにあって

限られた人生という時間の中で
同じ時間を共有したいと思える人、
できるだけ自分の心が落ち着いたり安らげる相手との時間を
優先したいと思えるようになったから。


今日、この記事を書いたのは

『普通そうでしょ』『絶対○○だよ!』
っていう嫌いな言葉を言われる出来事があったからなんだけど・・

だからって反論はしないし、
喧嘩したりあからさまに嫌な態度を取ったりはしない。
でも心の中で
『この人と深く交流するのはやめよう』アラートが鳴り響き、
心の中で自動的にシャットダウンされる。

たぶん相手に悪気がないことも、
良かれと思って言ってるつもりなんだろうということも
頭ではわかっている。

でも、
『〇〇もいいよね。でも私は△△が好きだなぁ。』とか
『〇〇好きなんだ!どんな味なの?』って質問したり、感想を聞いたり・・

全力で否定してその人の『当たり前』を押し付けるんじゃなくて、
相手の意見を受け入れて理解を示すことはできると思う。

私もそんなに細やかな気配りができるタイプではないけど、
だからこそ、そういうささやかな気遣いができない人とは
距離を置きたいと思ってしまう。

実際、
私が『海外に行きたいから仕事辞めます』と言った時に
全否定してきた前職場の人たちとは国交断絶させたけど
それについてはなんの未練も後悔もないし、むしろ心晴れやかになった。

・・・そんなこともあったなぁ。。
なんて今日の出来事が起きた直後に思い出して、思わず考えてしまった。

やっぱり、『一般常識』と『普通』『当たり前』は別問題。
ごちゃ混ぜにしないで
常に相手の意見を受け入れて理解を示す姿勢を貫いていこうと誓った春の日でした。

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